2011年10月22日土曜日

Steve Jobs & Kazutaka Kigawada, former president of TEPCO

  ブルームバーグが、「悪魔と手を盗んだ」男として、フクシマに原発を設置した、東電の中興の祖、木川田元社長の伝記をウエブ上に公開している。

物語は彼が、LNG利用の先鞭をつけたということが述べられ、大変好意的な論調でまとめられている。

しかしこの記事を読んで、なにか中途半端で納得がいかないものを強く感じさせられた。

周知のとおり、木川田一隆は企業の社会的責任を唱導した財界人として奉られることが多い人物である。

納得がいかなかったのは、「最初は原発に反対だった」という木川田氏が、LNGの有用性について十分に理解しながら、なぜ悪魔に魂を売り渡し、やすやすと原発に手を染めてしまったのか、それについての言及が十分になされていない点である。

一方WSJにはSteve Jobs氏の自伝についての記事が掲載されていた。
Jobs氏は自分自身の金儲けや自社の利益だけを優先するような企業経営者たちを堕落した人々と呼び、軽蔑していたという。

彼は日本の原発災害の報道に接したとき、TEPCOの経営陣の対応について、はたしてどんなまなざしで見ていただろうか。できることならば、聞いてみたかった。

田原総一郎は、木川田氏は、なにかあったときに自己責任が追えるように自分の生まれ故郷のフクシマに原発をおいたのだと述べ、称揚している。しかし、果たして本当にそうだろうか?

自分の郷土が経済的に潤うことを望まない人間は誰もいない。

それに、田原の言うことが本当に正しければ、浜通りなどではなく、自分の村に原発を設置したはずである。当時の東電社長が、福島の生まれ故郷の村から本店まで毎日通勤していたとも考えにくいがーー。

ところで、木川田氏の故郷はフクシマ原発から60キロも離れた地点にある。現代の世界最高水準だと誇っていた原子力ムラの大家でさえ、つい先ほどまで大災害が発生したところで、30キロ圏外にまで、高濃度の放射性物質が飛散するとは想定だにしていなかったのである。木川田氏のふるさとはその二倍の距離のかなたにある。

国を代表するジャーナリストがフクシマ原発を設置した東電の責任者のイメージを高めるような物語づくりに懸命になっていることの意味をよく考えてみる必要がある。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920009&sid=aRBoBH0aU3ms

「悪魔と手を結び」原発を故郷に、木川田東電元社長




10月21日(ブルームバーグ):福島県伊達市梁川町。宮城県との県境に近い山舟生小学校では8月末、2学期の始まりを控えて校庭を約1.5メートル掘り起こす除染作業が急ピッチで進められていた。東京電力・福島第一原子力発電所から60キロメートル離れたこの場所でも、毎時0.6マイクロシーベルトの放射線量が計測された。
  約100年前にこの山あいの小学校に入学した駆けっこの得意な少年は、約半世紀後には東京電力の社長に就任し、同社最初の原発を福島県に建設することを決めた東電の「中興の祖」として知られる故木川田一隆氏だ。
  木川田氏は、この町で医者を営む家の三男坊として生まれた。その生家の向かいに今も住む八巻長蔵さん(83)は「みんな非常に優秀な一家だった」と話した。長男は医者、次男は陸軍少将と秀才兄弟として有名だったという。
  木川田氏が亡くなってから30年後、生家から数百メートル離れた街道沿いには「東電は放射能汚染物質を持ち帰れ。この地に持ち込ませるな!」と書かれた看板が立っていた。八巻さんは「故郷を良くしようと信じて、木川田さんは木村守江元知事と一緒に原発を福島に持ってきたのだろう。でも、結局は故郷を駄目にしてしまったのは非常に残念だ」と話す。
  県内には事故が起きた福島第一原発のほか、福島第二原発もあるが八巻さんは「原発が2つできたといっても、福島県の全体が潤ったわけじゃない」と嘆く。
潤ったのは浜通りだけ
  福島県は、福島市など比較的人口の多い町が並ぶ「中通り」を中心に、阿武隈山地を隔てた沿岸部の「浜通り」と、奥羽山脈を隔てた「会津」の3つの地方に分けられる。原発で潤ったのは浜通りだけだと八巻さんは感じている。中通りに位置する伊達市では、原発建設に携わった人や原発作業員になった人はあまりいない。「こんなことになるなら、もう原発はやめてもらいたいよ」と本音を明かした。
  1926年に東京帝国大学経済学部を卒業した木川田氏は、第2志望だった東京電燈に入社。入社後10年間は、国内外の電気事業の調査や電力料金問題などに取り組んだ。戦争中は発電所と送電設備が日本発送電に統合され、東京電燈など首都圏の配電事業各社も関東配電会社に統括された。50年11月に連合国最高司令官総司令部(GHQ)の政令によって、政府が管理していた電力会社は民営・分割化されることになった。
  八巻さんは50年12月に亡くなった木川田氏の母ヌサさんの墓掘りに加わって以来、3年前まで木川田家の墓を守った。しかし、木川田氏とはヌサさんの葬式を最後に会うことはなかった。
  八巻さんは60年代初め、当時PTAの会長をしていた山舟生小学校への寄付を木川田氏に依頼するため、東京都三鷹市に住んでいた木川田氏の長兄を訪ねた。「その場で一隆さんに電話をしてくれてね。山舟生の人間が行くからと伝えてくれたんだけど、1分の暇もないと断られた」という。最終的にはPTAに3万円が届けられた。
            最初は原発に反対
  61年2月に東電社長に就任した木川田氏は同8月に、福島県大熊町と双葉町にまたがる用地を取得する方針を決定した。八巻さんが木川田氏を訪ねたのは、東電が福島第一原発の建設に向け大きくかじを切った時期だった。八巻さんは「木川田さんは最初は原発に反対だったと聞いている」と話す。
  「ドキュメント東京電力」を書いたジャーナリストの田原総一朗氏も木川田氏が当初は原発反対の立場だったと指摘する一人だ。田原氏はブルームバーグ・ニュースとのインタビューで、「初めの頃、木川田氏は原子力を悪魔だと言った。悪魔と手を結ぶんだと言った」と語る。田原氏はその木川田氏が原発を自分の故郷に持ってきた背景には、何か問題が起きたときに最終的に民間に付けを回すような官僚や政治家には任せられないという信念があったとみている。
  田原氏は「戦前、戦争中は電力は国有だった。国が仕切っていた。国対民間の戦いがあった」と指摘。「木川田さんがもし東電で原発を導入しないとすると、政府が導入していた。そうすればまた国営になる。どちらが主導権を取るかという戦いだった」との見方を示した。
  田原氏は、福島第一原発事故で、今後10-20年の間、原発の新設は難しくなると予測した。原発立地地域は従来、原発周辺の半径3キロ、4キロを指していたが、今回の事故で20キロの警戒区域内だけでなくそれより外の地域でも人が住めなくなる可能性が出ており、原発立地地域の概念が根本から覆されたためだ。「今後は半径20キロや30キロの地域の人々からの賛成を取り付けなくてはならなくなってしまった。しかし、それは不可能だ」と話した。
  電力会社、プラントメーカー、監督官庁、大学教授、マスコミなど原発推進者らのコミュニティである「原子力村」について、立教大学のアンドリュー・デウィット教授(政治学・財政学)はインタビューで、「議論の中心は原発が競争力のある経済に低コストで信頼できるエネルギーを供給できるというものだった」と指摘した。
  デウィット教授は、「福島第一原発事故でコストが膨れ上がったため、その議論は急速に説得力を失っている。原子力村は解体しつつある」と語った。
             代替はLNG
  田原氏は、当面、原子力の代替となるのは液化天然ガス(LNG)とみている。実際、日本の電力会社はLNGを燃料に利用する火力発電の依存度を急速に高めている。財務省の統計によると、8月のLNG輸入量は前年同月比18%増加し、過去最大の755万トンに達した。
  電力会社の液化天然ガス利用の先鞭(せんべん)をつけたのも、実は木川田氏だ。日本に初めてLNGが到着したのは69年。東電が世界で初めてLNGを火力発電燃料として使った。
  日本動力協会の桝本晃章会長(東電元副社長)は「コストが高いということで、LNGの導入には木川田氏以外、取締役会の全員が反対だった」と明かす。桝本氏は「大気汚染がすでに電力業界の中で問題になりつつありLNGが1つの解になった。確かにコストは高かったが、木川田さんの決断が正しかったことは歴史が証明している」と語った。
http://jp.wsj.com/IT/node_329035

故ジョブズ氏の新たな伝記本、ブライベートな部分にも言及


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 10月5日に死去した米アップルの共同創業者で前最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズ氏は、利益最優先の人々を軽蔑していた。今月発売予定の本人公認の伝記本で、ジョブズ氏は1985年にアップルを追放された後、同社の経営を担った幹部らについて金儲けしか関心がない「堕落した価値観」を持った「堕落した人々」と呼んでいる。
イメージAssociated Press
今月発売予定のジョブズ氏の伝記本
 ウォルター・アイザックソン著のこの伝記本「スティーブ・ジョブズ」によると、ジョブズ氏は学校ではいじめられることが多く、13歳のときに教会に行かなくなった。この本は10月24日、米出版社サイモン・ アンド・シュスターから発売される。AP通信は20日、この本を1冊購入した。今月5日にジョブズ氏が長いがんの闘病の末、56歳で死去して以来、この伝記本の予約はベストセラーリストのトップを飾っている。
 この本によると、ジョブズ氏は「ライフ」誌のカバーで飢える子供たちの写真を見た後、1度も教会に行かなかった。後になって、ジョブズ氏は何年間も禅を研究した。
 10代の頃のジョブズ氏には奇妙な行動も見られた。たとえば様々な食習慣を試し始め、一時期は果物と野菜しか食べなかったり、瞬きをせずに人を凝視するなどだ。
 その後、「アップル」の社名を付けたことについて、ジョブズ氏は著者のアイザックソン氏に、「果実食主義を取っていた」と語った。
 ジョブズ氏はリンゴ農場から戻ったばかりで、その名前の響きは「面白そうで活発な上、威嚇的ではない」と考えたという。
 この本の中で、ジョブズ氏は大学に行きたいとは思わず、唯一願書を出した学校は学費の高いオレゴン州ポートランドの私立のリード大学(Reed College)だけだったと明かしている。この大学に合格すると、両親は行かないよう説得しようとしたが、リード以外なら大学には進学しないと答えた。結局、この大学に進学したものの、1年足らずで中退し、2度と戻らなかった。
 ジョブズ氏はアップル以前に、米ビデオゲーム会社のアタリで、時給5ドルで技術者として働いた。サンノゼ・マーキュリー・ニュース紙の求人広告を見て同社を訪問し、採用されるまで帰らないと告げたという。
 ジョブズ氏の単純で明快なデザインに対する視点は早くから明白だった。コンピューター「Apple II」のケースには当初、プレキシガラス製のカバーとメタル・ストラップ、ロールトップドアが付いていた。しかし、ジョブズ氏はアップルが傑出するような何か優雅なものを希望した。ジョブズ氏はアイザックソン氏に、デパートでうろうろしていた時にクイジナート製のフードプロセッサーに感動し、成型プラスチック製のケースにしたいと思ったと語った。
 ジョブズ氏はアップルの設計部門のトップで、「精神的相棒」だったジョナサン・アイブ氏に電話した。ジョブズ氏は著者に、アイブ氏はアップルでジョブズ氏自身に次いで「経営力のある」人物だったと話している。社内で、アイブ氏に指図できる者はいなかったと。そして、ジョブズ氏は「私がそのように仕向けた」と語っている。
 ジョブズ氏は決して典型的なCEOではなかった。アップルの初代社長、マイク・スコット氏は当時22歳だったジョブズ氏の管理が主な目的で採用された。スコット氏の最初のプロジェクトの1つは、ジョブズ氏にもっと頻繁に入浴させることだった。それはうまくいかなかった。
 ジョブズ氏はアップルを追放された後、1990年代初めに同社が徐々に衰退するのを遠くから眺めた。ジョブズ氏はアップル運営のために起用された人々に憤慨し、彼らを「堕落している」と呼んだ。
 ジョブズ氏はこの伝記本の著者に、彼らには「素晴らしい製品を作るのではなく、主に自分たちのために、そしてアップルのために」金を儲けることだけが念頭にあったと語った。
 ジョブズ氏はまた、ビートルズが好きなバンドの1つで、死ぬ前に、音楽配信サービス「iTune(アイチューン)」でビートルズの楽曲を販売するというのが希望の1つだったことも明らかになった。その希望は2010年終盤に実現した。それまで、ビートルズの曲はアイチューンをはじめ合法的なオンライン音楽配信サービスでは手に入らなかった。
 この伝記本は当初、「iSteve」のタイトルで2012年3月に発売される予定だった。発売日はいったん今年11月に前倒しされていたが、ジョブズ氏の死去を受けて、10月24日にさらに前倒しされた。著者のアイザックソン氏はジョブズ氏と40回以上にわたって対談した。インタビューのなかにはジョブズ氏の死去の数週間前に行われたものもある。
 この本によると、ジョブズ氏はテーマにまったく制限を設けず、内容についても全く干渉しなかった。
(AP通信)

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