2012年3月11日日曜日

ブログ1周忌:2011年3月~2012年3月

眠れぬ夜の手すさびに始めたはずの、「夜半の寝覚め」であった。
まったりと、1か月に1度ぐらいのペースで、楽しく自分の趣味嗜好など、いろいろ書くつもりで始めた日記のはずであった。

あの日まで世の中の出来事に、無頓着で、完全に満足しきっていたというわけではない。
しかし、ここまで腐敗したひどい状況であることを、去年の3月11日まで知る由もなかったのである。

神戸大震災の時、長田地区の大火災で消火作業が進まず、柱や建物の梁など倒壊物の下敷きになって逃げ損なって多数の人々が焼死していく報道を耳にした。海外からの援助の申し出を断った馬鹿な政治家もいたし、どうして国や行政は、もっとしっかり迅速に対応しないのだろうと歯がゆい思いはしたものの、復興の速度は思いのほか速く、今回のように素人目から見ても、この国を牛耳っている人間集団がどれほど無能であるか、これほど強く認識させられることはなかった。

危機管理能力の完全な欠如どころか、電力会社と原発を擁護するために、メディアぐるみで被害極小化の情報統制を行うなど、慄然とさせられるようなことが新聞がみや電気紙芝居上に、連日繰り広げられていた。大本営発表のようなゆゆしい出来事が、現代の日本社会で再現され、まるで悪夢を見ているようであった。

その後の展開も目を覆いたくなるような出来事の連続であった。原発は偶然の重なりによって、東京都民までが行き場を失って逃げまとわねばならないような事態には陥らなかったが、脱原発か否かという1点を除いては、首相と同類項であり、共犯関係であったはずの政権中枢にいた政治家たちは、首相一人をスケープゴートにして、自らは涼しい顔をして平然と、原発災害収束、原発対策、復興支援にかかわる主要閣僚ポストに着いた。彼らは議事録もとらないような会議を重ねるというような、国民のとって許されては、ならない出来事に加担しながら、いまだにその責任を負うこともなく今日に至っているのである。

ここにきて彼らは、大型メディアを動員して、絆と復興支援の2文字を掲げて、放射性物質の飛散の可能性を打ち消すことができない被災地のがれきを全国に分配し、処理を行うことにやっきになっている。

3.11以降、薔薇っこはそれまで普通の国民には全く知らされていない事柄が、我々の周りにいろいろあることを知った。日本の大型メディアの情報源にべったり依存することを辞めて、海外の主要メディアの声や、マイナーであっても志をもったジャーナリストが発信する情報にしっかり耳を傾けることの重要性を認識させられた。2011年3月からの時間を地球市民の一員の生きた証として、自分は何を見、何を聞き、それに対して何をどう考えたか、できるだけ正確に記録にとっておきたいと考えた。

福島原発災害は、世界が注目する大きなニュースとなった。海外メディアから、日本人はお上に従順で、自らの国の政策に対して黙ってただ受け入れるだけの思考力も批判力も表現力も持たない消極的でお馬鹿な国民、金勘定しか頭にない倫理意識の欠如した情けない国民であるかのようなレッテル貼りがなされるのを見て、すべての国民がそうではないことを示したいという気持ちを抱いたことも事実である。

国内の読者の中には、ブログ監視が目的の読者が混じっているとしても、アメリカ、中国、韓国、台湾、香港、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、タイ、インドネシア、インド、シンガポール、ベトナム、ドイツ、フランス、イギリス、ロシア、ウクライナ、スイス、オランダ、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、イタリア、ルクセンブルグ、フィンランド、ラトビア、スペイン、タジキスタン、クゥエート、エジプト、ブラジル、パラグアイ、フィリピン、ナイジェリア、ペルーなどなどさまざまな国から多数のアクセスを頂いたことは、1年間このブログを続けていくうえで大きな励みになった。

先日、作家の高村薫氏は、NHKの震災1年のインタビューで、私たち一人ひとりが東日本大震災というものを言葉にすること、そして、その事実から目をそらさず、しっかりと見つめなおすこと、復興という言葉の意味を考え直す必要があると述べた。


日本全国、電車に乗っても、デパートに行っても、地下街を歩いても、どこに行っても暑いほど暖房ががんがん効き、夜遅くまで照明が明々と灯され、デパ地下やスーパー、コンビニ、飲食店にいけばあり余るような食べ物が山のように所狭しと並べられ、自販機はどこにいっても嫌というほどあり、人気店には多くの客が行列を作り、若者は新型のスマートフォンやアイフォンを手にし、休日ともなれば大型量販店はマイカーで溢れ、年末や連休になれば、多くの人たちが西日本や海外に遊びに出かけ、被災地以外は、1年前とは全く何も変わらないかのような日常に戻っている。


テレビで報道番組のチャンネルを回しても、フクシマ原発のニュースは限られた放送局の番組をみない限り、ほとんど報じられなくなった。


今冬日本列島は、ことのほか厳しい寒さに見舞われたが、54基ある原発が2基しか稼働していないにもかかわらず、国民は電力不足などとはほど遠い、電力供給が安定した状態の中で生活できているのである。膨大な税金を投入しながら、原発は我々の生活にとって、なんら必要性がないものであったということにすらなる。

春から秋風が吹くまでの間、原発災害関連ニュースでメディアが喧しく報じたのは、津波、風評被害、電力不足、熱中症と絆の5つのキーワードであった。

東電は自然災害の被害者であり、国民はその東電を支援するために計画停電や、厳しい節電に耐え、熱中症のリスクを負ってでも、一致団結して電力不足にならないように協力をしなければならなかった。すでに安全神話が破壊され、代替エネルギーの重要性が問われ始めているにもかかわらず、熱中症のリスクを回避するためには、原発を再開するしかないというメッセージのすり込みがしきりに行われた。

その後唐突に脱原発を主張したばかりに総理の首はすげ変わったが、変わらぬ面々が閣僚入りし、キーワードは復興支援と増税一色にとって代わった。そして1年たった今、もう一つ、がれきの広域処理というキーワードが加わった。

菅おろしが終わってからは、被災地の復興のためにはマニュフェストに違反しても増税を実施することが当然であるかのごとくに正当化され、原発の再稼働は日本経済の空洞化を回避するために必要不可欠であるという議論が盛んに行われるようになった。

この1年の間に、原発災害をめぐる隠ぺいの事実や、電力会社や政官民学の癒着の実態などいろんなことが少しずつ明るみに出た。しかし、その事実を正面から受け止めて、しっかり報道し、厳しいまなざしを持って批判するという視点を持ち続けたのは、マイナーなケーブル放送局ぐらいのもので、その放送局もあえなく3月いっぱいで放送中止になるという始末である。

3.11の1周年には、各社満を持して特集番組を企画しているようだ。どこの誰それが、故郷に戻って復興に力を注いでいるだの、誰かがボランティアで復興のためにどんな支援をしたというような電気紙芝居を大量に作成し、絆や支援という言葉を巧みに操ってなだめすかしたり、一部の過激な政治家の言葉を借りて恫喝したりして、放射能汚染の可能性が否定できず、さまざまな化学物質が混じったがれきを、日本全国各地に、ばらまくための作戦に頭をしぼっている。

「フクシマの瓦礫は問題があるが、岩手や宮城の瓦礫は安全」などというようなことがどうして言い切れるのか、あまりにも国民を小馬鹿にした幼稚な議論であり、それをもってして、みんなで仲良く放射能の不安を分かち合おうなどというのは誤った全体主義である。

瓦礫の問題、被災地の復興についての考えはすでに繰り返しブログの中で明らかにしてきた。

メルトダウンの可能性が明確なものとなり、高濃度の放射性物質が大量に飛散しているときでさえ、「ただちに健康の被害はない」などと言って、国民をだまし続けた閣僚が、いくら宮城の瓦礫は安全だといっても、何ら説得性も持たない。

地方自治体の首長は、中央からの圧力に屈さず、政府の支援金などに惑わされず、放射性物質からできるだけ地元住民を、子供たちを守ることを第一に考えるべきである。危険性のあるものを排除するのは、危機管理の第1原則である。

主要大型メディアは、ひたすら政府と利益優先の大企業、電力会社に迎合することばかりをしてきた。女性タレントが占い師のマインドコントロールにはまって云々というようなゴシップならば、うるさいほど執拗に報じるけれども、権力者にとって都合の悪いニュースだと「パニックになってはいけないから」などとまことしやかな屁理屈をつけて情報統制をする政治家に加担しする。たまに申し訳程度に、ほんの一瞬報道したかと思えば、たちまちスポーツか何か他の全く関係のない差しさわりのニュースを入れて、混ぜ返してしまうか、ネットの場合はすぐに削除してしまうのである。

真実を追い求め、伝えるべき立場にいる人々が自己の使命を正しく認識し、日々伝えるべきことをきちんと伝えてくれていれば、薔薇っこは300も、こんなブログを書き綴ることはなかったと思う。大企業のトップやメディアや国を動かす官僚や政治家が、もう少しまともであってくれれば、「夜半の寝覚め」はこんな展開にはならなかったはずである。

高村氏は復興に関して、やみくもに元の状態に戻すのではなく、その前に、何が戻せて、何が戻せないのかよく考える必要があると述べたが、大変含蓄のある発言である。