2012年4月1日日曜日

「お友達が辞めるなっていったから、ボクやっぱり辞めないことにするぅ」:斑目委員長続投の理由

現政権が存続する限り、規制庁もどっちみち、これまでどおり原発推進派の官僚や政治家のシナリオ通りに発足されるだけのことである。したがって、いくら税金を投入して、そんな組織が新たに作られようが、全く何の期待も持てない。

それにつけても、規制庁の発足まで「ストレステストの審査など、原子力の規制機関として全力を尽くしていく」という、保安院の原子力災害対策監の言い草はふるっている。

規制庁は、大手メディアを上手く利用して、反原発、脱原発を唱える人たちを十把一絡げに、原理主義者だの、左翼だの、ひきこもりだのと、こき下ろして規制し、日本の原発の安全神話を復活させるための機関として、甦るのであろう。


「国防のために原発は必要」なんておっしゃっている政治家や官僚の皆様、そんなに国防が大切なのでしたらば、もっと真面目に真剣に、国を守る姿勢を、形にして示して頂けませんかしら、そして、これまでいい加減な危機管理をしてこられた責任者を処分すべきではないのでしょうか。

「『お友達が辞めるな』って言ったから、やっぱり委員長を続けるわ」なんて方、フクシマで水素爆発しているときに「アチャー」とおっしゃって、呆然と頭を抱えたとか、抱えないとか言われているような方を、いつまでも国の原子力安全委員会のトップに据えておくなんて、対外的に見ても、「国辱もの」なのではないでしょうか。

班目委員長 退任撤回で続投へ

3月30日 18時49分

3月いっぱいで廃止される見通しだった国の原子力安全委員会が、来月以降も当面、存続することになったことから、班目春樹委員長は退任の意向を撤回し、委員長の職務を続ける考えを明らかにしました。
しかし、先の見通しが立たないとして、伊方原子力発電所のストレステストの結果の審議をすぐに始めるのは難しいという認識を示しました。
これは、30日開かれた原子力安全委員会の会合のあとの記者会見で、班目委員長が明らかにしました。
それによりますと、安全委員会は、福島第一原発の事故を受けた国の安全規制の見直しで、原子力安全・保安院とともに今月末で廃止される予定でしたが、国会審議の関係で見通しが立っていません。
これを受けて、班目委員長は「3月末で区切りを付けたいと話していたが、ほかの委員から慰留され考え直した」と述べ、退任はせず、来月以降も当面、委員長の職務を続ける考えを示しました。

しかし、保安院から確認を求められている四国電力伊方原発3号機のストレステストの結果の審議については「外部の専門家にも意見を聞く必要があり、先の見通しが立たない中で、すぐに取りかかることは困難だ」と述べ、審議をすぐに始めるのは難しいという認識を示しました。
一方、来月16日で5人の委員のうち3人の任期が切れることについて、班目委員長は「行政の空白期間を作っては国民に迷惑をかける。今後の対応は、細野大臣と話し合っていく」と述べました。

保安院“全力尽くす”

「原子力規制庁」の来月1日の発足が困難になったことについて、原子力安全・保安院の森山善範原子力災害対策監は、30日の記者会見で、「保安院が存続するかぎり、福島第一原発の安全確保の維持やストレステストの審査など原子力の規制機関として全力を尽くしていく」と述べ、規制庁ができるまでは安全規制に責任を持つ考えを示しました。

保安院、原子力防災指針の改定に反対していた

内閣府原子力安全委員会が2006年の原子力防災指針の改定作業時に、原発事故発生時に住民が即時に避難する半径5キロ・メートルの区域(PAZ)の導入を検討しながら、経済産業省原子力安全・保安院の反対で断念していたことが15日わかった。
PAZが導入されていれば、東京電力福島第一原発事故で、住民が迅速に避難できた可能性がある。
 安全委が公表した文書などによると、国際原子力機関が05年、PAZの導入を盛り込んだ新たな防災対策の考え方を示したため、安全委は06年3月に防災指針の見直しを開始した。だが、保安院は同4月、「国民の不安を増大する」と検討の凍結を申し入れた。
 安全委は、「防災体制の向上のため(に見直しは必要)」と拒否したが、保安院は同6月、「現状の防災体制に問題はない」と抗議する文書を送付。結果的に、安全委は導入を見送った。
(2012年3月15日20時26分  読売新聞)



日本の原発、テロ攻撃対策も不十分-ウィキリークスの米外交公電


Reuters
福島第1原子力発電所
ウィキリークスの公表した一連の外交公電では、米当局者は日本政府側に対し、安全対策を強化するよう繰り返し促していたが、そのたびに日本側から拒否されていたという。
米国務省はコメントを拒否している。日本政府のコメントは8日現在、得られていない。
2007年2月26日、東京の米大使館は本国の国務省に送った公電で、「原子力施設の物理的な保護をめぐる米国の懸念」を伝えている。こうした懸念に対し、日本の文部科学省の原子力安全担当者は米側に対して「地元のニーズと資源から判断して、現場に武装警官を配備しなければならないほどの脅威はない」と述べたという。
問題となったのは、茨城県東海村の核燃料再処理工場で、プルトニウム貯蔵施設の役割も兼ねている。
ウィキリークスの公表した米外交公電によると、日本では一部の原子力施設に武装警官を配備しているが、東海村の施設を含む54カ所の原子力発電所の警備状況をみると、民間の警備会社と契約している場合、武装していなかった。日本では民間の警備会社の武装は禁じられている。
同じ公電によれば、日本側は、扱いに注意を要する情報に触れることのできるすべての原発職員に対する素性調査をするよう求めた米側の要求も拒否した。一部の原発運営会社は自主的に職員の履歴を検査したが、こうした素性検査は日本の憲法上、法的に義務付けられなかった。また、極めて微妙なプライバシー問題を提起しかねないと懸念する日本政府の意向もあったという。ただし、文科省当局者は、「非公式ならば」職員の素性を検査できるかもしれない、と譲歩したという。
北朝鮮が不安定で攻撃的な核政策を追求していることと、イラク、アフガニスタンでの米国主導の作戦に対する日本の役割を受けて、日本政府は近年、テロ対策を強化した。しかし、一部原子力施設で物理的な対策を強化したとはいえ、東京の米大使館から送られた公電では、欠陥と考えられる点が詳述されている。
例えば、日本はテロ攻撃に対してどう対応するか大規模な訓練を実施しているが、2006年に訓練を見学した米当局者は、訓練の台本があまりに周到に計画され過ぎていて、訓練の現実味がかえって薄れてしまっていると公電で書き送っていた。
日本が初めて政府肝いりで核テロに対する訓練を実施したのは2005年11月のことで、福井県の美浜原発で2000人近くが参加した。
この訓練の模様を詳述した2006年1月の公電によると、東京の米大使館当局者は訓練前に現地を訪問した。その際、福井県の当局者は米側当局者に対し、北朝鮮の潜水艦が周辺水域に出没していたことがあると述べ、北朝鮮によるテロ攻撃の脆弱性を懸念していると語った。米当局者は「この期間中、警備体制が敷かれたが、欠陥があるようだ」とし、「訪問した当日、商業原子力施設で警官がいたのを目撃したが、6人ばかりの警官の乗った軽装備車両で、警官の一部は居眠りしていた」と伝えた。
また、一部の原子力業界の幹部の中には2005年にこうしたテロ対策訓練を開始した際、その意味を疑う向きもあった。
例えば、2006年9月の訓練後に送られた米大使館員の公電によれば、東海村のトップは「私見」として「現地の住民にとって放射性物質の放出のほうがテロ以上に現実的な脅威だ」と述べ、どちらのシナリオを優先すべきか迷うと語ったという。