2011年12月17日土曜日

西日本新聞、原発批判の本出版中止: コピペ

http://www.asahi.com/national/update/1216/SEB201112160063.html

西日本新聞、九電への配慮否定 原発批判の本出版中止で

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西日本新聞社(福岡市)が執筆を頼んだ本について九州電力玄海原子力発電所でのプルサーマル発電を批判した記述の削除を求めた末、出版を中止した問題で、西日本新聞社は16日、朝日新聞の取材に応じ、「論理の飛躍や説明不足があり、出版をやめた。九電など特定の企業への配慮で出版をやめたことはない」と説明した。原稿の内容が原因とする主張に、著者は「最終段階で中止したことへの説明になっていない」と反発している。
西日本新聞社広報部は、同社側が原発に批判的な記述を含む部分の削除を求め、著者の環境活動家、田中優氏(54)が応じたにもかかわらず、出版を中止した一連の経過を認めた上で、「そもそも講演録を出版するという企画自体に無理があった。確認が必要な数字、データもあり、作業は膨大。著者、編集者双方にとって負担が大きかった」と説明。「どういうレベルでどういう判断があったか分かっていない部分はあるが、会社としての判断でやめた」と述べた。
一方、田中氏によると、昨年12月に出版中止を言い渡されるまで田中氏は約10カ月にわたり、西日本新聞社の編集者と出版に向けた作業を続け、出版委員会、経営企画委員会といった社内手続きを通ったと報告を受けており、川崎隆生社長の決裁を残すのみだった。田中氏は「加筆修正や確認が必要な内容が膨大にあるのであれば、社長決裁より前の段階で指摘があるはずで、論理的におかしい説明だ」と話す。
この問題は、西日本新聞社が田中氏に執筆を頼んだ地域づくりに関する本について、印刷に回す直前になって約160ページにわたる原稿のうち、原発に批判的な記述のある「再処理工場は必要なのか?」「おカネのゆくえ」など12ページの削除を「上層部の意向」として求めたうえ、田中氏が応じたにもかかわらず、昨年12月に出版を中止した。その際、編集者は著者に「会社の結論」として「新聞社としては少し荷が重すぎる」と理由を伝えており、田中氏は同社が九電に配慮して「自主規制したのではないか」と批判している。
西日本新聞社の大株主である九電の広報担当者は16日、出版中止への関与を否定し、出版計画について「事前に把握していないし、できるものでもない」と述べた。
西日本新聞労働組合(手島基委員長)は16日、会社側に対し、全従業員に事実関係を説明するよう申し入れた。

正義よりも金ですか、日本一の弁護士さん?

フクシマ原発によるセシウム汚染に対して、東電の弁護団は「セシウムは無主物だから東電とは関係ない」などと詭弁を弄し、東京地裁の裁判官は営業停止を余儀なくされた周辺企業の訴えを退けた。これは、今後のフクシマ原発に関する訴訟の方向性を占う上で極めて重要な案件であり、単なる一企業の敗訴と、高見の見物をしていてはならないものである。

日本の裁判は弁護士(弁護団)の力次第とよく言われるが、東電にくっついているのは、340名もの弁護士を擁する日本最大級の弁護士事務所だという。東電が我々の税金や高い電気料金から、どれだけ多くの弁護料を支払っているかと想像するだけでも、苦々しい思いがする。セシウムは無主物などという屁理屈をこね、東電の責任逃れをさせるために、国民は高い電気料金を、税金をむしりとられているという事実をもっと認識すべきである。

東電が合理化を進めているというが、それがどれほどのまやかしであるかは、この弁護団を見ればよくわかる。東電が合理化を徹底するというならば、裁判はすべて国選弁護人を立ててやっていただきたいものである。

それにしても、このような被災者側の敗訴の事案も、日本の大型メディアは、特にテレビはまともに取り上げようともしない。日本の司法の機能停止は、大王製紙やオリンパス事件などよりはるかに重要な国民的な議論になってしかるべき問題である。

日本は法治国家でもなければ、正義を追求してはならない国であるという事実をフクシマ原発事件の成り行きを見守ることで、初めて思い知ったのは、薔薇っ子だけだろうか。

以下は講談社のウェブサイト、「現代ビジネス 経済の死角」から転載する。フクシマ原発災害発生から、9が月、総理による冷温停止宣言だけは、各社一斉に大々的に報じられたが、どちらかといえば、収束不可能な状況から冷温停止の状態まで、東電側の努力で工程表通り、達成したよということと、もはやフクシマ原発周辺は戻っても安全だよという点ばかりが強調された感がある。

特にここ2,3ヶ月で、週刊誌はほとんど原発に関する話題を取り上げなくなり、テレビでも、フクシマ原発の問題や東電、日本の原子力政策、エネルギー問題について取り上げ、問題点を指摘するのは、古舘伊知郎とみのもんたぐらいのものになってしまった。

政府や電力会社は、「冷温停止」で、フクシマ原発問題を手打ちにし、問題を風化させ、気がついたときにはいつの間にか、原発の再稼働、増設が日本全国で当然のように進められてしまっていたというようなシナリオを描いているのだろうが、フクシマの悪夢を再現したくなければ、国民はこの問題から決して目を逸らさず、今後の成り行きをしっかり目を見開いて、見守っていかねばなるまい。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/29579

現代ビジネス 経済の死角

トンデモ裁判、呆れた論理
東電弁護団、それを言っちゃぁ、おしめえよ
「セシウムは誰のものでもない!
だから除染の必要はない」だって   「週刊現代」 2011年12月12日(月)



〔PHOTO〕gettyimages
 裁判は言葉遊びの場ではない。まして、問題は人の命に関わる原発事故なのだ。「セシウムはウチの所有物じゃないので、飛び散った分の責任は持てません」。この理屈、本気で言ってるんですか?

有名弁護士事務所の方々が

 法律がどうこう言う以前に、まずは社会常識の問題として考えて欲しい。
近所に、庭でゴミをガンガン燃やして黒煙を上げている家があった。その煙のせいで自宅の外壁は汚れ、庭は燃えカスと灰だらけ。迷惑この上なく、「自宅の外装を張り替え、庭をキレイにするための費用を弁償してほしい」と申し出た。
すると問題の家主は、こう主張した。
「ウチから出た煙は、もう〝ウチのもの〟ではない。だからどこに飛んで煤が落ちようと知ったことではない。そんなに掃除したいなら、自分ですれば」
こんな人物がその辺りの住宅街にいたら、正気を疑うレベルである。いわゆる「モンスター隣人」といったところだろう。
 だが、ほとんど同じような主張を法廷でしている企業がある。しかも、汚染源として問題になっているのは、ゴミを燃やす煙どころではなく、セシウムなのだ。
「事故で飛び出した放射性物質(セシウム)は、ウチの所有物じゃない。だから除染をする義務もなければ、カネも払えない」
そう言い張っているのは、福島第一原発の事故を起こした東京電力である。
この驚くべき「論理」が飛び出したのは、福島県内でゴルフ場を経営する企業が、東電に対して起こした裁判でのことだ。「サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部」の山根勉・代表取締役はこう語る。
東電さんとその弁護団のメチャクチャな主張には、正直、耳を疑いました。あちらの弁護士さんは、日本有数と言われる有名弁護士事務所の方々なのに・・・・・・」
同社のゴルフ場(サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部岩代コース)は、福島第一原発から西方45kmに位置する丘陵コース。今年は1~2月の冬季休業期間が明け、3月にいよいよオープンしようとした矢先に、東日本大震災が起きた。
ゴルフ場ではグリーンが陥没したり、カート専用道路に亀裂が走ったりするなどの被害が出たという。それでも自力で修復を行い、7月の仮オープンを目指していたが、原発から撒き散らされた放射性物質の汚染により、それも頓挫した。
「6月に二本松市役所が場内の放射線濃度を測定してくれたのですが、2つの機器の平均数値が、毎時2.2マイクロシーベルトと同3.2マイクロシーベルトでした。そのため予定されていた公式戦も中止となり、ならば一般のお客さんも入れるわけにはいかないという結論に達し、休業を決めたのです。以来、現在まで営業はしておりません」
コース内では、カート置き場の雨樋付近で毎時51マイクロシーベルト以上という高い放射線量を記録しており、最近では芝生や草を検査に回した結果、1kgあたり20万ベクレルという、チェルノブイリの強制避難区域を超える汚染箇所があることもわかったという。
ただ、休業により経営は傾いた。サンフィールド社は、東電に補償を求める書類も提出したが、取り合ってもらえなかったという。そのため8月に、東電に対し約8700万円の損害賠償と、放射性物質の除染を求め、東京地裁に仮処分の申し立てを行ったのだ。
するとこの裁判において、東電側の弁護団(梅野晴一郎、荒井紀充、柳澤宏輝、須藤希祥、井上聡各弁護士)が出してきたのが、前出の「セシウムはウチのものではない」といった論理だ。ここで、
本誌が入手した裁判資料で明らかになった、東電の主張の要旨を紹介しよう。
●「放射線の測定精度がそもそも信用できない」
件のゴルフ場では、前述の通り二本松市が、コース内の52ヵ所で放射線濃度の測定を行った。ところが東電弁護団によれば、「たった52ヵ所」だと言う。
〈測定が行われた場所は52ヵ所に過ぎず、その結果にばらつきがあることも考慮すると、前記の測定の結果のみをもって、本件ゴルフ場全体の汚染状況を推測することは許されない〉
 確かにゴルフ場は広い。しかし、数ヵ所や10ヵ所程度ならともかく、52ヵ所も測った記録を用いるのを「許されない」という主張はかなり強引な印象を受ける。しかも、行政機関が測定した公的な数値だ。そんなことを言われたら、たとえ避難区域内でも大半の場所が、「賠償など許されない」ことになってしまう。

「無主物」なんだって

●「年間1ミリシーベルトを超えたからと言って、直ちに健康被害があるわけでもない」「そもそもゴルフ場を休業する必要がない」
〈日本国内で、平時に年間1ミリシーベルトを超える自然放射線が観測される地域はあるし、海外では、年間10ミリシーベルトの自然放射線が観測される地域もある〉
 いわゆる「御用学者」がしばしば唱えている理屈だが、あまりに乱暴である。自然界の放射線と、原発事故で放出されたセシウムなどによる被曝を同列視すべきでないという識者も多く、いまの段階で「大丈夫」と断言するのは明らかに言い過ぎだ。その上、東電の弁護団は、こう主張する。
〈大人が娯楽のため任意かつ不定期に利用するゴルフ場において、空間線量率が年間1ミリシーベルトを超えたからといって、直ちに健康被害が生ずるとか、それ故にゴルフ場の営業を直ちに休止せざるを得ないということはできない〉
〈サンフィールドが主張する基準を超える空間線量を計測した地点は、福島県内だけでも広範囲に及ぶが、営業を行っているゴルフ場は多く存在する〉
 つまり、「セシウムを怖がって休業する必要はなかった」という。しかし、そんなゴルフ場で長時間プレーする客がいたか、甚だ疑問だ。同じ理屈で東電は、原発事故で故郷を失った人たちに対し、「セシウムを怖れて逃げる必要などなかった」と言えるのだろうか。
●「放射性物質は〝無主物〟である」「除染は自分たちでできるはず」
これが「セシウムは誰のものでもない」との論理である。
〈放射性物質のようなものがそもそも民法上の「物」として独立した物権の客体となり得るのか〉
〈その点が肯定されたとしても、債務者として放射性物質を所有しているとは観念していないことに鑑みると、もともと無主物であったと考えるのが実態に即している〉
 放射性物質は東電がそれをコントロールし、支配している所有物ではない。だから、責任を取って取り除けと言われても困る---。

恥ずかしくありませんか

この無責任な主張を、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は強く批判する。
「東電は、実に恥ずかしい会社だと思います。いくら法律上、そうした用語なり概念があるとは言え、誰が考えてもおかしい理屈です。
 もともと東電がウランを買ってきて所有し、それを核分裂させて生成されたのが、セシウムなどの放射性物質。れっきとした東電の所有物とみなすべきです。
 だいたい、これまでずっと東電は『原発は絶対に安全です。決して放射性物質をバラ撒いたりしません』と、主張していたのですよ。なのに結局は無主物どころか、強烈な毒物をバラ撒いたわけです。これで『自分たちには責任がない』と言うとは、どういう精神構造をしているのでしょうか」
さすがに、この東電サイドの「セシウム無主物論」は、東京地裁に認められなかった。裁判所も詭弁が過ぎると判定したのだろう。
しかし、裁判の「結果」は別だ。サンフィールド社が求めた除染実施の仮処分申し立ては、10月31日の決定で却下されてしまった。
 東京地裁(福島政幸裁判長)は、「サンフィールド社が東電に除染を求める権利はある」としながら、一方で「除染は国や自治体が行うもの」だから、東電はやるべきではない、だから申し立ては認められない、というのである。
では、国や自治体が東電に代わってすぐに除染をしてくれるのかと言えば、そうでもない。「除染の方法やこれによる廃棄物の処理の具体的なあり方がいまだ確立していない」ので、すぐにできないという。
 同様に、8700万円の休業補償の請求についてもあっさり却下された。こちらも東電の主張そのまま、「文部科学省が4月に出した学校の校庭使用基準である毎時3.8マイクロシーベルトを下回っているから、ゴルフ場を休業する必要はない」と言うのである。

裁判官もしっかりしないと

サンフィールド社の弁護団の1人は、こう憤る。
4月の文科省の基準はもともと暫定値実際に8月には、『年間1ミリシーベルト以下、毎時1マイクロシーベルト以下』と変更になりました。被曝線量がそれを超えた場合、速やかに除染せよ、というのが新たな文科省の見解です
 にもかかわらず、10月末に出た決定で、なんで『毎時3.8マイクロシーベルト』の基準が根拠になるのか、意味が分かりません
同じく弁護士の紀藤正樹氏もこう首を傾げる。
「『除染方法や廃棄物処理のあり方が確立していない』とまで言うのは、裁判長の個人的な価値観や政策評価が出過ぎています。これでは、現在行われている除染処理のあり方を否定することになってしまう。
 また『毎時3.8マイクロシーベルト以下なら営業に支障がない』という部分にも、裁判官の価値観が色濃く出ています。風評被害もあるわけですから、営業に支障がないと言い切るのは無理があります。
 全体に、裁判官の心証、価値観が東電側に傾いているようで、不公平な決定という感じがしますね」
 ゴルフコースからは、ストロンチウムまで検出されているという。そんな場所で「営業に支障がない」という判示は、国民一般の感情から乖離しているように思われるのだが・・・・・・。
東電側の弁護団を組んでいる「長島・大野・常松法律事務所」は、約340人もの弁護士を抱える日本最大級の巨大弁護士事務所で、法曹界では「四大事務所」の一角と言われる存在だ。
本誌が取材を申し込んだところ、「東電がこの件では取材を受けない、というスタンスなので、お答えすることはできません」と、あっさり断られた。
そこで、東電本社の広報グループにも質問状を送り、「セシウムは無主物である、などという主張は、一般社会の認識からかけ離れて非常識ではないか」などと質したが、こちらも、「係争に関わる事項ですので、回答は差し控えさせていただきます」とのことで、詳しい見解を聞くことはできなかった。
前出の小出氏は、東電や裁判所が原発の賠償問題と向き合おうとしない背景には「国」の存在があるとして、こう批判する。
「これまで原子力関係の裁判で、国が敗訴したことはありません。裁判官の世界も、国を困らせないような判決を出すことで出世していくシステムができている。原子力の問題に関しては三権分立など存在しないと考えたほうがいい」
もし東電が敗訴すれば、同様の訴訟が各地で一斉に起こり、収拾がつかなくなる。結果的に困るのは、東電が処理しきれない賠償を肩代わりすることになる国だ。だから、敗訴させるわけにはいかない---。
 しかし、それでは原発事故の被害者はいつまでたっても救われない。福島県いわき市で、事故の影響を受けた人々や企業を支援している弁護士の渡辺淑彦氏は、こう訴える。
今後、原発事故の裁判が、かつての公害訴訟のように、時間ばかりかかって賠償されない、という事態になるのを怖れています。風評被害により、地元企業には経営難が広がっていて、リストラされ無収入になってしまった人も増えています。今後、そうした人がどんどん増えていくでしょう。
国の出した指針では、避難区域外で解雇された人も、東電に賠償を求める権利があります。ところが私が直接、確認したところ、東電は、そのための書類すらきちんと用意していないのですよ。これでは『公平な賠償』など期待できません
セシウムは誰のものか。エリート弁護士軍団を使ってそんな屁理屈を捏ねているヒマがあるのなら、被害者救済のための書式を作らせるくらい、彼らにやらせたらどうか。
「週刊現代」2011年12月17日号より