2011年9月18日日曜日

この難局にあって政策より詭弁ですか?:経産相の不可解な辞任

個人的に、鉢呂氏を擁護する気持ちが全くないことを初めにはっきりさせておく。しかし、鉢呂氏の早過ぎる辞任は、あまりにも不可解な点が多い。今度の閣僚人事を見たとき、ある意味鉢呂氏だけが異例であると感じたのは、私だけだろうか。

端的に言えば、総理大臣を筆頭に、環境大臣・原発大臣も、財務大臣も、農水大臣も、半年間、除染作業を怠り、スピーディの公開を行わず、まっとうな放射線測定もせず、例えば、未だに会津の山脈で放射能の飛散を遮られた山向こうで収穫したようなコメの数値をもってして、「福島のコメは安全」などと言ってのけるような、「事態の深刻さをありのままに伝えずに極小化し、大企業や組合の顔色ばかり伺って原発の再稼働を進め、復興資金の基本は増税であてればいい」という霞が関の意向を素直に汲み、官僚の掌の上でころころ転がる与し易い面々であった。

そのなかにあって、鉢呂経産大臣だけが、原発に対してあららと思うような発言をしていた。細野氏や前任の海江田氏のような原発再稼働推進を促すような発言を行わなかったからである。恐らく党内のパワーバランスを考えれば、彼をその席に据えざるを得ない理由があったのかもしれない。民主党の党内政治のバランスシートなどにはおよそ興味がないので、そのことについては触れない。

鉢呂氏の人事には、最初から、「農水族に経済がわかるのか」というような批判があった。今にして思えば、「年収1500万円は中流層」と言ってのけるような経済通の海江田氏が大臣になったときも、東電から出された情報をそのまま平然とポーカーフェースで電波に乗せ、深刻な事態を国民に伝えることをあえてしなかった弁護士さんが今回経産大臣に指名されたときも、全くそんな批判が出なかったのは、誠にもって不可解なことである。とにもかくにも、就任9日目にして、鉢呂氏はあの激しいメディアによる集中砲火を浴びてあえなく辞任に追い込まれたのである。

まず、死の街発言であるが、死の灰という言葉は普通に使われている言葉である。死の灰を浴びた町という言葉は許されて、死の街はいけないのか。

確かに福島の人には気の毒である。しかし気の毒なのは、東電が引き起こした災害によって、人々が帰るに帰れない、そこで元の生活に戻る見通しが立たない、半年間除染作業もろくになされていないという事実そのものであって、死の街という言葉自体は、被災地のひどすぎる惨状を8.5マイクロシーベルトの地に初めて立って見た一人の男の中から自然に発せられたナイーブな発言に過ぎない。

政治家たるものが、被災地の人々の心情も配慮せず、ナイーブな発言をしていいのかなどという人もあるかもしれない。しかしそれを言うならば、原発事故は天罰であるなどいった政治家も同罪ではないか。

この報道に拍車をかけ、彼をして辞任にまで追い込んだのは、放射能発言である。鉢呂氏はなぜこのような幼稚な失言をしてしまったのか、むろん理解に苦しむ側面があることは否定しない。

しかし、高橋洋一氏によれば、この発言については各社それぞれ違った形で報道されており、ボイスレコーダーに収録されたわけではなく、かくとした根拠のないものらしい。

この発言が問題視されてから辞任に至るまでも大変早かった。任命したはずの野田総理は庇うこともなく、任命責任も取らず、あっさり辞任を認めた。

だが、一体なぜ鉢呂氏はこのタイミングで辞任に追い込まれたのだろうか。以下9月14付けの長谷川幸洋氏のニュースの深層に掲載された記事は大変興味深い。

鉢呂大臣は原発ムラを揺らがすような、「原発エネルギー政策見直し人事」を発表する直前だったというのである。政策の見直しに、それまで大多数を占めていた原発ムラの人に代わって、反原発、脱原発の立場をとる専門家を半数入れて、両論併記でもいいから、政策の見直しをしようと考えていたというのである。非常にフェアーな発想である。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/19475

事の真相について、高橋氏は以下で述べ、最後に、「本当に大事なのは失言スキャンダルではなく、政策である」と結んでいる。

官僚をうまく抱き込み、答弁用の作文をしてもらい、それをつらつら読み上げる雄弁な首相も、相変わらず上手く詭弁を弄する経産大臣も、確かに失言に関する限り、手抜かりがあるとは思えない。

メディアは企業や官僚の虎の尾を踏んだ政治家は、徹底的にスクラムを組んで、引きずり下ろす
というような行動様式を繰り返しているが、果たしてそれは国民の利益に資することなのだろうか。

我々はメディア報道に惑わされることなく、今こそ、しっかり事の本質を見極めなければならない。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/19197

高橋洋一 現代ビジネス 「ニュースの深層」 9月12日付
 

鉢呂吉雄経済産業相が9月11日、失言で辞任した。2日に野田新内閣で就任にしたばかりなので、9日の在任期間だった。

 昨年11月の柳田稔法相の国会軽視発言、今年7月の松本龍復興相の被災地での不適切発言に続いて、民主党政権になって失言による引責辞任は3回目だ。

 その失言は、東京電力福島第1原発事故周辺を8日に視察した際の感想である。9日の記者会見で、感想を「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だった」と述べたことと、視察を終えた8日夜、取材記者に対して「放射能をつけたぞ」と述べたことと報道されている。

 あらかじめ断っておくが、私は鉢呂氏を擁護するつもりは一切ない。鉢呂氏の政策についても、既存の原発の耐用年数を考えながら原発は基本的にゼロにするというのは現実的な話で評価するが、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の消極姿勢はいかがなものかと思う。ただ、今回の辞任が、政策失敗ではなく失言ということだけだと、かなり違和感を覚える。やはり政策議論をしてもらいたい。単なる揚げ足取りではこの国がどうなるのか心配だ。
鉢呂氏の発言は、政治家として脇が甘いが、辞任するまでの失言なのかとあえて言いたい。

各新聞によって違う「鉢呂発言」の中身

「死の町」という表現はたしかに被災地の人を失望させただろう。しかし、半年もたつのに、何も将来に対する展望を与えられない、この現実を放置しながら言葉尻だけを捕らえても仕方がない。本当に罪深いのは、人が住めない状況を放置しているのことなのだ。現状を厳しくみれば、一定地域には当分人が住めないのは認めざるを得ない。その場合、そこに至った原因追及とともに、これからどうするかという展望が必要だ。

野田総理は、鉢呂経産相が失言で辞任したことを受けて、「福島県民の心を傷つけ、深くお詫びいたします」と謝罪した。言葉で謝罪するだけでなく、きちんと展望を与えたなくてはいけない。そのために必要なのはおカネだ。

野田総理は財務省にいたときに教えてもらえなかっただろうが、かつては政府紙幣さえも省内で極秘に検討したことがある少しの法律を変えれば、例えば10兆円政府紙幣を一枚作って、それを日銀に持ち込めば、それで政府は10兆円の財源が作れる。今のようなデフレならインフレになる心配もないし、むしろデフレ脱却にも役立つし、円高対策にもある。それを被災者に一時金として配布すれば、政策としてもまっとうな話だ。


私がもっと問題だと思っているのが、2番目の失言「放射能をつけたぞ」である。この発言をした事実が正しいなら、あまりに子供じみているし、経産相の資質を疑ってしまう。

場所は衆院議員赤坂宿舎で、8日夜の帰宅時に記者10名程度に取材された時の様子だという。9日午前の記者会見で「死の町」発言があって、この「放射能」発言もぶり返したこともあるようだ。

しかも、鉢呂氏自身は、「しぐさはあったかもしれない」が、「そういう発言はしていない」と否定的だ。
ネットの上で、検索すると、9日深夜から10日にかけて各紙で報道されているのがわかる。各紙のいいぶりと掲載時間は以下の通りだ。朝刊最終版に向けて、各社必死だったのだろう。

「放射能をうつしてやる」(産経新聞 9月9日 23時51分)
「放射能をうつしてやる」(共同通信 9月10日 00時07分)
「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞 9月10日 01時30分)
「放射能をつけたぞ」(毎日新聞 9月10日 02時59分)
「ほら、放射能」(読売新聞 9月10日 03時03分)
「放射能をつけてやろうか」(日経新聞 9月10日 13時34分)
「放射能を分けてやるよ」(FNN 9月10日 15時05分)

面白いことに各紙でいいぶりが異なっている。
 記者であれば、大臣の談話はオフレコであろうと、メモだけでなくボイスレコーダーで記録しているだろう。それにも関わらず、各紙でいいぶりが違っているのは不可解だ。話をおもしろ可笑しく膨らませた可能性はないだろうか。こんなあやふやの話で閣僚が辞任する必要があるのか。

なお、8日夜のものは「オフレコの非公式懇談」なので、その発言を問題視するのはおかしいという政治家もいる。しかし、10名も記者がいてオフレコはありえない。私も官邸にいるときには、こうした場面に何回も出くわしたが、政治家にはオフレコと思わないでと念をおした。本当のオフレコは二人だけの取材のときだ。記者が複数いたら、政治家の心つもりとしてオフレコと思うほうがおかしい。

記者も大臣が辞任するほど重要な発言ならオフレコでも書いてもいい。しかし、それなら正確に書かなければいけない。「放射能」記事では各紙ともに「~の趣旨」でという曖昧な表現が多い。10名前後も記者がいるのに、誰もボイスレコーダーをもっていないはずない。今ではスマートフォンにも標準装備されているくらいなのだから。誰かが正確な話の記録を出してもいいくらいだ。

こういう空気みたいなことで、オフレコ発言で閣僚が辞めさせられるなら、今後トラップをしかける輩もでかねない。どうせなら政策論議で閣僚をとっちめてもらいたいものだ。穿った見方かも知れないが、政策議論ができない記者ほど、こうした失言をあげつらうことを好む傾向がある。
まあ記者も言い分があるだろう。13日の国会開催を控えて、政治で盛り上がるのが見えているから、取り上げたと。たしかに、国会の会期が4日と短く、予算委員会もないので、野党から見れば、失言に飛びつく。多くの良識的な国会議員が言うように、原則として通年国会にしたらいいだろう。

白川日銀総裁のでたらめ発言のほうがよっぽど罪深い

 ただし、マスコミは政策について不勉強なところがある。鉢呂氏の失言より、日本経済にとって遙かに害悪となっている発言をしても、問題にしないのはまずい。
例えば、白川方明日銀総裁の発言だ。各国中央銀行のバランスシート規模が拡大させ金融緩和する中で日銀だけが金融緩和をさぼり、デフレ・円高になっているという指摘がある(本コラム2010年1月8日号 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/60 本コラム2011年8月1日号)。

これに対して白川日銀総裁は、「日銀のマネタリーベースの対国内総生産(GDP)比は24.6%に達しており、米連邦準備理事会(FRB)の17.4%や欧州中央銀行(ECB)の11.5%を上回っている」とし、金融緩和が足りないとの批判について「明らかに事実に反している」と反論した。

日本は現金決済取引が多いので、以前からマネタリーベースの対GDP比は、カード決済などで現金をあまり使わない欧米より高かった。

問題はマネタリーベースの対GDP比の「水準」ではなく「変化」である。マネタリーベースの対GDP比の変化でみても、日本の金融緩和は足りない。
問題なのは「比率」ではなく「変化」。アメリカと比べれば一目瞭然だ
日銀クラブの記者は、日銀から教えてもらった話を書くばかりでなく、きちんとつっこんだらどうだろうか。
繰り替えすが失言スキャンダルなどよりも、本当に政治家や行政官の資質が問われるのは、政策なのである。