2011年10月11日火曜日

放射線教育の怖さ:何を子供たちに教えるのですか?

 震災から7ヶ月がたった。震災半年目は各局こぞって特集を組み、被災地の状況や福島原発の現状について取り上げた。しかし新しい野田政権になってからというもの、メディアが原発の問題、電力会社の問題について取り扱う頻度は顕著に減少し、福島で今も続いている問題は、国民の日常生活から日々遠いものとなりつつある。

そのなかで今日の「クローズアップ現代」では放射線教育について触れられていた。子供たちに、放射線についての正しい知識を与えなければならない社会的ニーズがあることはよくわかる。

しかし、そこで教師たちは一体何を子供たちに教えるのか、考えただけでも恐ろしいことである。

電力会社からたくさんお金をもらっている政治家や大学の先生たち、原発関連会社から広告料をもらわないと経営ができないマスコミや、電力会社と関係のある大企業の偉い人達、定年でお仕事を辞めた後も、また高い給料をもらって原発関連企業でお仕事をもらうことに一生懸命のお役人さん、そして東電や九電など、正しいことしか言わない電力会社の人たちが「正しい」と認めている「年間10ミリシーベルトまでならば、被曝しても健康に影響はなく、安全である」という考え方だけがまっとうな考えである。

つまり「年間1~9.999ミリシーベルトの被曝を危険だ」と言うような考え方は、電力会社からお金をもらっていない少数の先生しか支持していないから、大変間違った悪い考え方である。

そして子どもが年間1ミリシーベルト以上の被曝をすることは避けなければならないといった考え方をもったり、それを公の場で表明することイコール風評であり、それは、被曝地の人たちの生活を踏みにじる悪い考え方・許せない態度である

とでも教えると言うのだろうか。

放射性物質は洗えば落ちるから怖がらなくてもいい、半減期があるから心配する必要はないと言わんばかりの指導をするのはいかがなものだろうか。

洗って表面的に線量の低い魚や甲殻類であっても、内部被曝をしていれば当然危険であり、口に入れてはならないし、半減期は放射性物質の原子が半分になるまでの時間を言うのであって、半減期が来たらすべて消えてしまうわけではないこと、広島の原爆で放出された放射性物質と福島原発から漏出した放射性物質の量がどれほど違うかを正確に教えることも必要であろう。

セシウム137は半分になるまでに30年もかかり、60年たってもやっと4分の1になるに過ぎない。外界に放出された、気の遠くなるような大量のセシウムが60年経って4分の1になったとしても、それはまだまだ途方もない数値であることに何ら変わりはないのである。

プルトニウム239は半分になるだけで、24000年もかかる。たった一度でも原発で今度のような大量の放射能漏れが生じると、どれほど広範囲にわたって、取り返しのつかない大きな災いをもたらすか、汚染がどれほど遠くにまで及ぶかをきちんと知らしめ、子供たちに現実をしっかりと直視させてこそ、真の科学教育と言えるのではないか。