2011年8月8日月曜日

つれづれなるまゝに: 虫けらにも一分の魂

つれづれなるまゝに、日くらしPCに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ

3月5日に、「夜半の寝覚め」を立ち上げて5ヶ月が過ぎ去った。ブログを始めたときには、それから1週間もたたないうちに、世界史に例のない大きな未曽有の原発災害がこともあろうに原子力の科学技術の最高峰であるこの国で起こり、他国の力にすがり、運を天に任せなければ、自らの力では手も足も出ない状況に陥るなど、全く想定外であった。


ブログは、眠れぬ夜のてすさびにと始めたものである。1、2ヶ月に1度、眠れぬ夜などに、まったりと海外生活の経験談や趣味を中心に更新するつもりでいた。それゆえ、自分のブログに原発災害だの、放射能汚染だのという禍々しい言葉が連日洪水の如く溢れるなど、考えもしなかった。


しかし3.11が薔薇っ子を大きく変えた。海外の知人から次々に入って来る情報と国内情報の落差の大きさに驚くことから始まったが、様々なニュース源を注意深く見ているうちに、情報が非常に偏っていること、そして大本営発表と同種の危険な情報操作が行われていることが次第に分かってきた。


中国ではないが、いくら情報操作が行われても、今は外からの情報がいくらでも入手できる時代である。事の全貌が明らかになるまでそれほど時間はかからなかった。


メディアの報道に関する偏向については、前からいろいろと感じるところはあった。


けれども、大本営発表のような情報操作がこの時代に、こんなにも露骨にこの国で平然と行われていることに薔薇っ子は愕然とした。


そして、それ以上にメディアや電力会社、行政の巧みな情報操作によって長年覆い隠されていた原発の実態について、多くの人々と同様、自分は何も知ろうとしなかったことに気付かされた。


そして、原子力発電に反対している人達を、十把一絡げにして、「政争の具にして、国のやることにいちゃもんを付けたり、反対しさえすれば良いと思っている人達」と決めつけ、原子力の平和利用についても、「平和利用なんだから、推進したらいいんじゃないか」という程度で軽く流してしまっていたことを心から恥じ入った。


しかし原発災害は、自分がまったり何も考えずに安穏に暮らしている間、様々な迫害や買収の誘惑にも屈せず、志を貫いて茨の道を歩んできた官僚や学者がまことに少数ながら、この国にも存在していることを知る機会にもなった。産官学民一体の腐敗した癒着構造の中で、彼らのような存在がこの国にまだあったという事実は奇跡であり、大きな救いでもある。


多重災害と政治の機能不全、財政危機という国難の中で、専門家でも評論家でもない一市民の自分は何を思い、何を感じ、何を考えていたのかを記録し、この時代を生きた証としたいという気持ちが、ふつふつと湧き上がり、いつしかそれが自分自身をPCに向かわせる大きな動機にとって代わった。


特に、海外メディアの「日本人は、このような状況にあっても、何も考えず、羊のように従順におかみの言うなりになるばかりのお人好の国民か」といった発言を見るにつけても、今こそ一市民としての考えを示すことが必要であると考えるに至った。


こうして夜半の寝覚めは、3.11を機に、3月5日の第1回目のブログと、その後のブログが全く異質なものとなった。そのあまりの落差に、第1回目のブログを削除しようと考えたこともある。


原発のことも、エネルギーのことも、全く視野になく、ただただ便利な生活を当たり前のものとして享受していた第1回目のブログに象徴されるような自分が情けなくもあったからである。


しかしそれは明らかに3.11以前の自分の姿を記したものであり、あえて削除せず、これを残すことで、自分自身への戒めとするために、残すこととする。


ちまちまと庶民が思い思いに綴るブログを政府機関が監視するという嫌な時代がまたやってきた。しかしこの国は憲法で言論の自由が保証された民主主義の国


取るに足りない一市民の問わず語りではあれど、


虫けらにも一分の魂である。



おぼしきこと言はぬは、腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず