2011年6月11日土曜日

大規模な集団疎開が必要だったのでは?:震災から3ヶ月

被災地で復興に必死になっている人たちに対して決して水を差すつもりはない。
しかし、震災後の対応は本当にこんな形で進められてよかった・よいのだろうか。

震災から3ヶ月というが、それは被災者にとって決して短い期間ではない。

必死の作業にもかかわらず2000万トンと言われている瓦礫の撤去は進んでいない。山積みになった瓦礫は撤去する場もないという。

瓦礫を全部撤去できたとしても、大規模な河岸工事、10数メートル以上の津波にも耐えうるような防波堤、防潮堤を海岸線上に、数百キロにわたって修復・設置しなければ、台風や大雨による洪水、津波などが押し寄せれば、ひとたまりもない。

被災地によっては90日たった今なお、1日一人につき、菓子パン1個とおにぎり1つしか支給されない場所もあれば、水道が復旧したといっても、塩分が多すぎて飲料水にならない場所もあるという。

せっかく2万7000戸以上の仮設住宅が建っても、ニーズに合わないとかなんだとかの理由で入居を断る人が多く、入居率は40%程度でしかないという。

米や野菜を作ろうとしても、塩害で稲が枯れ、畑の土は異臭を放つという。

病院が津波に飲み込まれた町では、新しい病院を建設する建設費の要求を国に出そうとしているが、医師不足は否めない。足らないのは医師だけではなく、役場の職員や学校教師も全国から募らなければならないような状況である。

神戸の震災とは異なり、あまりにも広範囲であり、しかも原発震災が復興に大きな歯止めをかけている

東北沿岸部は漁業の復興に向かって懸命になっており、海藻の種付けも始まったという。
けれども、フクシマの海の放射能汚染は、容赦なくじわじわと太平洋に広がり続ける。
食物連鎖によって春から秋にかけて、この地域に生息する中型魚、大型魚が大量に内部被曝してしまったら、この沿岸部の人たちの血の滲むような努力はすべて徒労に終わってしまう。

政府は東北の水産業を守るために、国際機関による海の汚染の調査を禁じ、独自の測定法で、東北の海産物の安全宣言を出し続けるつもりなのだろうがーー。

この震災は、神戸の震災とは違い、あまりにも広範囲であり、しかも原発が復旧・復興に大きな歯止めをかけている。

政府は必要に迫られると、朝令暮改であわてたように、ちょろちょろ細かく避難区域を指定したり、変更したりと場当たり的な対応を繰り返してきたが、本当にこのような対応でよかった・よいのだろうか。フクシマだけをとってみても、避難区域が変わる度に避難場所を転々とした人々がいたけれども、最初にもっと遠くに多くの人たちを避難させておけば、何度も転々としなければならないような事態にはならなかったのではないか。

被災者が地域に愛着を持って、できるだけ故郷から離れたくないという気持ちを持つことは当然である。

しかし、震災の被害が大きくちょっとやそっとの復旧・復興作業では元に戻せない程のものならば、国のリーダーは津波被害の大きさとフクシマのメルトダウンを知った最初の早い段階で、新しい法案を作ってでも、東北3県の被災者の大規模な集団疎開を決定するという英断を下すことが必要だったのではないだろうか。

日本の中には、人口減少によってその地域の産業が維持しきれなくなった地域はたくさんある。東北の人たちがもつ様々な専門的なノウハウを、そうした地域で十全に花開かせることは、いくらでもできるのではないだろうか。

そのようにして全国の過疎地と言われている地域に、多くの人々が流入し、様々な地域を活性化させ、過疎をなくしていく。そんな国土復興の大きなビジョンをもって、この国を力強く牽引してくれるような人材は、この国にはいないのだろうか。

首相の私的諮問機関にすぎず、多くは期待できないとはいえ、「初めに増税ありき」の復興構想会議はあまりにもお粗末であると言うしかない。

http://news24.jp/articles/2011/06/11/07184344.html


震災3か月 今なお9万人超が避難生活

< 2011年6月11日 13:10 >
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東日本大震災の発生から11日で3か月がたった。死者は1万5000人を超え、今も9万人以上が避難生活を余儀なくされている。
警察庁によると、10日現在、震災による死者は1万5405人となった。また、いまだ8095人の行方がわからないままとなっている。一方で、9万109人が避難所での生活を続けている。
がれきの撤去も進んでいない。環境省によると、仮置き場まで運ばれたがれきは宮城県で推計総量約1600万トンのうち19%、岩手県で同約500万トンのうち33%、福島県で同約290万トンのうち16%にとどまっている。

原発、こんな事故調査委員会でいいの?

何日か前に原発の事故調査委員会のメンバーについて書いた。この国の施政者たちが、この災害を国難として深刻に受けとめ、国民の健康安全を守るために、目をそらさずこの災厄に向きあい、責任の所在を明らかにすることの重要性をどれほど認識しているかの指標になると思われたからである。

畑村氏が委員長として選出されたという第一報を聞いた時点で、この委員会には何が求められているのかおよその察しがついた。

ここでは委員長を始めとした非専門家集団を組織して、「今度のことは、日本社会や、日本の企業文化に責任があることであり、東電(電力会社や省庁や政府は責めを負うべきではない。」

「人間には失敗はつきもの、人間は失敗にしか学べない存在なのだから、電力会社は何度も失敗を繰り返しつつ (深刻な原発事件を何度もあちこちで繰り返しながら)、原発の安全性を高めていけばよいのだから、めげずに頑張ってください。」

とおよそこのような線で手打ちにするつもりであろう。

実際、先日選出された委員会の構成メンバー、「この委員会では、責任追及は一切行わない」といった70歳を越えた委員長の、後世に残るような結果を出すためには10年、20年かかるかもしれないといった発言、「この委員会では、責任追及は一切行わない」と言った発言から、「これでいいの?」という疑念がますます強まってしまう。

司法に携わる人達は、私企業が引き起こしたこの上なく大きな人災に対して問題への責任追及も行わずに済ませておいてよいと考えているのだろうか。そうして手をこまねいている間に、どんどん時間は流れ、関係者の記憶の曖昧性はますます正当化され、大切な証拠はどんどん消されていく。

東電は内部に事故調査委員会を作ったという。結局、都合のいいデータだけを揃えて、今回の事故は想定外の津波によるものであり、原発の前にちょっとした防潮堤を作って津波対策さえすれば、電源車を配置するなどして予備電源さえ確保すれば、原発の安全性は確保できるというところに持っていくつもりなのだろう。

そんな茶番に労力を費やす暇があるのならば、本店の正社員は一丸となって、フクシマの学校の校庭に積まれた汚染土を、東京の下水処理施設に溢れた汚泥を、原発の敷地内に移送する作業をすべきなのではないのか。

事故調査委員会は、国政調査権のある国会の中につくるべきという議員さんもいる。たしかに内閣の中に置くよりはましかもしれないが、今度の原発問題の責任は現政権にのみ帰するものではない。前政権の責任を不問に付すようでは、問題の核心を追及するには至らない。