2012年1月24日火曜日

原子力なしでやっていけないのは、国ではなく、貴方では?

毎日新聞が、政財官学と原子力事業の癒着の構図をさらに詳しく解明した。

こんなに多額の助成金を得ながら40年余の間、原子力ムラの学者先生たちは、どんなに立派な研究をしてきたのだろうか。

工学部なのに、GEの設計だからという理由で、フクイチの原子炉のベントのしくみさえわからなかった?使用済燃料をあんな場所に置いたら、大災害がおきたときに何が起こるかという想像さえできない?

そんなことってあっていいのでしょうか?

日本が地震大国であることを説明し、この地方が昔大津波を受けていることを説明した上で、非常用電源はどこに置いたらいいでしょう?と説明して、東電と同じ答えを出すような、出来の悪い小学生って何%いるでしょうか?

科学者が(安全)神話に酔いしれているという時点で、もはや科学者失格なのでは?

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120122ddm001040077000c.html

この国と原発:第4部・抜け出せない構図/1(その1) 重鎮学者が会社設立

 ◇資金調達、直弟子に寄付

06~10年度、東京大で原子力を専攻する研究者が受け取った奨学寄付金を集計すると、意外な結果が出た。最も多額の寄付をしたのは、「IIU」という無名の株式会社で計600万円。三菱重工業(計567万円)やIHI(計400万円)などを上回る額だ。寄付額6位にも、NPO法人「日本保全学会」(計327万円)という耳慣れない組織が顔を出している。
背景を探ると、学者自身が企業や学会を作り研究資金を調達している構図が浮かんだ。
 IIUと保全学会には共通点があった。ともに03年、宮健三・東大名誉教授が設立し、トップを務める。IIU本社は東大本郷キャンパスから100メートルほどのビルの一室にあり、保全学会事務局も同居する。宮氏は東大で原子炉機器工学を研究。01年の退職後も原発老朽化対策を検討する国の委員会の委員長などを歴任し、学界の重鎮として知られる。
 両組織からの東大への寄付は、ほぼ全てが大学院原子力専攻長を務める上坂充教授と、同じ研究室の出町和之准教授あてだ。両氏とも宮氏の教授時代、研究室に助教授や大学院生として所属した「直弟子」にあたる。
 IIUの登記簿などによれば、原発の維持管理技術開発などが主な業務で、電力会社からも仕事を受託。独立行政法人・原子力安全基盤機構から助成金を受けたこともある。
 保全学会も原発の維持管理技術がメーンテーマ。法人会員には電力各社や三菱重工業、東芝など67社が名を連ね、役員は研究者や電力会社幹部が務める。10年度収支計算書によると、2049万円の会費収入のほか、講演会の事業収入などが4628万円あった。
 上坂氏らに集中して寄付するのはなぜか。宮氏は取材に当初、保全学会の寄付について「上坂先生らが参加する保全学会の分科会で、軸受けの損傷を測定する技術を研究している。その研究への助成金」と説明した。支出の手続きについては「分科会には主査や幹事もいて、参加者の合意で審査している。メンバーは個人情報なので言えない」と答えた。IIUについては「私企業なので」と説明を避けた。
ところが、保全学会が発行する学会誌の記事から「審査」の状況が判明する。
東京電力福島第1原発事故を経験しても、この国の「原発推進」体制は変わっていないように見える。なぜ抜け出せないのか。構図を追う。
毎日新聞 2012年1月22日 東京朝刊

この国と原発:第4部・抜け出せない構図/1(その2止) 資金支出、自ら審査

<1面からつづく>

 ◇学会分科会参加、事業者から年1500万円

日本保全学会(会長、宮健三・東京大名誉教授)の学会誌「保全学」10年7月号に、「『状態監視技術の高度化』に関する調査検討分科会」の活動報告が掲載されていた。まさに宮氏が挙げた、軸受けの劣化を監視する技術の研究などがテーマの分科会だ。
 実は、分科会全体の主査は宮氏本人だった。「技術」と「調査」のワーキンググループ(WG)があり、技術WGの主査は上坂充・東大教授。調査WGの主査は、保全学会副会長で、財団法人発電設備技術検査協会の山口篤憲氏が務めた。同協会の理事には宮氏が名を連ねる。
 自分たちで審査し自分たちに支出する「お手盛り」だったのではないか。改めて宮氏に取材すると、「他の参加者にも諮って民主的に決めている」と説明する。上坂氏は東大広報課を通じて「多忙のため取材に応じられない」と回答した。
 この分科会には、原子力を巡る「業」と「学」の関係も如実に投影されている。
 学会ホームページによると、分科会には大学などの研究者のほか、原子力関連の企業22社、化学プラント事業者など原子力以外の10社が参加。研究者は無料だが、原子力関連事業者は年50万円、それ以外の事業者は年40万円の参加料が必要だ。この分科会だけで電力会社などから年1500万円の研究資金が集まることになる。
 電力各社はこれ以外に、年15万円(1口)の法人会員費も払う。複数の社が電気料金への上乗せを認め、最終的に負担するのは国民だ。
なぜ、企業側は協力するのか。電力各社は「学会の活動の成果を当社の原子力プラントの保全業務に反映させることが安全を確保するという観点から、法人会員として参加している」(東京電力)などと説明する。
だが、技術評論家で元日本原子力研究所研究員の桜井淳氏は別の見方をする。
 「東大の先生に自由に電話でき、訪問できるパイプを作るためだろう。例えば、電力会社が経済産業省へ許認可を申請し、審査担当者から『この結論の根拠は』と聞かれた時、『東大の先生に助言をいただきました』と言える。審査側からみれば大変なお墨付きで、それだけで『それでよろしいでしょう』というくらいの意味を持つ」
かつて高レベル放射性廃棄物最終処分場を誘致する動きがあった長崎県新上五島町。キリシタン墓地や教会など独特の文化を持つ静かな島だ=袴田貴行撮影
かつて高レベル放射性廃棄物最終処分場を誘致する動きがあった長崎県新上五島町。キリシタン墓地や教会など独特の文化を持つ静かな島だ=袴田貴行撮影

 ◇処分場、故郷誘致図る イベント主催「安全と説明を」

宮氏の活動はこれだけにとどまらない。
 05年8月6日長崎県・五島列島の小さな集落、新上五島町奈良尾地区で「科学まつり」が開かれた。放射線測定などの実験ブースが並び、「NUMO」(原子力発電環境整備機構)とロゴの入ったトラックも到着。荷台を改造した展示スペースには、高レベル放射性廃棄物最終処分場の安全性をPRする模型や図表が並んでいた。
 主催したのは「日本の将来を考える会」(IOJ)というNPO。代表は宮氏だ。宮氏は奈良尾集落の出身。「理解を深めてもらうための活動」と言うが、実態は故郷への最終処分場誘致活動だった。
 登記簿によれば、IOJの活動は「エネルギー問題などの解決に貢献するための啓蒙(けいもう)及び実践活動」。所在地もIIUや日本保全学会と同じ東京都内のビルの一室だ。役員は大学の研究者や電力会社幹部などで、保全学会役員との兼務も少なくない。
 反対運動を始めようとしていた同町の自営業、歌野敬氏(60)が会場を訪れると、リハーサルの最中だった。歌野氏によると、宮氏は説明担当者に「専門的な説明をしても一般の人には分からない。『絶対安全』と言いなさい」と指導していたという宮氏は「7年も前のことだから記憶にないが、そんなことを言うはずがない」と反論する。
誘致活動は05年春ごろ、宮氏から建設業者の町議に連絡があったのが発端だった。「島の振興策になる。まずは勉強してみたらどうかという趣旨だった」と町議は振り返る。宮氏に資料を送ってもらい、建設業者や地域活性化の活動をしていた町民ら数人で勉強会を始めた。
 同年6月には宮氏の勧めを受け計2回、NUMOの費用負担で町議や町民計29人が青森県六ケ所村の核燃料再処理施設を視察した。こうした動きが7月に新聞報道で表面化。住民の反発が高まり、誘致活動は立ち消えとなった。
今、町議は「国内に処分場をつくるのは、国民感情からいって無理だろう」と話す。その後、宮氏と連絡は取っていないという。
 宮氏は「原子力なしでこの国はやっていけないという信念を持っている」と話す。昨年11月、IOJのホームページに掲載した論文で、東京電力福島第1原発事故後の「脱原発」の動きを批判した。
「原子力は電力を30年以上にわたって安定供給する貢献をしてきた。それにもかかわらず国民に正当に評価されていない。評価されていないどころか『放射能』を放出するものとして負の面だけが強調されており、今では反対派とこれに同調するマスコミは原発廃止を訴え続けている」

 ◇大学内の異論、「ムラ」が圧力 東電社員「留学して。費用は出す」

 東京大を頂点とする「原子力ムラ」には、異論を唱える人を排除してきた歴史がある。東大工学部原子力工学科1期生の安斎育郎・立命館大名誉教授(71)は、東大助手時代から、さまざまな圧力や嫌がらせを受けた。
「江戸時代の村八分は葬式と火事は別だったが、(福島第1原発事故という)火事が起きているのに手伝わせてもらえない僕は『村九分』かもしれない」
安斎氏が原子力工学科に入ったのは1962年。次代を担うエネルギーに魅力を感じたからだ。「放射線の安全管理が鍵」と考え放射線防護学を専攻。医学部に移って助手となり、「科学者の社会的責任」を掲げる日本科学者会議に加わった。
会議の一員として呼ばれた原発立地予定地の勉強会で、原発の安全性を巡って住民の質問攻めに遭った。政治や経済まで必死に勉強した結果、次第に疑問が膨らんだ。そして32歳だった72年、日本学術会議で国の原子力政策を批判したのが転機となった。
 研究費が回されなくなり、研究発表は教授の許可制となった。大学院生を教えることも禁じられた。
地方に講演に出かけると、「安斎番」と呼ばれる東京電力社員が後をつけてきた。研究室の隣の席は東電から派遣された研修医。「安斎さんが次に何をやろうとしているか探るのが任務だった」と後に告白された。東電社員に飲みに誘われ、「3年ばかり米国に留学してくれないか。費用は全部持つ」と持ちかけられたこともある。「ここからいなくなってくれ、という意味ですがね」(安斎氏)。
 86年に立命館大に移るまでの17年間、安斎氏は助手のままだった。「安全性は、自由な批判精神の上で一歩一歩培われる。自由にものを言わせないこの国の原発開発が、安全であるはずがない」
 特殊法人「日本原子力研究所(原研)」(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)も同様だった。
 原研の元研究員で技術評論家の桜井淳氏(65)によると、原発建設が相次いだ60年代後半から70年代軽水炉の安全性に疑問を呈した研究員が左遷されたり、昇任できないなどの例が相次いだ。67年には旧科学技術庁の指示で、研究発表が許可制になった。桜井氏は「見せしめ的な人事で反体制的な人間が出ないようにした。その体質は今日まで続いている」と話す。
 日本原子力研究開発機構によると、現在も研究員が学会などで発表する際には機構の許可が必要だ。=つづく
毎日新聞 2012年1月22日 東京朝刊