2011年7月8日金曜日

モノを言わない個人株主は単に勇気がない人達?;電力会社の場合

WSJの日本版コラムに野尻氏という起業家が東電株主総会の状況についての分析がなされていて、いろいろなからくりがよくわかり、大変興味深かった。

世の中の出来事を文化論で解釈する向きは多いが、このエッセイもそのひとつかも知れない。彼は東電の個人株主の多くが、本当は原子力からの撤退を望み、経営陣の退陣を望んでいるにもかかわらず、黙って許したのは、声を出す勇気に欠いていたからであると考え、「物言わぬ」日本文化論の枠組みの中でこの出来事を捉えようとしている。

しかし実際にそうだろうか。

大型投資家のみならず、小口の投資家たちだって、これまでこの会社が原発にどれほどの投資をしてきたか知らないものは誰もあるまい。

にもかかわらずここで原発完全撤廃にうかうか賛成などして、それが現実のものとなれば、廃炉と使用済み燃料の処理廃棄だけを考えても膨大な費用が発生し、東電は今のような形では存続できなくなってしまうかもしれない。

そうなれば株は無配どころか、株券は完全な紙切れになってしまう。それを望む個人投資家はどれほどいるだろうか。

今の経営陣だからこそ、今の経営体質を出来る限り現状維持させ、存続させてこそ、東電はこれまでどおり、ぬくぬくと政府に守られ、テレビ局に守られ、御用学者に守られ、そのうちにほとぼりが冷めれば、また全原発を再稼働させ、これまでどおりノーリスク・ハイリターンで、配当がざくざく懐に転がり込んでくるに違いないと考えているからこそ、物言わなかっただけなのではないのか。

そして、経営陣が強気でいられたのは、もたれあいの関係にある大型株主のバックアップがあったからというだけではなく、ノーリスク・ハイリターンの味をしめた大多数の個人投資家が、その既得権をあえて放棄するような投票行動にでることはないことを初めから見抜いていたからなのではないか。

個人投資家の中にもいろんな人がいるように、自分が損をしてでも、株主総会でものを言おうという人々の中にもいろんな人がいるとは思う。しかし明らかに言えることは、ものを言おうとする人の多くは金儲けだけが目的で、株主になった(なっている)人々ではないということである。

東電株主総会の結果は、そういった人々が個人株主の中でも、ごくごく少数であるということの現れに過ぎない。それは原発交付金の恩恵に良くしている自治体の首長や地元住民に意見を求めても、ほとんどの人々が、正面きって原発に反対しない理由とほとんど何も変わらない。

九電のやらせメールの社長は進退に関する明言を避け、会長が社長を遺留しようとしているらしいが、電力会社は何でもやり放題で、何をしても経営陣や株主に厳しい経営責任を求めないシステム、一部の人間が、ただそこにいるというだけの理由で、高い利潤や待遇を得るという電力会社をめぐる不公平なシステムを抜本的に変えていかない限り、何も前進しないということである。


http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_268805

【日本版コラム】東電株主総会に見る「もの言わぬ」日本社会

野尻哲也のアントレプレナー・アイ


東京電力の勝俣恒久会長は、いつ勝利を確信したのだろうか。東電にとって当面の山場の一つである先月28日の株主総会を控え、経営陣は前もって大株主から委任状を取り付けたに違いない。とはいえこの安定株主工作をもってしても、今回の株主総会を「出来レース」と呼べるほど票読みは甘くなかったはずだ。
株主総会Reuters
東京電力の株主総会会場前(先月28日)
 3月末時点における東電の株主構成は、個人株主が保有株数ベースで43.7%を占めた。他方、機関投資家を中心とした大株主のシェアは、上位10社の株式を全て足し合わせても全体の24.1%。この数字が示す通り、個人株主の動向次第では東電の経営に大きな変動が起こる可能性があったわけだ。
 しかし現実には、山は動かなかった。第1号議案(取締役の選任)および第2号議案(監査役の選任)は、ともに賛成多数(勝俣会長の再任は賛成81%、反対16%)。そして株主提案による第3号議案(原子力発電からの段階的撤退)は、賛成8%、反対89%という大差で否決された。つまり大株主はもちろんのこと、個人株主の多くもまた取締役会を是認したことがうかがえる
もの言わぬ株主たち
 それにしてもどうしてこれほど多くの個人株主が、東電取締役会を支持したのだろうか。現在の世相を見る限り、意外な結果のようにも映る。実際、個人株主が取締役会を「積極的に」支持したかどうか、本当のところは明らかではない。というのも今回の総会では、無投票(議決権を行使しなかった)株主は第1・2号議案に賛成、そして第3号議案については「自動的に反対」と取り扱われたためだ(この旨は議決権行使書に記載されている)。東電の株主総会に対する世間的な関心は非常に高かったが、一方で議決権を行使する個人株主は一般的に言ってそれほど多くない。
 そしてもう一つの懸案、総会における動議についてはしっかりと対策が取られていた。動議には「議案修正動議」と「手続的動議」の二つがあり、特に後者は総会に出席した株主および代理人によって採決される(なお議案修正動議は、議決権行使書も反映されるため、可決の可能性は低い)。この手続的動議では議長の交代や休憩などを採決でき、実際に東電の総会でも同様の動議が発せられた。しかし東電の防御は堅い。日本経済新聞電子版によると、総会に出席した株主の議決権は合計130万個強であったが、東電が事前に委任状を受けていたのは108万個に及ぶという(第2位株主の第一生命と、第3位株主の日本生命の議決権合計に一致)。つまり、この大口株主代理人の手をもって、全ての動議は過半数によって否決された。
 株主総会のメーン会場前列には、東電関係者とみられる動員株主が大勢陣取っていたそうだ。彼らは他の株主の怒号や請願を意に介すことなく、議長の発言に白々しい拍手を送っていた。震災と東電福島原発事故から3カ月余り。事故の収束や補償は遅々として進展しないが、こと株主総会対策に限っては、東電経営陣は万全の準備を重ねてきたようだ。
役員たちは信任されるに値するのか
 このようにして東電の株主総会は、結局「もの言わぬ株主」が取締役会の期待に沿う形となった。しかしこれにはかなりの違和感がある。第3号議案の原発への賛否は別として、株価が大幅に下落した事実があるなか、現行の取締役を無条件に再任するというのは投資家として尋常な判断ではない。特に機関投資家はその運用資金の出資者である顧客の利益を守らなければならないのだから、取締役会を厳しくただす必要があるはずだ。それにも関わらず彼らが口を閉ざすのは、今なお「もたれ合い」の構造が経済界に存在し続けていることを明示している。例えば東電は、第2位の大口株主である第一生命と株式を持ち合っている。更に第一生命の前社長である森田富治郎氏(現在は特別顧問)は、今回の株主総会まで東電の社外取締役を務めていた。
 東電は原発事故の主因を「想定外の津波」と主張しているため、強引な理屈ではあるが株価下落も同じく自然災害が原因で、現行経営陣には特段の責任を問えないという解釈が成り立たないでもない。しかし百歩譲ってそうだとしても、東電にはもうひとつ、株主総会で追求されるべき大きな問題があった。2010年期に実施された大型公募増資とインサイダー取引疑惑である
 昨年9月29日の株式市場取引終了後、東電は時価で約5500億円にも及ぶ公募増資を実施すると発表した。これほど大規模な増資は1株当りの価値が希薄化するため、多くの場合は株価が下落する要因となる。しかし東電のケースでは、公募増資が発表される前から株価が不自然に下落していた。9月初旬から低調で、発表前日の28日には既に前月終値から7%も下落していた。
 この件について当時、幾つかの報道機関が東電株のインサイダー取引疑惑として報じた。実際に違法取引が行われたかどうかは明らかではない。先月24日、金融庁は公募増資に関する不公正取引を防ぐ規制案を発表。株主総会が集中する時期での発表はある種の警告のようにすら思えるが、当事者たる東電株主たちはこの件についても総会でただすことはなかった。
何があっても地位を失わない人々
 様々な問題がありながらも、予定通り選任された東電経営陣。果たして彼らは今後、株主の代理として経営を監視するという責務を果たすことが出来るのだろうか。
 今回の総会では、現行取締役16人の再任と1人の新任が決定した。この計17人の取締役のうち、社外取締役はわずか1人。なおこの人物は、同社第5位株主である東京都の元副知事という経歴を持つ。また新任の監査役は2人とも東電出身者となった。ただし監査役会に関しては、東電出身者3人に対して社外監査役が4人と数的に上回るように配慮されている。
 また退任取締役については既報の通り、清水正孝前社長および武藤栄氏が退任し、ともに顧問に就任。その他、藤原万喜夫氏は退任後に上記の東電監査役に新任された。そして任期満了となった監査役の千野宗雄氏は、東電100%子会社の社長に就任とのこと。東電副社長を経て監査役となった築舘勝利氏は、やはり顧問に収まった。
 このように役員の経歴と退任役員の行き先を整理すると、東電の企業統治は「身内」ばかりに委ねられているのが分かる。これに「もの言わぬ株主たち」が加わる結果、東電では企業価値や株価が大きく毀損(きそん)する結果を伴っても、経営陣が地位を脅かされることはほとんどない。そして、業績悪化や経営上の失策が自身の処遇と結び付かないのだから、普段からリスクへの意識が低下し、危機管理や予防対応がおざなりになってもおかしくはないだろう。
しかし東電が地域に多大な影響を及ぼす独占的な公益事業者であり、更に原発事故対応のお粗末さを鑑みると、このままであって良いはずがない。らを適切に監督するには、現行の商法や資本主義の枠組みだけでは不十分なのかもしれない。

必要なのは、声を上げる勇敢さ
 東電創設以来の最大の危機に対しダンマリを決め込む株主・役員がそろうなかで、声高に異議を唱えた株主も少数ながら存在した。ところが取締役の再任反対や脱原発を果敢に主張する彼らに対し、一部では意外な反応が湧き起こる。「株主がなぜ被害者面をするのか。株主にも事故の責任があるだろう」という批判である。
 教科書的に考え、物事の表面だけしか見ないのであれば、その通りとも言える。しかし東電の取締役会をこれまで是としたのは、無投票の個人株主や委任状を提出した大口株主が大半である。これらに対し、東電の取締役会に異議を唱え続けてきた「もの言う」株主が、「自分の意見が汲まれなかったことで、株価や企業価値の下落を招いた」と主張することに何の不整合もない。彼らは長年にわたって東電の経営リスクを指摘し、そして実際にその通りになってしまったのだ。だから本来は、東電役員たちはこういった株主を煙たがるのではなく、むしろその意見を真摯に聞かなければならない。
 沈黙は金、という言葉がある。実際、物事をはっきりと言わない方が円滑に進むことは多々ある。もし「今のまま」が良いのなら、ものを言わない方がきっと賢い。しかし、沈黙は変革を生まない。むしろ現在のように変革が必要な時代にあって、果たして沈黙が金を生むか怪しいくらいだ。何かを変えるのであれば、まずは勇気をもってものを言うしかない。そして社会の諸制度は、もの言わぬ者に益するのではなく、発言する勇者を生かすためにあるべきだ。
 エネルギー政策や電力会社の在り方について、フェイスブックやツイッターでは毎日のように膨大な意見が飛び交う。この中で建設的な内容は、ごくわずかかもしれない。そして責任を負う当事者と外部者では、言葉の重みもはるかに違う。しかし、こういった「ものを言う」ためのツールが爆発的に普及するのを目の当たりにすると、まさにこれらは時代の要請で運命的に生まれたのではないかと思ってしまう。別にこれらのサービスを礼賛するために、東電の時代錯誤な総会運営に触れたわけではない。しかしこんなことからも、暗黙の了解で既得権益を守る時代の限界を感じている。
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野尻哲也(のじり・てつや)

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