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東電の44年前の決断、福島第1原発の命運分けた可能性
【東京】東京電力は44年前、福島第1原発の建設プロジェクトに着手したとき、原発の津波に対するぜい弱性を一段と高めることになる、ある重大な建築上の決断を下していた。
1967年、東電は原子炉の建設にあたって、用地の35メートルの高台を25メートル削ったのだ。政府当局に当時提出された文書で明らかになった。
この行為はほとんど注目されることはなかったが、現場への原発機器の輸送と原子炉への海水汲み上げを容易にするためのものであった。また、原発を地震から保護するために必要な強固な岩盤上に施設を建設する上において効率的な方法とみなされていた。
だが、高台を削ったために、3月11日に襲った高さ14~15メートルの津波は原子炉床から5メートルの位置にまで海水をもたらし、原子炉3基がメルトダウン(炉心溶融)に陥る大規模原子力災害を引き起こす結果になった。
前京都大学総長で現在は福島第1原発の事故調査・検証委員会の委員を務める地震学者の尾池和夫氏は、「高度成長的な思考だ。国土改造論とかが出ていたころのことだ。自然に対して大改変をしたら必ずしっぺ返しがある」と話す。
60年代、東電は福島県の沿岸部で原発建設に必要な用地の買収を始めた。用地の最大部分は第二次世界大戦中、旧日本帝国軍の空軍基地として利用されていた。当時、用地一帯に広がる海岸沿いの高さ35メートルの崖は原発建設に適した際立った特徴を備えていた。
だが、東電は政府への第1原発の建設許可申請書で、崖の約3分の2を削る意向を示していたことが、ウォール・ストリート・ジャーナルが確認した申請書の写しで明らかになった。
経済産業省原子力安全・保安院の広報担当、白神孝一氏は「建設当時は津波対策は十分だと思われたが、結局は足りなかったことを重く受け止めている。昔は岩盤の上に建設する必要があったが、今の基準は十分な支持性能がある地盤となっている」と述べた。
東電は申請書で、地震や余震の際の建物の安定化と振動吸収のために第1原発を岩盤上に建設する意向だとし、それには表土の大幅な掘削が必要だと説明していた。
東電広報部の長谷川和弘課長は、当時決断を行った従業員は既に何年も前に定年退職しているとした上で、「大事なのは(地震対策として)岩盤の上に建設されたことだ。用地選定にあたって高さは一つのファクターだったが、それが唯一の、ましてや何よりも大事なファクターだったということではないようだ」とした。
福島第1原発建設にあたって自然の防波堤となるべき崖を削ったのとは対照的に、70年代着工の近隣の福島第2原発や宮城県の東北電力女川原発はより高台に建設されている。両原発とも巨大地震に見舞われたが、津波に襲われた直後に原子炉は「冷却停止」し、第1原発のような大事故には至らなかった。
両原発とも第1原発と同じ海岸線沿いに位置しているが、防波堤の役割を果たす崖の上に建設されていたことが被害を免れる大きな要因となった。結果的に津波による電源喪失は長期化することなく、作業員は迅速に稼働中の原子炉を冷却停止し、メルトダウンを回避することができた。
東電が66年に提出した福島第1原発の建設許可申請書は1000ページ以上に及ぶが、その多くが地震の脅威に関する記述に割かれており、津波に関する言及は比較的少ない。
申請書では、海抜10メートルの地点に堅い岩盤層があり、その地盤上に施設を建設することで地震の影響を軽減できると説明している。ただし、「敷地及びその周辺では激震以上は有史以来一度も経験していない」と自信たっぷりに追記されている。
1273年以降の地震活動を年表化した3ページの中で津波の歴史について振り返っているものの、津波に特化した対策に関する記述は含まれていない。年表には、高さは特定されていないが、1677年に福島第1原発付近を見舞った津波について言及されており、それによって住宅1000棟が倒壊し、300人が死亡したと記述されている。
申請書では、台風をより深刻な脅威と捉えており、60年には高さ8メートルの高波を伴う台風が襲ったとしている。「敷地付近の大きな波はほとんど台風または低気圧によるもので、昭和40年2月からの観測結果によると最大波は台風28号(昭和40年)の際のもので、水深10mの有義波高は6.51m、最大波高は7.94mであった」
当時、意思決定にかかわった元東電副社長の豊田正敏氏(88)は、崖を削った理由は主に2つあるとしている。1つは、原子炉容器やタービン、ディーゼル発電機といった原発で使用する重機器の搬入を容易にするためで、それらはすべて船で現場まで輸送された。2つ目は、原子炉の冷却に海水を利用する設計になっていたため、海までの距離を短くして注水をしやすくする必要があったためだ。
「海から原子炉やディーゼル発電機を運び込むので、そこから重い機器を崖を越えて持ち上げるのはかなり困難な作業になると考えられた。同様の要因で、崖の上まで海水を汲み上げることも難しいと判断した」。原子炉建設の監督を手助けした豊田氏は電話で取材に応じてこう語った。
東電は、原発の敷地周辺に大規模な津波が襲ったとする記録は3月11日まで少なくとも300年間はないと述べており、今日に至るまで建設手法に本質的な欠陥があったとは考えていない。
東電広報部の長谷川氏も、福島第1原発は建設当時は政府基準をすべて満たしていた、と述べている。
だが、それは当時建設にかかわっていた技術者の一種のおごりだとの批判も聞かれる。「津波の来ない高台を壊して造ったのだから、津波の記録があるわけがない」と、尾池氏は言う。
さらに、高台を削って建設された福島第1原発と対象的な結果を示しているのが、後年同じ海岸沿いに建設された2カ所の原発だ。
75年着工の福島第2原発は、第1原発の約11キロ南の海抜13メートルの土地に建てられており、第1原発よりも3メートル高い場所に位置している。東電の4月9日の報告書によると、3月11日に第2原発を襲った津波の高さは6.5~7メートルだった。
東電役員は、第2原発がより高台に建設されたのは津波に対する深刻な脅威が理由ではなく、むしろ建設用地がたまたま高台にあっただけだとしている。
だが、第1原発の約100キロ北に位置する80年着工の女川原発の建設用地は、建設にかかわった日本のあるメーカーの元幹部によると、過去に記録された津波の高さを超える位置にあったことが選定の大きな理由になったという。
女川原発を運営する東北電力によると、原子炉は海抜13.8メートルの地点に建てられている。東北電力の4月7日の報告書によると、女川では3月11日の津波は高さ13メートルに達していた。
日本の政府当局が6月7日に国際原子力機関(IAEA)に報告した内容によると、女川原発の建設許可証には海抜9.1メートル以上との指定がある。だが日本政府の報告書によると、2002年に社団法人土木学会が、1896年に発生したマグニチュード8.3の地震を基に算出した女川原発付近の津波リスクは13.6メートルだった。先を見越して許可証の指定よりも高い場所に建設したことが、第1原発と命運を大きく分ける結果になった。
また、東北電力の別の4月7日の報告書によると、女川原発の原子炉建屋の基床は地下の岩盤層に届く位置に建てられているため、自然の防波堤となる崖は削られることなく、その多くがそのまま維持されている。
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