2011年6月21日火曜日

スタジオ・ジブリ、脱原発への意思表示か?? : 曖昧な態度表明の裏にあるもの

神奈川県、福井県、大阪府、大阪市、愛知県、滋賀県、山口県など日本の自治体の首長は、政府・保安院の原発再稼働に向けての要請に対して、受け入れられないと強い意向を示している。


毎日新聞によれば、自民党の二世議員石原氏は、3・11意向全国的に広がっている脱原発運動を「アナーキーで、代替エネルギーのことを考えていない」と一刀両断に斬り捨てている。


そればかりではない。6月11日のデモを「公安関係者から聞いたが、バックにいるのは革マル派、中核派、原水協(原水爆禁止日本協議会)。そういう人たちがいるのに普通の人が多く集まっている」と発言した。そして、上関原発に近い祝島で続く反対運動についても「今来ているのは中核派で、地元の人たちは本当に少ない」と述べたという。
 しかし上関原発をめぐっては周南市など周辺市町の議会で「中止」「凍結」の意見書が可決されており、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の山戸貞夫代表は「地元の気持ちが全く分かっていない。反対運動は30年も続いているのに」と憤っていた。【尾村洋介、小中真樹雄】
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20110619ddp041040009000c.html?toprank=onehour
 同氏は、国民の間で広く浸透してしまった原発への不信感、脱原発への流れを断ち切ろうと、躍起になっている。先日はイタリアの脱原発への政策転換に繋がった国民投票を指して、集団ヒステリーと揶揄したかと思うと、子供や孫の安全な生活を脅かし続けている危険極まりない制御不可能な原発を今こそ止めてもらいたいと心から願う国民、選挙民に対して、無政府主義者のレッテル貼りをして、斬り捨てようとしているのである。 


もちろんこれを政争の具に利用しようとする人間もいることは否定できまい。しかし、それをいうならば保守政党も同罪である。電力会社を守り、原発を支持することが党にとって大きな利益になるからこそ、彼らは懸命になってそれを推進してきたのではないか。技術立国を支える科学者と技術者の総力と、過疎地の自治体に交付金をばら撒き、御用学者を手懐けてきた潤沢な資金を、もっと早くから代替エネルギーの開発に投じてさえいれば、今頃は世界をリードするほどのクリーンで先端的なエネルギー技術を持った先進国になり得たかもしれないのだからーー。


今や脱原発を志向しているのは、原発を政争の具としている人間ばかりではない。


村上春樹に続いて、スタジオ・ジブリも脱原発のサインを差し示したようである。スタジオ・ジブリの影響力は世界的であることは誰もが認めるところであるし、ジブリのこのささやかな意思表示がファンや若者世代にもたらす波及効果には計り知れないものがある。
 ただジブリ側は、今回の横断幕について、監督の複雑な心境を表したと言葉を濁している。こうしたジブリ側の曖昧とも言える態度は、民主主義を標榜する国であるはずの日本社会の中に充満している、メディアを味方につけた一部の特権的な権力を持った人間以外は、なかなかおっぴらに「言いたいことさえ、まともに言えない空気」の反映とも見てとることができるのではないか。


 民主主義を標榜する国であるのならば、子孫の幸福と健康を願い、我々の生活にとって何が必要であり、何が必要でないか、一人ひとりが自立的に考え、意思・態度表明をはっきりさせることは、一般市民の誰にも許された当然の権利であるはずである。


 にもかかわらず、一般市民がちょっと自分たちの意思表示をし始めた途端に、モグラたたきのごとく、「アナーキーだ、集団ヒステリーだ」と、上から目線でレッテル貼りがおこなれ、排除しようとする圧力が立ちどころに働くーー多くの知識人たちはそうした重苦しく鬱陶しい空気の中で、保身を考え、センシティブに反応せざるを得ない立場におかれていると言えるのかもしれない。

以下、Wall Street Journal の Japan Realtime からの転載である。


http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2011/06/20/after-murakami-ghibli-rejects-nuclear-sort-of/



After Murakami, Miyazaki’s Ghibli Rejects 








Photofest
A scene from Studio Ghibli’s 1988 film “My Neighbor Totoro.”
The unresolved problems at the Fukushima Daiichi power plant continue to fuel discussions about whether and how much Japan should rely on nuclear power. And the debate has fanned out from political and social circles to thinkers and tastemakers. This month we’ve seen Haruki Murakami, Japan’s best-known living novelist, express his (strongly anti-nuclear) view on the issue in a speech in Barcelona.
Now another major Japanese cultural icon has spoken, albeit with much fewer words and in a much less forthright manner. Studio Ghibli, one of the world’s premier animated-film studios, known for international smash hits like ‘Spirited Away,’ ‘Howl’s Moving Castle’ and ‘My Neighbor Totoro,’ last week placed a banner at the top of its office building in a Tokyo suburb that read: “Studio Ghibli would like to make movies using electricity without nuclear power.”
The banner was quickly spotted by loca l users of Twitter, and was picked up in the local press forthwith. The statement, which came out of the blue, stirred speculation on blogs and social networking sites over the weekend about Ghibli’s real intention. While Mr. Murakami’s speech has received both praise and criticism in Japan, more people seemed unsure of what to make of Ghibli’s banner. Is Ghibli politely expressing a preference for running its studios on power generated from non-nuclear energy sources? Or calling for a more systematic shutdown?
For its part, Ghibli said that the statement on the banner came from Hayao Miyazaki, a living legend of Japanese animation and director of many Ghibli films. “This is an honest expression of Mr. Miyazaki’s feelings,” said a Ghibli spokeswoman, who declined to explain the banner’s message in more detail.
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