この記事の最後に 「野田佳彦首相、今こそ決断のときである」という一文があったけれども、あえ
て転載しなかった。就任以来1ヶ月、国民が彼に期待するものは何もないことが、すでに白日のもと
にさらされているからである。恐らく筆者の町田氏も今は最後の1行を記したことに後悔の念をいだ
いているのではあるまいか。
現代ニュース
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/22472
ニュースの深層 2011年10月11日 町田徹
「原発再稼動なら大丈夫」という杜撰シミュレーションで破綻リスクを隠し、国民負担を強要する「東電第3者委報告」の国家的詐欺
待ち受ける雪だるま式の電力料金値上げ
治癒する見込みがないことを隠して、破産を招きかねない治療費のアリ地獄に患者を落とし入れる――。
東京電力による福島原発事故の賠償を支援するため、その経営実態の調査を担当した政府の第3者委員会が先週(3日)公表した「報告」は、そんなとんでもない内容だ。
問題点をあげると、報告は、賠償金額を過小に見積もった。負担しなければならない膨大な除染コストをカウントせずに、東電が深刻な破たんの危機(債務超過リスク)に瀕している事実の隠ぺいを試みた。
東電には、甘い蜜のような報告だ。自助努力の根幹になるはずの発電所売却を検討した形跡もなく、端から免除してしまった。
そして、ツケを払わされるのは、我々国民だ。今すぐ手を打たないと、公的支援を返済できないという屁理屈を列挙して、安全性への疑問が残る原発の早期運転再開と10%の電気料金引き上げという痛みの甘受を迫る内容となっている。まるで「国家的な詐欺」である。
野田佳彦首相は、手遅れにならないうちに、こんな東電支援のスキームを白紙に戻し、当事者の東電に一元的に責を負わせる本来の原則に立ち戻るべきだ。さもないと、日本経済全体が東電擁護の重荷に押し潰されかねない。
本コラムが過去2週にわたって警鐘を鳴らしてきた、この報告をとりまとめた政府の第3者委員会は、「東京電力に関する経営・財務調査委員会」(委員長・下河辺和彦弁護士)という。
政府は、その使命を、福島原発の賠償の公的支援に当たって「国民負担の極小化を図る」ことにあり、「東京電力の厳正な資産評価と徹底した経費の見直し」を行わせると説明してきた。
だが、羊頭狗肉も甚だしい。
9月末という取りまとめ期限を守れず、先週になってようやく公表された報告は、物理的な量ばかりが膨大で、その内容は「国民負担の極小化」という設置目的と対極の作文に変質した。
もちろん、部分的に見れば、新聞各紙が喧伝したように、「届出時と実績の料金原価の乖離を合計すると、直近10 年間の累計で6,186 億円となる」(報告127ページ)とか、「東電の退職金水準(従業員拠出分を含まない)は依然、他産業と比較して高い」(同50ページ)として3つの改善案を示すなど、丹念な調査ぶりを感じさせる記述は存在する。
しかし、それらは、あまりにもマニアックなだけでなく、230ページの膨大な報告のごく一部に過ぎない。当局のレクを鵜呑みにして記事を書く新聞記者を念頭に、第3者委員会の奮闘ぶりを印象付けて、報告全体の杜撰さを覆い隠すために盛り込まれた目くらましとしか思えない。
10%の値上げは避けられないというシミュレーション
中でも根本的なミスリードは、報告が結論として打ち出した今後10年間の東電の事業・資金収支のシミュレーションだ。
もっともらしく、原発の運転再開を、(Ⅰ)直ちにできる、(Ⅱ)1 年後にずれ込む、(Ⅲ)再稼動できない――の3つのケースに分類。それぞれについて、料金を、①値上げなし、②5%値上げ、③10%値上げ――の3 パターン設定して、東電の将来像を描いている。
結論は、「(原発さえ早期に稼働すれば、)①料金改定(値上げ)なし、②5%値上げ、③10%値上げ、のいずれのパターンにおいても、実態純資産調整項目考慮前の段階で資産超過が維持できると試算されたが、原子力発電所の稼動時期が遅れるとともに、徐々に純資産が減少するリスクが拡大する」(報告105ページ)というもの。要するに、国際資本市場の抱く東電破たん懸念を拭い去ろうと、原発さえ再稼働すれば大丈夫という太鼓判を押したのである。
とはいえ、決して、それだけで賠償金の支払いや公的資金の返済をまっとうできるとしているわけではない。というのは、「資金面では原子力発電所稼働ケース、1 年後原子力発電所稼働ケースともに、料金値上げの状況に応じて約7,900 億円から約4 兆3,000 億円の不足資金が発生する」(同)、「原子力発電所非稼働ケースにおいては、約4 兆2,000 億円から約8 兆6,000 億円の資金調達が必要との結果」(同)などとの文言を挿入することも忘れていないからである。
この文言は、かねて東電が目論んでいるとされていた、10%の値上げが避けられないという援護射撃に他ならない。われわれ国民にとっては、福島原発事故の賠償を円滑に進めたうえで公的資金(最終的には税金)の返済を履行させるために、安全性に疑問が残る原発の早期再稼働を受け入れるだけでは不十分であり、電気料金の10%引き上げまで呑めという理不尽な話なのである。
はっきり言うが、国民が2つの重荷を受け入れても、このシナリオを実現するのは難しい。むしろ、せいぜい2年ぐらいで立ち行かなくなる「絵に描いた餅」に過ぎない、と筆者は睨んでいる。早晩行き詰まって、何度も電力料金を引き上げられるアリ地獄に国民は追いやられかねない。
その理由の第一は、第3者委員会が、必要な賠償額を過小に見積もっている点にある。同委員は、主に福島第1原発事故で避難している住民や福島市内の営業被害への補償だけを対象としただけで、他の多くの賠償義務の存在を無視するどんぶり勘定をやったのだ。
例えば、報告は、「政府による航行危険区域等又は飛行禁止区域の設定に起因して、漁業者、内航海運業又は旅客船事業を営んでいる者又は航空運送事業者に何らかの減収や追加的費用が発生していることが確認されている」(報告92ページ)としながら、その見積もりとなると「損害額を推計するための適切な資料は見当たらない。したがって、現時点で営業損害額について合理的な損害額を推計することは不可能である」と算定しなかった。
除染コストの算定責任を放棄
何よりもひどいのは、除染コストの扱いだろう。国や自治体が作業し、東電が費用を負担することが8月末に可決した「放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」に明記されている、一般地域の除染について「上下水道業者に何らかの減収や追加的費用が発生していること、私立学校に校地等の除染に関する何らかの費用が発生していることが確認されている。
しかし、具体的な損害額までは確認することができず、その他、損害額を推計するための適切な資料は見当たらない。したがって、現時点で営業損害額について合理的な損害額を推計することは不可能である」(報告93ページ)と算定責任を放棄しているのだ。
これらの除染は、どの程度完璧を期すかによってコストが大きく変動するとされているが、その規模は4~5兆円では大幅に不足で、総費用を10兆円程度に収めるために広い区域の除染を断念する政治決断が必要になるとの見方が少なくない。
さらに言えば、報告は賠償総額を4兆5402億円と見積もったが、これについても「少なく見積もっても20兆円は下らない」(民間シンクタンクのエコノミスト)というのが専門家の大勢である。
そして、もっと首をかしげざるを得ないのは、賠償総額4兆5402億円という第3者委の見積もりが、当初2年分の見積もりに過ぎないことだ。報告は、「知り得た事実関係及び入手可能な統計データを前提とした試算結果は、一過性の損害分として約2兆6,184億円、年度毎に発生しうる損害分として初年度(平成23年3月11日~平成24年3月末日)分約1兆246億円、2年目以降単年度分(筆者注:3年目以降の見積もりも行われたような印象を与える表現だが、「2年目の分」だけを指している)として約8,972億円となった」(報告90ページ)として、3年目以降の見積もりをしていないのである。
なぜ非論理的な見積もりを出したのか
そこで、問題になってくるのが、前述の原発再開と10%値上げが必要な根拠となった、今後10年間の東電の経営見通しだ。たった2年分の賠償や交付金支払いしか見積もらないでおき、それを10年かけて支払う(返済する)という計算なのだ。3年目以降は賠償が不要になると考えられる根拠など何もない。それらが発生した途端に、報告が描いたシナリオは破たんする構造になっているのである。
第3者委員会は、いったい、なぜ、このような非論理的な過小見積もりを断行したのだろうか。関係者に取材したところ、影を落とす問題が2つ存在した。
第一の問題は、8月3日に成立した特別法を根拠に設置された、東電による賠償を支援する公的機関「原子力損害賠償機構」の資金力の問題だ。実は、現在のところ、同機構が交付国債という特殊な手段を使って、東電に行える支援は総額2兆円まで。今年度の第3次補正予算で追加する予定の枠を加えても5兆円にしかならない。それゆえ、今回の報告は、賠償額の見積もりを5兆円以内に抑える必要があり、杜撰な過小見積もりを断行したという。
第二は、第一とも密接に関係するが、東電の債務超過・経営破たんリスクが顕在化するのを防ぎたいという思惑だ。それでなくとも、国際資本市場には、東日本大震災の被災を受けて、東電が実質的に破たんしていると見る向きが少なくない。そこで、今年6月発表した昨年度の本決算に続いて、近く公表する予定の今年度の中間決算でも、監査法人が東電に破たん宣告をしなくて済むような体裁を保とうとしたというのである
こうした中で目立つのは、報告の電力業界と東電への蜜のような甘い姿勢だ。第三者委員会自身も、「東京電力に関する経営・財務調査委員会報告の概要」の中に、あえて「積み残された課題(例)」と題する一枚紙を挿入し、
○政府と電力事業体との関係の見直し、
○総括原価方式に代表される電力事業に係る
各種制度・政策の再検討、
○地域独占を前提とした電力事業構造のあり
方
○発送電分離の検討
○原子力事業の運営主体やリスク負担の見直
し
○原子力発電のバックエンド費用
○天然ガス等のより効率的な調達の仕組み
――の七項目を列挙して、歴史的な日本の電力政策の枠組みに何ら切り込まなかった事実を認めている。
○政府と電力事業体との関係の見直し、
○総括原価方式に代表される電力事業に係る
各種制度・政策の再検討、
○地域独占を前提とした電力事業構造のあり
方
○発送電分離の検討
○原子力事業の運営主体やリスク負担の見直
し
○原子力発電のバックエンド費用
○天然ガス等のより効率的な調達の仕組み
――の七項目を列挙して、歴史的な日本の電力政策の枠組みに何ら切り込まなかった事実を認めている。
そうした底流として、報告は、冒頭の「はじめに」の中で「私たちは、いたずらに問題を複雑化し、拡大させることには慎重でなければならない。それというのも、その被害の直撃を受けた福島に暮らす人びとに対する十全な賠償と発生した事故の着実な処理を通じて、そこに『安心と安全』の確保をもたらすことを何よりも優先させるべきだとの思いがあるからである」と述べて、電力擁護姿勢の正当化まで試みているほどだ。
第三者委員会が容認した電力料金の値上げ
しかし、報告が東電の発電所売却の必要性にひと言も言及しなかった問題は、「着実な処遇」などという言い訳の通用する問題ではない。
というのは、発電所の売却は、電力政策の大枠の変更を必要とするような話ではないからだ。単に、賠償のための自己資金を積み増す効果があるだけでなく、すでに自由化されている発電業の競争を促す効果も期待されており、電気料金の高騰を抑制するものとみられている。
そもそも、民間企業が非効率な部門をアウトソースして、外部から必要な機能や製品を調達するのは、よくあることだ。発電所の売却は、規制による発送電業の強制的な分離議論とは次元の違う、すぐできる経営合理化策のひとつなのである。
第3者委が、重箱の隅をつつくような東電の人件費の削減策などに躍起になる一方で、より抜本的な資金調達の自助努力策として期待される発電所の売却にひと言も言及しなかったことは、大変な怠慢と言わざるを得ないだろう。もし、東電擁護のために、確信犯として発電所売却に触れなかったのならば、日本国民共通の敵の所業と断じてよいはずだ。
同様に、今回の報告が、過去10年間の電気料金算出にあたって、コストの見積もりと実態の間に6,186 億円ものかい離があったことを指摘しながら、これらを将来無駄を省けることの根拠としだけで、取り過ぎた料金の返済問題や、当時の経営責任、監督責任の追及などに言及しなかったことも、第3者委員会が東電寄りの組織だった証左と取られかねない失態だ。
半面、報告は、そのツケを国民に回すことに全くと言っていいほど躊躇をみせていない。これといった留保もなく、安全性への疑問が残る原発の早期運転再開と、電力料金の10%値上げを受け入れるように迫っているからだ。
値上げと言えば、東日本大震災以降、全国の電力会社は、すでになし崩し的に電気料金の値上げを続けている。加えて、東電は今年度中に、他の電力各社も来年度から、原発の運転停止に伴う火力発電所の燃料費増大分として10%程度の値上げを検討中だ。さらに、ソフトバンクの孫正義社長らが声高に要求した、太陽光を使って発電した電気の全量買い取りに伴う数パーセント前後の値上げも加わる予定となっている。
今回、第3者委員会報告が容認姿勢を打ち出した値上げは、こうした値上げラッシュの第一弾に過ぎず、2年後に賠償支援の不足が露呈すれば、その後は泥沼の値上げが待っている。
待ち受ける雪だるま式の電力料金値上げ
ここでいかにもありそうな政治決着と言えば、菅直人前政権が法律改正まで行って設置した原子力損害賠償支援機構の運用をとりあえずスタートさせるため、東電に今年度中の値上げを断念させる、という落とし所だ。
しかし、こうした先送りは、雪だるま式に電気料金の高騰を招き、国民負担の増大を招く愚策に他ならない。ここは踏みとどまって、財務省、経済産業省、金融庁、東電、大手銀行の5者が相互に責任や負担を回避して、そのツケを国民に回そうとした仕組みに他ならない、機構による支援の枠組みをすべて白紙に戻すべきである。
そのうえで、原子力損害賠償法に規定され、東海村のJCOの臨界事故という前例の際にも再確認されていた本来のルールに則り、当事者の東電が一元的に補償を行うという原発事故の賠償の原則に立ち戻るべきである。東電は、補償責任を全うするため、資産のすべてを換金して賠償原資に充てるのが筋である。
過去に、あれだけ高い料金を取って溜め込んだ資産を充当しても足りなければ、資本主義のルールに則って、東電は法的整理のまな板に乗る以外に道は無いはずだ。
そうすれば、銀行の貸し手責任と株主責任が問われることになり、賠償原資のさらなる上乗せも可能なはずである。
その際、電力の安定供給を守るため、送電網の運用会社だけは、信頼できる企業体への事業継承が必要だ。それに相応しい企業が現れなかったら、初めて国費投入を検討すればよい。
東電の消滅によって一義的な賠償主体は消滅するが、どうしても支援が必要な弱者には社会福祉の観点から国が救済の手を差し伸べることによって国家的な試練を乗り超えるしか手はないはずである。