2011年5月20日金曜日

銀行の債権放棄、当然では?

賠償金の賠償金の原資をどうするかのひとつとして銀行の債権放棄が提示され、それについて様々な物議がもたらされているという。

公営事業に近い企業に銀行が貸付をするのは当然のことであって、銀行に貸し手責任はないと銀行の肩をもっている議員がいるそうだ。

しかし、活断層の上で耐久年数を過ぎたような設計段階ですでに欠陥があるような原子炉を、ろくな津波対策もせずに、40年も稼動させ、様々な事故が起きるたびに隠蔽に明け暮れ、まともな対応をしてこなかったような企業に対して、それが公営事業に等しい企業だからというだけの理由で、安易に多額の貸付を行ってきた責任は、一切ないと言えるのだろうか。

銀行は、それが公的な事業であろうが、なんであろうが企業の業務内容・企業価値やリスクを的確に調査・把握し、何があっても慌てふためかずとも済むよう、適切な取引先と取引額を析出する判断力・審査能力を持たずして、厳しいグローバル社会の中で生き残っていくことはできまい。

特に電力会社に多額の融資を行ってきたメガバンクは、新しいエネルギー開発に積極的にチャレンジしているような中小企業への融資を渋り、隠蔽体質の事故処理もまともにできない危険な企業に多額の資金を貸し続けてきた責任を大いに問われるべきなのではないか。

東電賠償について、銀行に責任の一端を担わせることで、銀行は、今後公的な企業の業務内容やリスク管理のあり方を、今以上に厳しくチェックするようになり、小規模でも将来性のある優良な企業に対してもっと積極的に貸付けを行うようになるなど、これが日本の銀行の融資業務の改善・変化の契機となることを強く望みたい。