小出さん自身はそれを望まないかもしれない。
しかし京都大学の小出助教ほど、3.11以降、専門的な立場から、国民に対してぶれない納得のいく情報を提供し続けてくれた人間は、少なくとも国内では誰もいなかったといっても過言ではないのではないか。
科学者といいながら、安全神話にべっとり依存し、メルトダウンや未曽有の放射能漏れが実際に起きていても、まだ東電に肩入れし、事実を隠蔽し続けていた有名大学の教授や、研究所の所長としてふんぞり返っているお歴々が大勢いる一方で、小出さんや今中さんは未だに助教である。
そのことに不公正感を抱き、小出さんや今中さんを教授にすべきだという声が上がらないことに大きな不思議を感じるのは薔薇っ子だけだろうか。
小出さんや今中さんたちが冷遇されてきたという話はあっても、ここにいたってこれまで真実を訴え続けていた人間は誰なのかということがはっきりした時点で、彼らをいつまでも助教にしていていいのかという声がまったく出て来ないことは大きな疑問である。
電力会社や政府官僚に都合のよいデータを捏造したり、事実を曲げたり、隠蔽したりし続けてきた御用学者の研究業績にいかほどの価値があるというのだろうか。
「真実を追究する」という科学者にとってもっとも大きな使命を完全に忘れ、多額の研究費の誘惑に負けてやすやすと悪魔に魂を売り渡してしまった原子力ムラのお歴々が、今もこれからも、若い多感な世代の人達に科学を教え、新しい指導者を輩出し続けることについての問題性、危険性を、大学や国はいつまで放置し続けるつもりなのだろうか。これこそこの国の国民の安全に関わる重大な問題である。
小出氏のような栄耀栄華を求めず、ひたすら真実を追求するという姿勢を忘れず、市民に対する啓蒙に全身全霊を傾けている専門家こそ、真に最高学府の教授としてふさわしい人材といえるのではないだろうか。
国民は馬鹿ではない。みんなそのことを知っているはずである。
以下神戸新聞の記事を転載する。
http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0004570184.shtml
原発、もっと学ばないと… 原子炉実験所見学記
放射性セシウム、ストロンチウム…。それまで市民に縁遠かった言葉が、あの日から毎日のように報じられる。関西でも危機感を抱く人は少なくないが、その前に私たちはどこまで原子力のことを知っているだろうか。京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)を見学する母親グループに同行した。
「原発を学び、子どもたちに伝えたい」と企画したのは、NPO法人「『絵本で子育て』センター」(芦屋市)。参加したのは芦屋市や神戸市などから母親ら28人。九州から駆けつけた人もいた。
京大原子炉実験所は、1963年に核エネルギーの利用と放射線の研究・教育を目的に、共同利用研究所として設置された。住宅地に隣接する広大な敷地に研究用原子炉、放射性廃棄物処理装置などの設備がある。
原子炉棟に入る時には靴にビニールカバーをつけ、代表者にはポケット線量計が渡された。二重扉の向こうは「放射線管理区域」(1平方メートル当たり4万ベクレル以上の区域)。減圧された内部は耳がつんとする。中央には最大熱出力5千キロワットの研究用原子炉。熱出力は原発の発電炉の約600分の1程度だ。
原子炉内部では、核燃料(ウラン235)に中性子を当てて核分裂させており、仕組みは原発の発電炉と同様だが、熱出力の規模が小さいため、冷却水が高温になることはないという。
核分裂で得られる熱エネルギーでタービンを回す原発に対し、実験所は生じる中性子を実験に利用している。例えば、中性子照射によるがん治療が臨床研究の段階だ。脳腫瘍の患者にとって、頭開手術なしに腫瘍だけを壊すことができ、負担は大きく軽減される。
気圧が戻る。屋外に出る時には、汚染の有無を調べるため、機器でチェック。線量計はゼロのままだった。
敷地内には、核分裂後の放射性廃棄物を処理する施設もある。実験・研究に使った器具などは容器に収納され、保管される。放射性廃液はレベルに応じ、蒸気過熱や分離装置を使うなどの過程を経て、細心の注意を払い処理されるが、廃棄物そのものがゼロになることはない。
見学した森ゆり子さんは「トイレのないマンションのよう。処分が難しいものを生み出す怖さを実感した」と話した。
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見学後、原発の危険性を訴え続ける同実験所の小出裕章助教から福島の現状と今後を聞いた。
国による航空機モニタリングの結果、福島県や栃木県北部、群馬県北部で、1平方キロ当たり6百億ベクレル以上のセシウムが確認されている。換算すると、放射線管理区域とほぼ同様の条件だ。
「本来なら必要な人が短時間だけいることができる場所のはず。にもかかわらず、今も数多くの人が逃げずに生活している」と“矛盾”を訴えた。「子どもをこれ以上被ばくさせてはいけない」
「関西の人たちにとっては、福島の原発事故は遠く感じるかもしれないが、原発を認めてしまった責任は、社会の一員である私たち大人にもある。どうするかを考えなければならない」と小出助教は訴えた。
行きと違って、帰りの車中は誰もが言葉少なだった。母親の一人がつぶやいた。
「これまで原発を見ようとしてこなかった。もっと学ばなければ」
(鈴木久仁子)