電球をLEDに変え、省エネ型の新しい電化製品に買い換える、簾やヨシズを買う、おしゃれなプリント柄のステテコを履くなど、節電で新しい消費を煽ろうとする動きが目立つ中、もっと有効な節電方法はないのかという疑問が湧き上がる。
ところで、日本は戦後、消費経済社会のアメリカに、何もかも「右に習え」をしてきたかのように思い込んでいる人間も少なくない。実際のところ、資源の少ない日本人のほうがアメリカ人などより、むしろ資源やエネルギーの無駄遣いをしていることが多いのだが、その事実は、意外に認識されていない。
日本における商品の過剰包装についてはよく指摘されていることだが、高温多湿の猛暑の中、学校に通う子供たちの姿、贅沢すぎる学校給食を含めた食生活、煌々と明るい照明に照らし出された繁華街を深夜遅くまでうろつく青少年の姿、贅沢すぎる学校給食を含めた食生活はアメリカでは見られない光景だ。
まず日本の小学校から大学まで、高温多湿であるにも関わらず、7月の後半まで学校がある。土日でも、夏休みに入ってもまだ毎日部活で学校に通いつめる。酷暑に耐えてそれだけ勉強したから・スポーツに打ち込んだからといって、子供たちや学生たちが世界一の学力を誇っているか、人類に貢献するような発明や発見をする創造的な科学者や一流のアスリートが世界一育っているか、そのおかげで若者はみな我慢強く勤勉で、社会をしっかり支え、人々の生活が世界一豊かであるかといえば、現実は決してそうではない。
日本の高校や大学は、アメリカのように6月から9月まで暑い間は夏休みにし、高校生は自宅でゴロゴロしたり、予備校に通って受験勉強ばかりしていないで、大学生は都会でアルバイトをして遊興費を稼ぐ暇に、涼しい東北の被災地にでかけてボランティア活動でもすれば単に省エネになるだけではない。
ドイツでは大学に入る前、男の子は徴兵制で兵役につくか、ボランティア活動をするかどちらかを選べる制度がある。徴兵制がいいとは言わないが、この時期にただ勉強や受験テクニックを学んでさえいればいいのではなく、大学生になる前にしっかりと社会経験を積むことは、大人としての成長をするうえで、とても大きな意味がある。
またドイツの夏休みは6週間程度しかないが、小中学校では「ヒッツェフライ」(Hitzefrei) といって、11時過ぎの気温を計って、気温が一定以上に高い場合は、生徒を帰宅させる制度がある。暑すぎる時に、冷房をかけてまで学校に子供を縛り付け、勉強させる必要はないということである。
前にも書いたが、ドイツには閉店法という制度があって、多少緩和されたとはいえ、空港、ガソリンスタンド、大きな駅、薬局を除いて、デパート、商店の多くは日曜閉店している。日本は宗教上別に日曜日に特別な意味があるわけではないから、大型店舗は輪番制で定休日を作り閉店するということでも、かなりの電力が節約されるはずである。
閉店法に加えて、日本との違いは、脱原発に向けて大きな舵取りも始めた点だ。だからといって、ドイツの消費が落ち込んで経済が低迷しているか、国債の信頼度が下がっているのかといえば、ムーディズの格付けでは、世界最高位のAA+を保っているのである。
電気をどんどん消費し、24時間コンビニやファミレスを稼動させ、土曜日も日曜日もなく大型店舗が営業を続け、長期休暇もとらずに働き詰めに働いているにも関わらず、日本はAA2からさらに引き下げられる状況におかれているのはなぜなのかーー。
日本人の生活・労働の在り方を、根本的に見直す岐路にさしかかっているのではと私は思う。
食生活についてもしかりである。一般に日本人に比べてアメリカ人ははるかに体格がいい。特にダイエットをしてマッチ棒のように痩せた日本の女性から比べれば、アメリカの女性は1,5倍以上は大きい。しかし彼らの昼ごはんといえば、2枚の薄いパンにハム・チーズあるいは、ピーナツバターとぶどうジャムをはさんだサンドイッチ1つと、りんご1つ(あるいは生の人参やセロリをステックにしたもの)というのがごくごく一般的なランチだ。それにチョコレートチップクッキーなどの入った小袋をランチボックスの中に入れて、一緒に食べるようなケースもあるがーー。大人が昼に外食をするといっても、平生はサンドイッチが、ハンバーガー、ホットドッグ、一切れのビザに代わるぐらいのものだ。
おしゃれな都会では、夏は、2メートルぐらいの大柄の若い男性が小さなカップに詰まったサラダを買って、それにドレッシングとクルトンをかけて食べている姿をよくみかけるし、冬は冷たいサラダが、カップ一杯のスープやチリコンカンと小さなパンに代わるぐらいのもので、とても質素だ。
朝はドライ・シリアルに牛乳、(シリアルにブルーベリーなど生の果物を入れて食べることもあるが)、夕食も、近年では健康志向のせいか、夏はサラダとパン程度で簡単に終わらせる家庭が増えている。もちろん生野菜だけをぱくついているというわけではなく、タンパク質や脂質が足りないと思えば、ハムやチーズを刻んだものや、ひまわりの種やくるみなどをサラダに混ぜる。
家の中で煮炊きをする代わりに、夏は友達を誘って庭やベランダ、それがない場合は最寄りの公園などに出かけて、チャコールを使って、バーベキューをすることもある。
日本の給食制度はたしかに戦後ひどい栄養失調状態に置かれていた児童を救済するのに一定の役割を果たした。しかし、今、飽食の時代の子供たちに贅沢な手の込んだ給食を与える必要性がどれほどあるだろうか。日本の子供たちよりはるかに体格のいい欧米の子供たちは、もっともっと質素な食事をしているが、それでも立派に育っているのである。
「給食に暖かい料理が出なかったとか、量が少なすぎる」などなどと不満を言う前に、最も豊かな国と言われるアメリカの一般的な人たちがどんな食事をしているかよく見てもらいたい。
親によっては、自分たちは望んでいないのに食べさせられているのだから、給食代を払わないと拒否しているという話も聞いたことがある。給食などさっさと廃止し、家から弁当を持参すればいいのだ。給食は津波で親や住む家を失った子供たちにこそ必要であるが、それ以外のところではこの際、廃止すれば、無駄な電力や燃料は随分節約できる。
親や社会は、いつまでもバブル時代の余韻に浸り続け、子供を甘やかし飽食三昧にするのではなく、やがて確実に訪れるであろう食糧難の時代にも立派にサバイバルできるよう、もっと質実剛健に生きることの大切さを教える必要があるのではないか。
欧米の一般家庭(もちろん崩壊家庭などの例外はどこにでもあるが)の子供たちは、普通夕飯が終わった後、一家だんらんの時を過ごす。食事の後、家族がさっさと自室に引きこもって、別々のテレビを見たり、パソコンゲームに没頭して夜を過ごす生活を辞め、家族が同じ部屋に集まり、テレビを見て、いろいろな話をする場を作れば電力の節約にもなるし、家族のコミュニケーションの時間も増えるはずである。
大切なものを大事に長く使うという習慣も今の日本にはない。車も洋服もバッグや靴も、少し古くなると新しいのに買い換えるのがこの国では当たり前になっている。欧米に行くと人々が古いものをいつまでも慈しんで大切に使っている様子を見て、驚かされることがある。
今の日本で、老朽化してつぶれかけているようなものを、取り替えずに永々と使い続けるのは原発の原子炉ぐらいのものかもしれない。