2012年3月14日水曜日

日本にとって最大の間違いは2011年3月10日に存在していたものを再現すること:ペセック氏

震災1周年にブルームバーグのペセック氏が、「日本にとっての最大の間違いは2011年3月10日に存在していたものを再現すること」であると述べている。

薔薇っ子も彼の意見には賛成であるし、2,3日前に高村薫氏がインタビュー番組でも同じことを言っていた。復興、復興というけれども、何をあきらめなければならないか、私たちは、よく考える必要があるというような発言だったと思う。


ブログ一周忌で予想したように、3月10日以降のメディア各社の報道はすこぶる酷かった。政府は、御用学者を動員して、ひたすら原発被害の極小化を図り、現状復興、すなわち「2011年3月10日に存在していたものを再現すること」にやっきになっている姿ばかりが顕わになっている。

しかも、絆という言葉を巧みに使って、メディア各社が政府と一丸となり、がれきを全国各地にばらまくことに懸命で、3月10,11日に国内外で展開された脱原発に対する市民の反対運動などについて、しっかりとまじめに取り上げたメディアは非常に少ない。

なかでも、震災以来1年経っても、2000トンのがれきの処理ができないのは、あたかも、東京以外に住む住民が、がれきの受け入れに協力的でないからであるかのような、報道のなされ方が行われている。

しかし、1年もあれば、そして政府が言うように宮城、岩手のがれきがそんなに安全なのであれば、阪神大震災のときの2000トンのがれきと同様、大型焼却炉を岩手、宮城にいくつか増設することで、既にすべて処理することができたはずであり、それを着々とやっていれば、地元の雇用も増えたはずである。そういう努力を今まで何もせずして、この期に及んで、被災地には焼却能力がないからがれきを全国に分配するという。

「放射能、みんなで浴びれば怖くない」 と言わんばかりの勢いである。

しかし、がれきを全国の分配して、焼却することの問題性については、京都大学の小出助教がはっきりと断言している。ちなみに、ここに来て、被災3県のがれきを広域処理することの危険性を、公式な場ではっきり述べ続ける勇気ある研究者は誠に数少ない。

国会で涙を流した放射性防御学の小佐古氏や、事故直後から放射能測定をされ、さまざまなところにマイクロホットスポットがあることを示された岡野氏、海外の原発規制機関の専門家などの意見も拝聴してみたいところである。

チェルノブイリよりも大きな事故を起こし、広島原発の178倍ものセシウムを放出するような災害を起こしておきながら、どうして半径20キロ圏内の汚染地域が数年後戻れるような状態になるのだろうか。ヨウ素は半減期が短いとしても、セシウムやウランやストロンチウムは、そんなに簡単に消えたり、溶けてなくなったりするものではないはずである。

今は雪のおかげで拡散が抑えられている放射性物質も、雪解けとともにあちこちに流れだす可能性は否定できない。つまりこれまで測定して低かったからといって決して安心できないことになる。

閣僚たちは、がれきの線量を計測して安全性を確保すればいいと気やすくいうが、放射性物質の線量計はピンからキリまでいろいろあって、時計のように誰がいつどこでどんなふうにして見ても、必ず同じ数値を得ることができるような正確なものではないことを我々は既によく知っている。

国やメディアは、放射線量を測定して数値を示し、「少ないから安心」とさえ発表すれば、それでよいと思っているのかもしれないが、賢い日本国民の多くは、誰がいつどのような条件の下、どんな検体をどんな装置を用いて、どういうやり方で測るかによって、計測数値などというものは、いかようにも操作できるということを熟知しているのである。

ちなみに、これは前から繰り返し書いていることだが、原発災害で放出される放射性核種の中で、測定されるのは、セシウムばかりで、まるで人体に悪影響を及ぼすものは(半減期の短いヨウ素を除いては)、セシウム以外にはないかのように報道され続けていることにも、大変疑問がある。 
ストロンチウムの量は測らなくてもいいとでも言うのだろうか。 

以下小出氏のインタビューを貼り付ける。

何でも反対ばかりするのはよくない。復興について、お前ならば何を考えるかと言われれば、薔薇っ子は、放射能にまみれた土地を元に戻し、原発産業を再開させるような類の復興に少しでも早く見切りをつけて、被災3県の第一次産業に従事する被災者とその家族を全国の第一次産業の労働人口が著しく現象している地域に疎開させ、新天地でこれまでのノウハウを活かして新しい農林業、畜産、漁業に取り組めるようにサポートし、その他の産業に従事する若年、中年層の人々は首都機能移転や再生エネルギーの拠点になる地域に移住させ、彼が働けるような場を用意するといった、より生産的、建設的な形での支援を積極的に行うべきであると言ってきた。

むろん、原発は全て廃炉が完了するまで放置にすることはできないが、それについては、少なくともあと数十年間は、これまで原発を推進し、原発の利害を貪ってきた人々に、責任をもって後始末を最後までやってもらうしかない。彼らは皆、それに十分見合うような、いや、それ以上の報酬を既に受けとっているのだからーー。彼ら以外は、個人的に、どうしても、どんな危険性があっても原発の近くを離れたくないと主張する人でない限り、元に戻す、あるいは煽てて地元に縛り付けることは人の道にかなったことではない。

復興産業は多くの利権を生む、大手のゼネコン、産廃業者、そして運搬業者を限りなく潤す。経済を活性化するためには、なにか起爆剤が必要だということも確かだ、

しかし、何も放射性物質や化学物質による汚染の心配のあるようながれきを全国に分配・処理することで、経済の活性化を図ろうとしなくても、スマートグリッドの機能を兼ね備えた自然災害に強い副都心を建設するだとか、最終処分場の建設だとか、地熱発電所を建設するとか、電力を自由化して全国に電気事業者が多くできれば、それ以外の再生可能エネルギーに関わるビジネスなど、もっと建設的なところで、経済を活性化させる方法はいくらでもあるはずである。

がれきは、焼却炉に放射性核種(セシウムだけではない)を100%吸着させることができるようなフィルターを装置することができない限り、放射性物質が吸着したフィルターを確実に処理できる技術を持たない限り、断じて全国にばらまくべきではないし、汚染された焼却灰や汚泥は、フクシマの廃炉に使うコンクリートに混ぜて使用するしかない。

経済大国の栄光もここ20年の間にすっかり地に落ち、世界の若者の間で一世を風靡したJ-popもK-popに押され気味になり、昨今では、もっぱら食の安全と空気や水のきれいさ、自然の美しさ、治安の良さばかりを売り物にしてきた国土を、、無責任な施政者の政治的な判断で、今以上広範囲に汚染させてしまうようなことがあれば、益々国のイメージは失墜し、よほどの酔狂者でない限り、世界中の人々が避けて通るような、猫マタギの国と化してしまうのではないだろうか。

失われた1年をどう取り戻すか、はっきりしていることは、のらりくらりと現政権が存続し、我々が政治に何も期待感を持てない限り、明るい展望は開けそうもないということである。


http://www.youtube.com/watch?v=nC8cOpz-up0


http://www.bloomberg.co.jp/news/123-M0FXKZ1A74E901.html
【コラム】日本の失われた1年、チャンスは消えていない-Wペセック

3月6日(ブルームバーグ):効率の良さとしっかりとした社会基盤で知られる国だけに、きっと再建の世界基準を示してくれるに違いない―。そんな期待が高かった。巨大地震と津波が襲ってから1年が経過した。しかし、日本の再建はほとんど手に着いていないのが実情だ。
昨年3月11日の東日本大震災発生直後にエコノミストらは、1995年の阪神大震災の時の状況が再現され、被災した東北地方には建設部隊が集まって経済は力強く反発すると予想していた。さらに、多くの人々は、2万人もの死者が出て、町や村がかき消され、チェルノブイリ以降最悪の原子力発電所事故を引き起こしたこの大災害が、東京の政治的まひ状況を打破し、大きな変革を引き起こすきっかけになるのではないかと期待していたのである。
日本のバブル崩壊は過去の戦略―公共事業のための巨額借り入れ、超低金利、終身雇用、微々たる移民受け入れ、一部巨大企業の輸出に肩入れした硬直的な産業構造、何でも言いなりの銀行、政治と企業の親密な関係―などの見直しを突き付けた。それから20年以上を日本の政治家らは無駄に過ごしてきた。また、東京電力と官僚の排他的関係は安全報告に小細工を施すことを可能にし、危険性を過小評価してきた。これが日本の原発危機の舞台を用意し、その危機的状況は今なお次々に明らかにされている。放射能は今も福島第一原子力発電所から漏れ続けており、日本の機能不全を象徴する事態となっている。
日本が第二次大戦の廃墟から立ち直ったように、日本がより生産的な道筋に戻るには巨大な危機に直面するほかないと長く言われてきた。しかしながら、約20兆円の復興計画は、野田佳彦首相がそのグランドビジョンを明示することができず、また官僚たちが重大な決定を下すことに二の足を踏み、さらにはデフレ的循環が過去一年間に悪化し、企業と消費者がともに意気消沈しているという現実が、計画実行に向けての障害となっている。日本が新たに設置を決めた復興庁が業務を開始したのは津波から11カ月たった今年2月10日のことだった。
期待に応えていない政府
彼らは見事にがれきを片付け、それを防水シートの下に隠してくれた。しかし、それ以外に進展したことはほとんどない」と、テンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授(アジア研究学)は指摘する。「その原因の一つは政治がまひしていることであり、官僚が何を再建しどのように統合していくのか、そしてがれき処理をどうするのかについて決定を下さないことも原因になっている」と話す。
そして、最も注目を集めている残骸が日本経済だ。日本の公的債務は世界最大で、国内総生産(GDP)5.5兆ドルの2倍以上に達している。日本のGDPは過去4四半期のうち3四半期で減少しており、2011年の経常収支黒字は過去15年間で最低水準に落ち込んだ。1月には貿易収支が1兆4800億円の赤字と、戦後最大の赤字を記録した。円高はソニーやホンダなどの輸出企業に打撃を与え、産業の空洞化が一段と進んでいる。「政府は期待に応えていないし、日本国民はそのことを分かっている」と、英スタンダードチャータード銀行のチーフエコノミスト、ジェラード・ライオンズ氏(ロンドン在勤)は語る。
政府に対する不信感が高まるなかで、野田首相の政治生命も長くは持たないようだ。野田氏(54)は昨年9月に人気の波に乗って首相に就任した。経済を再建させるだけでなく新たに作り変えるに当たって時宜を得た指導者として選ばれた。だが、いま有権者たちは野田氏について、首相として、2006年後半以降に次々交代した5人の首相たちをしのぐ人物ではないと信じ始めている野田首相の支持率は現在30%と、前任者たちが議員らから職を去るよう求められた水準に低下している。
野田首相がいてもいなくても、東京電力の国営化および現経営陣の追放は決定されるべきだ。彼らの怠慢が、日本が今の状況に陥るのを助長したのだ。同じことが、オリンパスで見苦しい会計スキャンダルを生んだ企業文化に対しても起きている。
最大の間違い
日本の首相は東北のどの町や村を復旧し、どの町はそうしないのかについて決定する仕組みを作らなくてはならない。日本の多くの地方では長年にわたり人口が減少し産業力が失われてきている。
地方分権は中央政府の規制改革を必要とするが、それは復興プロセスを支援することになろう。日本は長年にわたりトップダウン型の経済だった。東京の官僚たちが采配を振るい、税収を分配。地方の指導者たちはそれに応じて行動する、という形だ。東京で復興計画を策定している者たちは非効率的な仕組みから抜け出せず、また被災地から遠く離れて現地の複雑な生活事情を掌握できずにいる日本にとって最大の間違いは2011年3月10日に存在していたものを再現することだろう。日本にとって過去1年間は失われた1年となったものの、まだ物事をリセットする千載一遇の機会は失ってはいない。日本がそれを無駄にすれば恥ずべきことだ。(ウィリアム・ペセック)
(ウィリアム・ペセック氏は、ブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)
記事に関するエディターへの問い合わせ先:東京 大久保 義人 Yoshito Okuboyokubo1@bloomberg.net
更新日時: 2012/03/06 13:30 JST