2011年9月15日木曜日

東大もやっと面目躍如ですね?:児玉教授の貢献

 東大出身のジャーナリストの立花隆氏は「私の東大論」「東大生はバカになったか」を執筆したのは、もうだいぶ昔のことになるが、3.11で、有事の対応が全くできずすっかり無能ぶりをさらけ出してしまった霞が関官僚、政治家、東電幹部、ジャーナリスト、原子力の利権に群がる恐るべき研究者集団など、日本の政官民のエリートたち。

とりわけ日本の最高学部である東大に対しては多大な国税を使って、一体どんな人材を育成し、どんな研究をやっているのかと世間の風当たりも強い。東大を出てエリートコースに乗れりさえすれば、国民の骨の髄までむしゃぼり尽くす特権を享受して当然とでも考えているような彼らの所業の数々。

その中で、今最も注目されているのは、7.23に衆議院厚労委員会で参考人として招致され、「国会は一体何をやっているのですか」と一喝した東大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授である。

http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo

政府やメディア,原子力村の連中は、フクシマで水蒸気爆発が起こった当時、自らは安全な場所で高見の見物を決め込みながら、「被曝と被爆は全く違う。日本人は原子力といえば、すぐに原爆をイメージするが、フクシマで起きていることは、単なる被曝であり、人間は普通に生活していてもいくらかの被曝をしているわけである。原発による被曝などとは規模が全くちがう。やたら不安をかき立てるような発言をするのは問題である」と、フクシマでの事象を矮小化することに必死であった。

しかし現実はどうなのか。
児玉教授は、その席で、我が国を代表する専門家としての立場から原爆と原発のと福島の原発からは、熱量では29.8個分、ウラン換算では広島原爆の20個分(セシウムにおいては168個分)のものが漏出しており、さらに原発から放出された放射線の残存量は、1年で1000分の1程度に低下するのに対して、原発の放射性汚染物質は10分の1程度にしかならないと言い放ったのである。


3月以降、私大教授や国立大学の助教らが、フクシマ原発の放射能漏れについてしきりに警鐘を鳴らし続けていた、しかし、推進派たちは、やれ専門外であるだの、やれ学術的な研究業績がどうなの、人間性がどうだのと誹謗中傷や、取るに足らない挙げ足取りを繰り返し、何とかして彼らの梯子を外そうと懸命であった。


ところが、児玉教授の登場によって、ようやく日本政府も自分たちの国で一体何が起こったのか認めざるを得ない状況になったのである。残念ながら、この証言から既に2ヶ月の時が流れようとしているにもかかわらず、政府は政権交代や増税実施に忙しく、放射能漏れの拡大を防ぐための抜本的な措置は遅々として進んでいないけれどもーー。

少なくとも、児玉教授の登場で、東大はようやく面目躍如というところだろうか。

それにしても、情けないのは東大教授の発言だから、エリート集団の発言だから、黙って拝聴するというメディアの態度であり、国民の姿勢である。

どこの誰の発言であれ、「正しいことは正しいし、間違っていることは間違っている」というしっかりした判断力・洞察力を備えない限り、命取りになりかねないような恐ろしい時代であることを、国民はもっと自覚すべきである。