オール電化を謳い文句にしていた電力会社が、54箇所ある原発のうちの2箇所が止まってしまっただけで、全国各地で電力不足、節電が叫ばれている。
現在点検中で稼働していない日本全国にある数多くの原発は何も、今回の震災が原因で停止したわけではない。人災で壊れてしまったフクシマを除いて、震災後、危険性が認識され止められたのは中部電力の原発のみである。
それ以外は、震災があろうとなかろうと、もんじゅのように事故や故障で前から止めざるを得なくて止まっているものか、定期点検のために停止せざるを得ない原発のみである。
日本全国で節電を呼びかけなければならないような必然性は全くない。にもかかわらず、メディアは相も変わらず、熱中症と節電と原発事故後の電力供給の問題をあたかもセットのように論じ続けているのである。
熱中症の多くは、高温多湿の真夏にもかかわらず、子供たちを登校させ炎天下で部活の練習をさせ、それが忍耐力を培うには不可欠であるかのように続けられている指導体制の問題であり、加齢で脳の働きが衰えのどの渇きや、暑さを認識できない一人暮らしのお年寄りや、高齢者カップルの問題であり、暑さで体力が消耗しているにもかかわらず、大量のアルコールを摂取し、二日酔い状態で炎天下走りまわっている中年層の問題であり、酷暑が続けば、原発が止まろうが、動こうがそんなことには関係なく、熱中症患者は増える。
にもかかわらず、熱中症と節電と原発の必要性がセットで論じられるのはなぜなのか。
電力会社にとって、猛暑こそが、電力の必要性、原発の必要性を、国民に認識させるのは格好の宣伝材料となるらしい。
省庁に勤めている友人から昔、「東電の社員は、日本中で自分たち程偉い人間はいないと思っている、鼻持ちならない不遜な人々だ」と聞いたことがある。
東電に限らず、全国の主要電力会社の体質は大なり小なり同じであり、ヤラセメールや動員などは日常茶飯事で、利権を得るためならば、ウソでも隠蔽工作でも何でもこいといった一般常識とはかけ離れた非常識が平然とまかり通る世界であり、それをよいしょ、よいしょと支えているのが、保安院であり、安全委員会であり、組合票に支えられている民主党政権であり、交付金だの、献金だの、協力講座だの、接待だのによってさんざん美味しい思いをして骨抜きにされてしまった地元住民や、地元自治体の首長、自民党の政治家たち、御用学者やメディアであり、電力会社のおかげで巨額の利益を得ている金融機関や、原発に関連する様々な企業に属する人々、及びその株主たちである。
「原発がなければ、安定した電力供給が受けられない」というのが、最近の産業界に共通するご意見のようだが、エネルギー不足と叫ばれてきたこの数十年間の間、一向産業構造の変革も図らず、資源のない国が旧態依然として、エネルギー源を大量に必要とするような製品の生産、アメリカ型の大量生産によって多くの利益をあげようとしてきたこと自体に大きな問題があるのではないか。
本当に質の良いもの、その国の高い技術を持ってしか他で作れないものは、少数しか生産しなくても、高価格で販売し、高い利益を上げることができる。スイスの高級時計のように。
我が国の産業界は、わずかなエネルギーでも生産できる高い技術を必要とする新しい製品の商品開発や製造に力を入れず、一方では「ゴミを減らすべきだ」といいながら、他方では、必要以上の電気を使って広告業、製紙業、インク製造業、印刷業者などは、誰も読みもしないような無駄なダイレクトメールを毎日山のように大量生産し続けている。
石油製品を大量に作る化学会社は、仰々しい過剰包装に相も変わらず大きな貢献をし、これまた希少なエネルギーの無駄遣いをして、「際限のない無駄作り」を今なお飽きずに続けようとしているーーーそうしたことに対して、産業界は今こそ猛省すべきであり、方向転換すべき段階にさしかかっているという認識をもつことが大切なのではないだろうか。
石油製品を大量に作る化学会社は、仰々しい過剰包装に相も変わらず大きな貢献をし、これまた希少なエネルギーの無駄遣いをして、「際限のない無駄作り」を今なお飽きずに続けようとしているーーーそうしたことに対して、産業界は今こそ猛省すべきであり、方向転換すべき段階にさしかかっているという認識をもつことが大切なのではないだろうか。
以下はプレジデント ロイターからの転載である。日本の電力会社の 「鵺ぬえ」のような金権体質がよくわかる。
http://president.jp.reuters.com/article/2011/07/15/171DEACA-A7AF-11E0-A6F6-8B073F99CD51.php
原発新設の莫大なコストが莫大な儲けに直結
東電のウラ側、原発の儲かるカラクリ【3】
電力会社が原発推進のみに狂奔してきた背景には、それだけの資産を築き上げられた「料金制度」の仕組みがある。
ジャーナリスト 藤野光太郎=文 PANA、AP/AFLO=写真
福島の災厄にピリオドを打てぬ政府。だが、国の新たなエネルギー戦略案には、重要な柱の一つとして「原子力」が明記されている。なぜか──その謎を解くには電気事業法に加え、とある省令の掘り起こしが必要だ。
東京電力の総資産は、今年3月期現在で約14兆8000億円。前述の面々や金融機関、電力会社の株主を除けば、これを原発事故の補償や再生可能エネルギーの開発と市場拡張に注ぎ込むべきだ、と考えるのが常識的だ。
実は、電力会社がその選択肢を捨てて原発推進のみに狂奔してきた背景には、それだけの資産を築き上げられた「料金制度」の仕組みがある。
電力は生活に必須のエネルギーゆえ、供給側の安定を図るとの名目で、投下費用を確実に回収できる「総括原価方式」(以下、総括原価)なる料金設定がなされている(右図参照)。その要は、膨大な数に上る経済産業省令の底に埋もれている。「電気事業法」を根拠法とする省令「一般電気事業供給約款料金算定規則」に記された計算式だ。
同規則第19条は「電力料金収入=総原価+報酬」となるよう規定している。「報酬」とは「利潤」のことだ。報酬額は、特定固定資産・建設中の資産・核燃料資産・特定投資・運転資本および繰延償却資産から成る「レートベース=原価」に「報酬率」を掛けて弾き出される。報酬率の計算方法は規則第4条が規定している。料金を値上げする際、電力会社は資源エネルギー庁に申請し、査定後の報酬率が次の改定時まで適用される。6月3日現在、電力会社全社の平均報酬率は3.05%。担当部局によれば、かつては報酬率8%前後の時代もあったという。
例えば、電力会社A社のある時期の報酬率が5%として、電気料金の請求金額が月1万円だとしたら、うち500円が電力会社の利潤だ。客から徴収した料金の合計は、儲けを含む総原価と同額ということになる。原子力発電所の建設コストの高さは他の電源の比ではない。仮に3000億円の原発を2基新設すれば、6000億円の5%=300億円の利潤を得られる。莫大なコストがそのまま莫大な儲けに直結するため、投資は洩れなく回収され、金融機関は際限なく融資する。社債発行による資金調達が容易にできるため、金融機関は電力債を特上で評価してきた。自民党政権下で原発の建設に拍車がかかったのも頷ける。電力会社お抱えの族議員も膨れ上がり、政・官・財・民・学・マスコミによる原発推進の一大シンジケートが完成した。
原発新設による高コスト体質の常態化と高い報酬率は、主要先進国の1.5~2倍に電気料金を押し上げ、電力会社は巨万の富を手にする。ほとんどの国民は、その内外価格差を知らない。
しかし、その勢いは90年代の電力自由化論議と先進諸国との内外価格差問題で失速する。料金値上げは限界を超え、燃料費も高騰し、自由化の動きへの牽制も必須となった電力会社は、高コスト路線からコスト削減路線へとシフトしていく。当時5%台に下がっていた報酬率は、その後も4%台から3%台へと下げざるをえなくなる。
そこで、電力会社はどうしたか。膨大な費用を投じた既存原発の稼働率を上げ、その「元を取る」形で実質的な利益の低下に歯止めをかけ始めたのだ。基準コストを料金設定の査定に反映させ、低コスト実現に超過利潤を認める「ヤードスティック方式」や、原油価格上昇などをヘッジする「燃料費調整制度」が新設されたのも95年である。
原発新設の莫大なコストが莫大な儲けに直結
東電のウラ側、原発の儲かるカラクリ【3】
電力会社が原発推進のみに狂奔してきた背景には、それだけの資産を築き上げられた「料金制度」の仕組みがある。
ジャーナリスト 藤野光太郎=文 PANA、AP/AFLO=写真
原発優先で稼働率を上げれば、自動的に他の電源の稼働率は落ちる。発電能力に余力を残したまま休眠する火力発電所が増え、動いている火力も低稼働に抑えられるのは、こうした経緯と事情に影響されている可能性が高い。
巨大市場への可能性に満ちた再生可能エネルギーは、「政策誘導と電力会社の協力で広がる市場」を起点に始まる産業である。公共的使命があるからこそ、民営化以降も総括原価と莫大な財政支出で守られてきた電力会社が、国民の期待と利益を無視して飽くなき利潤追求に奔走すれば、国民に「安全で廉価なエネルギー」が届くはずもない。低コスト電源は、総括原価で利潤を上げてきた電力会社の儲けには役立たなかったはずだし、原発の稼働を高めてそのコスト低減を図らなければ都合が悪い時代に他の電源の稼働を上げるのは、電力会社にとって得策ではないからだ。
電力会社が原発にこだわるのは結局、総括原価と原発が金儲けの切り札だからだ。そして経営環境の変化に応じて、事故前までは原発の稼働率向上で儲けを維持しようとしてきたのである。しかし、総括原価そのものに問題があるのではない。「公共の立場として責任がある身ゆえ」と国民に語りかけて補助金や制度上の特別保護を受ける身でありながら、他方では、「とはいえ民間企業ですから、普通の企業と同様、金儲けもさせていただかねば」と、まるで“鵺ぬえ”のような処世を恥じないことが問題なのである。その巧妙さが結局「嘘と隠蔽の体質」を深めてきた。今回の事故も、そうした金権体質に起因しているのではないか。
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