2011年6月12日日曜日

原発を視野に入れない復興構想の問題性:税金投入、入れ仏事になりませんか


五百旗頭氏は、神戸震災の経験をもち、財務相とのパイプがあることが買われて復興構想会議の委員長に推挙されたのではないかと言われたが、予想通り、第一回の会合から増税の話が持ち込まれ、神戸震災のご経験を踏まえた議論が行われたようである。

神戸震災の経験を生かすことはそれなりに意義があるが、しかしそれには大きな限界があることも認識すべきである。

以下はロイターの氏へのインタビューであるが、これを見ても分かるように、氏は、東北が深刻な原発震災の被災地であること、半径30キロ圏内をはるかに超えたあちこちのスポットで、空気が、水が、土壌が、農作物が、牧草が、海草が、そしてそこに生息する豊かな海の資源が今も汚染され続けているという現実に全く目を向けていない。

もし福島に原発さえなければ、そこを特区として、地元の農業や水産業などの復興をめざすという考え方は妥当なものと言える。政府は放射能汚染地域をできるだけ極小に留めようと必死になっているが、現実問題として高濃度の汚染は首都圏を超えて神奈川や静岡の各地にまで及んでいるのである。福島第一の水素爆発の直後、風は南方向だけではなく、北西方向にも吹いたと言われている。県境に放射能物質をさえぎる強力なバリアでも存在しない限り、福島市や県境をはるかに超えて北西方向に飛散し、いくつかの地点に落ちたという可能性は否定できない。(これを風評と決め付ける前に、東北地方全土で、もっと細かく緻密に土壌、大気、海水、地下水、下水、植物、水産物の放射能測定をし、そのデータを毎日公表すべきであろう)。

放射能物質の影響という重大かつ本質的な問題に対して何も答えない復興構想会議とは何なのか。

チェルノブイリを上回ると言われている放射能汚染の実態を踏まえない構想会議、産業の復興とその財源のことばかりが焦点化され、いちばん大切な国民の命、健康、安全というものが全くないがしろにされているのではないか。国民の安全と健康があっての産業でなければならないのではないか。このような中途半端な構想計画に多額の財源が投入され、結果的にそれが入れ仏事にならないことを心から願いたい。

神戸の震災から、東北震災まで幸いにして15年の年月が、準備期間があった。しかし地殻活動が盛んになっていると言われている今、次の大震災までに果たして17年の時間的猶予があるのだろうか。政府はその次の事態にも備えておかないと、近い将来日本のどこかで大きな震災が起きたときには、復興どころか救援・復旧財源さえ枯渇してしまって、手も足も出ないという最悪の結果を招きかねない。

財務省はその時々で必要になれば、国民から税金をしぼり取れば済むと安易に考えているのだろうが、もはや国民から徴収した血税は一銭も無駄に使われるべきではない。地に足のついたヴィジョンのない増税論は許されてはならないのである。





http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-21654720110611?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0

インタビュー: 震災復興は特区的対応と十分な資金必要=五百旗頭氏

2011年 06月 11日 12:33 JST


[東京 11日 ロイター] 政府の東日本大震災復興構想会議の五百旗頭真議長(防衛大学校長)は、ロイターのインタビューに応じ、震災復興を通じて東北地方が第1次産業や工業製品、自然エネルギーなどの分野でフロントランナーに浮上し、日本全体の再生につながっていくような復興に取り組むべきと語った。

そのためには、規制緩和などで被災地を「特区的な対応」にするとともに、復興資金を「渋らずに、しっかり出すことが重要」と指摘。財源については、復興債を発行した場合でも、将来世代の負担増は回避しなければならないとし、復興需要の盛り上がりの中で、復興債の償還財源を確保していくべきとの考えを示した。

復興に向けた2011年度第2次補正予算が今夏に成立すれば、秋にも復興需要が出てくると見通した。復興構想会議は6月末に第1次提言をまとめる予定だ。

震災復興への迅速な対応が求められている中、菅直人首相の退陣論も絡んで政治が迷走している。五百旗頭議長は、大震災という国難における与野党結束の重要性を強調。震災対応や社会保障と税の一体改革など山積している重要課題の解決には「大連立が望ましい」とも指摘した。

インタビューは10日に実施した。主な内容は以下のとおり。

──「創造的復興」とはどのようなものか。

「阪神・淡路大震災の反省に立っている。あの時は復旧にはお金を出すが、それ以上のことに国民の税金は使わないということだったが、それは大変な間違いだった。例えば神戸港はコンテナ埠頭で世界をリードしていたが、12メートルしか深さがないため、15メートル以上の深さをもった釜山などに競争で負けていくことになる。このように復旧だけでは極めて不合理で、誰のためにもならないとの経験がある」 

「今回は、東北地方ができることなら、フロントランナーに浮上し、日本経済全体を引っ張ってくれるような前向きな復興をやるべきというのが基本的な考えだ。世界一の漁場があり、コメやくだものだって海外でもやや高いが品質がいいと評判だ。サプライチェーンなど工業部門や観光業も農漁業に劣らない。東北の持っている強みを単に元に戻すだけではなく、先端的な日本のブランドとして押し上げることが大切。これが日本全体の再生につながる。原発の継続かどうかは別に、自然エネルギーをもっと強化し、技術革新を促しながら、東北地方をモデルにしていくことができないかと考えている」   続く...

──具体的な取り組みは。
「三陸のリアス式海岸は素晴らしい漁場。今まで200数カ所あった港をすべて元に戻すべきかというと、合理的な集約が必要。世界的な水産業の中心になるような港をいくつか整備しなければならない。いままで細々とやっていたところを復旧するとともに、国際競争力を持つ三陸の水産業を伸ばす必要がある」
「今回の津波災害への対応では、現行制度のツギハギを超えて真正面から考え、津波災害基本法という新たな法律をつくるくらいの発想が大切だ。津波の被災地・被災者が希望を持って新たなコミュニティーをつくれる特区的な対応をまずやり、3─4年で一般法にして、将来の津波被害に対応できる枠組みが必要だ」
──復興資金と財源について。
「内容にもよるが、多くの研究機関が復興には16─20兆円というお金がかかると予測しているようだ。被災3県の財政状況も厳しく、国が資金を出さなければ成り立たない。あまり渋らず、しっかりお金を出してやることが重要だ。2011年度第2次補正予算が夏に成立すれば、秋から積極的な建設が始まり、復興需要が出てくる」
「財源は、とりあえずは復興債を発行する方向に政治は動いているが、借金で将来世代につけ回しをすべきではない。復興債で復興需要をつくり、ブームを興し、そこから回収していくことになる。その際には3つの原則を考えている。1つは、全国民で支えるという連帯と分かち合い、2つ目は将来世代につけ回しをしない、3つ目は経済破綻をきたさないように聡明な対処をする、ということ。この中でのベストミックスが大切だ」
──復興債償還のための具体的な財源は。
「われわれが決めるべきなのか。デリケートな問題だ。3つの原則に立った場合、それぞれの財源のいい点、悪い点などをある程度、方向付けをして、考え方、国民が合意できる筋道を示すのが任務だ」   続く...

──政治が混乱している。
「復興については、与野党が協力を続けてもらわなければならない。『ノーブレス・オブリージ』(高き者の責務)という言葉があるが、政治的リーダーは高きもので、国益に対する責務がある。国難に際しては自分の政治生命とか党派性を優先してはいけない。震災から、まだ3カ月しか経たないのに政治休戦は終わりだと言って政争にふけるのでなく、しっかり国難に結束してほしい。(政治の枠組みとしては)福祉のための消費税の問題などもあり、一挙に解決しようと思ったら大連立が望ましい」
(ロイターニュース 竹中清 伊藤純夫   編集 宮崎大) 

2011年6月11日土曜日

大規模な集団疎開が必要だったのでは?:震災から3ヶ月

被災地で復興に必死になっている人たちに対して決して水を差すつもりはない。
しかし、震災後の対応は本当にこんな形で進められてよかった・よいのだろうか。

震災から3ヶ月というが、それは被災者にとって決して短い期間ではない。

必死の作業にもかかわらず2000万トンと言われている瓦礫の撤去は進んでいない。山積みになった瓦礫は撤去する場もないという。

瓦礫を全部撤去できたとしても、大規模な河岸工事、10数メートル以上の津波にも耐えうるような防波堤、防潮堤を海岸線上に、数百キロにわたって修復・設置しなければ、台風や大雨による洪水、津波などが押し寄せれば、ひとたまりもない。

被災地によっては90日たった今なお、1日一人につき、菓子パン1個とおにぎり1つしか支給されない場所もあれば、水道が復旧したといっても、塩分が多すぎて飲料水にならない場所もあるという。

せっかく2万7000戸以上の仮設住宅が建っても、ニーズに合わないとかなんだとかの理由で入居を断る人が多く、入居率は40%程度でしかないという。

米や野菜を作ろうとしても、塩害で稲が枯れ、畑の土は異臭を放つという。

病院が津波に飲み込まれた町では、新しい病院を建設する建設費の要求を国に出そうとしているが、医師不足は否めない。足らないのは医師だけではなく、役場の職員や学校教師も全国から募らなければならないような状況である。

神戸の震災とは異なり、あまりにも広範囲であり、しかも原発震災が復興に大きな歯止めをかけている

東北沿岸部は漁業の復興に向かって懸命になっており、海藻の種付けも始まったという。
けれども、フクシマの海の放射能汚染は、容赦なくじわじわと太平洋に広がり続ける。
食物連鎖によって春から秋にかけて、この地域に生息する中型魚、大型魚が大量に内部被曝してしまったら、この沿岸部の人たちの血の滲むような努力はすべて徒労に終わってしまう。

政府は東北の水産業を守るために、国際機関による海の汚染の調査を禁じ、独自の測定法で、東北の海産物の安全宣言を出し続けるつもりなのだろうがーー。

この震災は、神戸の震災とは違い、あまりにも広範囲であり、しかも原発が復旧・復興に大きな歯止めをかけている。

政府は必要に迫られると、朝令暮改であわてたように、ちょろちょろ細かく避難区域を指定したり、変更したりと場当たり的な対応を繰り返してきたが、本当にこのような対応でよかった・よいのだろうか。フクシマだけをとってみても、避難区域が変わる度に避難場所を転々とした人々がいたけれども、最初にもっと遠くに多くの人たちを避難させておけば、何度も転々としなければならないような事態にはならなかったのではないか。

被災者が地域に愛着を持って、できるだけ故郷から離れたくないという気持ちを持つことは当然である。

しかし、震災の被害が大きくちょっとやそっとの復旧・復興作業では元に戻せない程のものならば、国のリーダーは津波被害の大きさとフクシマのメルトダウンを知った最初の早い段階で、新しい法案を作ってでも、東北3県の被災者の大規模な集団疎開を決定するという英断を下すことが必要だったのではないだろうか。

日本の中には、人口減少によってその地域の産業が維持しきれなくなった地域はたくさんある。東北の人たちがもつ様々な専門的なノウハウを、そうした地域で十全に花開かせることは、いくらでもできるのではないだろうか。

そのようにして全国の過疎地と言われている地域に、多くの人々が流入し、様々な地域を活性化させ、過疎をなくしていく。そんな国土復興の大きなビジョンをもって、この国を力強く牽引してくれるような人材は、この国にはいないのだろうか。

首相の私的諮問機関にすぎず、多くは期待できないとはいえ、「初めに増税ありき」の復興構想会議はあまりにもお粗末であると言うしかない。

http://news24.jp/articles/2011/06/11/07184344.html


震災3か月 今なお9万人超が避難生活

< 2011年6月11日 13:10 >
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東日本大震災の発生から11日で3か月がたった。死者は1万5000人を超え、今も9万人以上が避難生活を余儀なくされている。
警察庁によると、10日現在、震災による死者は1万5405人となった。また、いまだ8095人の行方がわからないままとなっている。一方で、9万109人が避難所での生活を続けている。
がれきの撤去も進んでいない。環境省によると、仮置き場まで運ばれたがれきは宮城県で推計総量約1600万トンのうち19%、岩手県で同約500万トンのうち33%、福島県で同約290万トンのうち16%にとどまっている。

原発、こんな事故調査委員会でいいの?

何日か前に原発の事故調査委員会のメンバーについて書いた。この国の施政者たちが、この災害を国難として深刻に受けとめ、国民の健康安全を守るために、目をそらさずこの災厄に向きあい、責任の所在を明らかにすることの重要性をどれほど認識しているかの指標になると思われたからである。

畑村氏が委員長として選出されたという第一報を聞いた時点で、この委員会には何が求められているのかおよその察しがついた。

ここでは委員長を始めとした非専門家集団を組織して、「今度のことは、日本社会や、日本の企業文化に責任があることであり、東電(電力会社や省庁や政府は責めを負うべきではない。」

「人間には失敗はつきもの、人間は失敗にしか学べない存在なのだから、電力会社は何度も失敗を繰り返しつつ (深刻な原発事件を何度もあちこちで繰り返しながら)、原発の安全性を高めていけばよいのだから、めげずに頑張ってください。」

とおよそこのような線で手打ちにするつもりであろう。

実際、先日選出された委員会の構成メンバー、「この委員会では、責任追及は一切行わない」といった70歳を越えた委員長の、後世に残るような結果を出すためには10年、20年かかるかもしれないといった発言、「この委員会では、責任追及は一切行わない」と言った発言から、「これでいいの?」という疑念がますます強まってしまう。

司法に携わる人達は、私企業が引き起こしたこの上なく大きな人災に対して問題への責任追及も行わずに済ませておいてよいと考えているのだろうか。そうして手をこまねいている間に、どんどん時間は流れ、関係者の記憶の曖昧性はますます正当化され、大切な証拠はどんどん消されていく。

東電は内部に事故調査委員会を作ったという。結局、都合のいいデータだけを揃えて、今回の事故は想定外の津波によるものであり、原発の前にちょっとした防潮堤を作って津波対策さえすれば、電源車を配置するなどして予備電源さえ確保すれば、原発の安全性は確保できるというところに持っていくつもりなのだろう。

そんな茶番に労力を費やす暇があるのならば、本店の正社員は一丸となって、フクシマの学校の校庭に積まれた汚染土を、東京の下水処理施設に溢れた汚泥を、原発の敷地内に移送する作業をすべきなのではないのか。

事故調査委員会は、国政調査権のある国会の中につくるべきという議員さんもいる。たしかに内閣の中に置くよりはましかもしれないが、今度の原発問題の責任は現政権にのみ帰するものではない。前政権の責任を不問に付すようでは、問題の核心を追及するには至らない。

2011年6月10日金曜日

村上春樹のバルセロナでのスピーチ:「非現実的な夢想家として」

日本の知識人、文化人と言われる多くの人々が、原発事件の後3ヶ月にもなろうというのに、黙して様子見をするばかりで、電力会社や政府など既存の原発政策を推進・擁護する権力に対して毅然とした態度で、国際社会に向かって何らアピールしようとしていないことに大きな不満があった。

そのなかにあって今日の村上春樹のスペイン・バルセロナでのカタロニア国際賞受賞のスピーチ『非現実的な夢想家として』 は大変時宜を得たものであると思われる。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour

以下スピーチの一部を抜粋する。


みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)
(中略)
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 理由は簡単です。「効率」です。

原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
(中略)
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
(略)
村上氏は国際賞の獲得賞金を原発震災の義捐金として寄付するという。
個人的に彼の小説のファンと言う訳ではないが、村上氏が世界の幅広い読者層に与える影響は決して少なくないことは事実である。全世界の多くの人々が彼のスピーチを聞いて、我々が今考えるべきことは何であり、今後進むべき道はどこにあるか、再認識する機会になることを願いたい。


2011年6月6日月曜日

もっと有効な節電方法があるのでは?:欧米から学べること

電球をLEDに変え、省エネ型の新しい電化製品に買い換える、簾やヨシズを買う、おしゃれなプリント柄のステテコを履くなど、節電で新しい消費を煽ろうとする動きが目立つ中、もっと有効な節電方法はないのかという疑問が湧き上がる。

ところで、日本は戦後、消費経済社会のアメリカに、何もかも「右に習え」をしてきたかのように思い込んでいる人間も少なくない。実際のところ、資源の少ない日本人のほうがアメリカ人などより、むしろ資源やエネルギーの無駄遣いをしていることが多いのだが、その事実は、意外に認識されていない。

日本における商品の過剰包装についてはよく指摘されていることだが、高温多湿の猛暑の中、学校に通う子供たちの姿、贅沢すぎる学校給食を含めた食生活、煌々と明るい照明に照らし出された繁華街を深夜遅くまでうろつく青少年の姿、贅沢すぎる学校給食を含めた食生活はアメリカでは見られない光景だ。

まず日本の小学校から大学まで、高温多湿であるにも関わらず、7月の後半まで学校がある。土日でも、夏休みに入ってもまだ毎日部活で学校に通いつめる。酷暑に耐えてそれだけ勉強したから・スポーツに打ち込んだからといって、子供たちや学生たちが世界一の学力を誇っているか、人類に貢献するような発明や発見をする創造的な科学者や一流のアスリートが世界一育っているか、そのおかげで若者はみな我慢強く勤勉で、社会をしっかり支え、人々の生活が世界一豊かであるかといえば、現実は決してそうではない。

日本の高校や大学は、アメリカのように6月から9月まで暑い間は夏休みにし、高校生は自宅でゴロゴロしたり、予備校に通って受験勉強ばかりしていないで、大学生は都会でアルバイトをして遊興費を稼ぐ暇に、涼しい東北の被災地にでかけてボランティア活動でもすれば単に省エネになるだけではない。

ドイツでは大学に入る前、男の子は徴兵制で兵役につくか、ボランティア活動をするかどちらかを選べる制度がある。徴兵制がいいとは言わないが、この時期にただ勉強や受験テクニックを学んでさえいればいいのではなく、大学生になる前にしっかりと社会経験を積むことは、大人としての成長をするうえで、とても大きな意味がある。

またドイツの夏休みは6週間程度しかないが、小中学校では「ヒッツェフライ」(Hitzefrei) といって、11時過ぎの気温を計って、気温が一定以上に高い場合は、生徒を帰宅させる制度がある。暑すぎる時に、冷房をかけてまで学校に子供を縛り付け、勉強させる必要はないということである。


前にも書いたが、ドイツには閉店法という制度があって、多少緩和されたとはいえ、空港、ガソリンスタンド、大きな駅、薬局を除いて、デパート、商店の多くは日曜閉店している。日本は宗教上別に日曜日に特別な意味があるわけではないから、大型店舗は輪番制で定休日を作り閉店するということでも、かなりの電力が節約されるはずである。


閉店法に加えて、日本との違いは、脱原発に向けて大きな舵取りも始めた点だ。だからといって、ドイツの消費が落ち込んで経済が低迷しているか、国債の信頼度が下がっているのかといえば、ムーディズの格付けでは、世界最高位のAA+を保っているのである。


電気をどんどん消費し、24時間コンビニやファミレスを稼動させ、土曜日も日曜日もなく大型店舗が営業を続け、長期休暇もとらずに働き詰めに働いているにも関わらず、日本はAA2からさらに引き下げられる状況におかれているのはなぜなのかーー。


日本人の生活・労働の在り方を、根本的に見直す岐路にさしかかっているのではと私は思う。

食生活についてもしかりである。一般に日本人に比べてアメリカ人ははるかに体格がいい。特にダイエットをしてマッチ棒のように痩せた日本の女性から比べれば、アメリカの女性は1,5倍以上は大きい。しかし彼らの昼ごはんといえば、2枚の薄いパンにハム・チーズあるいは、ピーナツバターとぶどうジャムをはさんだサンドイッチ1つと、りんご1つ(あるいは生の人参やセロリをステックにしたもの)というのがごくごく一般的なランチだ。それにチョコレートチップクッキーなどの入った小袋をランチボックスの中に入れて、一緒に食べるようなケースもあるがーー。大人が昼に外食をするといっても、平生はサンドイッチが、ハンバーガー、ホットドッグ、一切れのビザに代わるぐらいのものだ。

おしゃれな都会では、夏は、2メートルぐらいの大柄の若い男性が小さなカップに詰まったサラダを買って、それにドレッシングとクルトンをかけて食べている姿をよくみかけるし、冬は冷たいサラダが、カップ一杯のスープやチリコンカンと小さなパンに代わるぐらいのもので、とても質素だ。

朝はドライ・シリアルに牛乳、(シリアルにブルーベリーなど生の果物を入れて食べることもあるが)、夕食も、近年では健康志向のせいか、夏はサラダとパン程度で簡単に終わらせる家庭が増えている。もちろん生野菜だけをぱくついているというわけではなく、タンパク質や脂質が足りないと思えば、ハムやチーズを刻んだものや、ひまわりの種やくるみなどをサラダに混ぜる。

家の中で煮炊きをする代わりに、夏は友達を誘って庭やベランダ、それがない場合は最寄りの公園などに出かけて、チャコールを使って、バーベキューをすることもある。

日本の給食制度はたしかに戦後ひどい栄養失調状態に置かれていた児童を救済するのに一定の役割を果たした。しかし、今、飽食の時代の子供たちに贅沢な手の込んだ給食を与える必要性がどれほどあるだろうか。日本の子供たちよりはるかに体格のいい欧米の子供たちは、もっともっと質素な食事をしているが、それでも立派に育っているのである。

「給食に暖かい料理が出なかったとか、量が少なすぎる」などなどと不満を言う前に、最も豊かな国と言われるアメリカの一般的な人たちがどんな食事をしているかよく見てもらいたい。

親によっては、自分たちは望んでいないのに食べさせられているのだから、給食代を払わないと拒否しているという話も聞いたことがある。給食などさっさと廃止し、家から弁当を持参すればいいのだ。給食は津波で親や住む家を失った子供たちにこそ必要であるが、それ以外のところではこの際、廃止すれば、無駄な電力や燃料は随分節約できる。

親や社会は、いつまでもバブル時代の余韻に浸り続け、子供を甘やかし飽食三昧にするのではなく、やがて確実に訪れるであろう食糧難の時代にも立派にサバイバルできるよう、もっと質実剛健に生きることの大切さを教える必要があるのではないか。

欧米の一般家庭(もちろん崩壊家庭などの例外はどこにでもあるが)の子供たちは、普通夕飯が終わった後、一家だんらんの時を過ごす。食事の後、家族がさっさと自室に引きこもって、別々のテレビを見たり、パソコンゲームに没頭して夜を過ごす生活を辞め、家族が同じ部屋に集まり、テレビを見て、いろいろな話をする場を作れば電力の節約にもなるし、家族のコミュニケーションの時間も増えるはずである。

大切なものを大事に長く使うという習慣も今の日本にはない。車も洋服もバッグや靴も、少し古くなると新しいのに買い換えるのがこの国では当たり前になっている。欧米に行くと人々が古いものをいつまでも慈しんで大切に使っている様子を見て、驚かされることがある。

今の日本で、老朽化してつぶれかけているようなものを、取り替えずに永々と使い続けるのは原発の原子炉ぐらいのものかもしれない。

2011年6月4日土曜日

日本はドイツと肩を並べることはできないのか?:新エネルギー改革

今日のNewsweekの、「原発を捨て、経済力を維持したまま自然エネルギーに移行する。それができるとすれば、ドイツしかないがーー」という小見出しのついた記事には、メルケル首相の新しいエネルギー政策への取り組みが取り上げられていた。

日本では政財官が一丸となって電力(関連)会社・原発を擁護するあまりに、送電線分離、電力の自由化も全く顧みられず、雑草や木材を利用したバイオマスや太陽光発電、風力発電、地熱発電、潮力発電などといった再生可能なエネルギーの開発についてもほとんど全く重視されてこなかった。原発が未だアウトオブコントロールの状態である今でさえ、送電線分離、電力の自由化の話が話題に上がった途端に、原子力産業を推進する企業の長である経団連の会長が「あまりにも唐突」と早々に水をさす始末だ。

おかげで、日本は再生可能な新エネルギーの開発では、先進諸国から見て大いに水をつけられてしまっているというのが現状である。

原発を停止することによるエネルギー不足に関しては、すでに小出氏や武田氏が、揚水発電、火力発電、企業の自家発電を活用すれば、そんなことにはならないと繰り返し力説されている。CO2など多少出ても、高濃度の放射性物質を大気中や土壌や海洋に撒き散らし・垂れ流しにするよりはよほどマシである。

そして原発が決して低コストではないことも今回の事件で、十二分に分かった。二度とこのたびのような事故が起きないようにするためには、地震大国日本の場合、活断層、海底活断層の上や近くにある原子炉は全て廃炉にし、それ以外の場所でも震度9以上でも壊れない地震対策、15メートルの津波対策、半径40キロ圏内には人が住まないような対策を立てる必要があるし、ポンコツ自動車のごとく老朽化した原子炉は当然廃炉にすべきであり、そのコストだけでも実に膨大なものとなる。その上に、今後避けて通れなくなる、使用済み核燃料の再処理や最終的な処分にかかる時間・場所・リスクが伴い、気が遠くなるほどのコストがかかることは容易に想像がつく。しかも、ひどいことに、どの国もまだ使用済み核燃料の処分にまともに成功している国はないのだという。

もう一つ脱原発を阻む正当な理由があるとすれば、それは原発をやめることで仕事を失うかもしれない作業員の雇用の問題である。

以下は、ドイツが再生可能エネルギーの電力供給を0.5%上昇させたことに伴い、再生可能エネルギー部門の雇用は前年度比で8%上昇の37万人に達したという記事である。明らかに再生可能エネルギーの拡大は大きな雇用を生むことを示している。

フクシマで働いた原発作業員の多くは今度の事件の事後処理で、被爆量が一定値を超えてしまうと、もはや原発では働けなくなる。高齢のOBを再雇用するといっても、一定の限界があるし、身元の不確かな外国人労働者の雇用すれば、それはそれで大きなリスクにもつながる。フクシマで働く作業員の人たちが一定の職業訓練を経て、再生可能エネルギー部門で雇用されるならば何ら問題はないのではないか。


2010年、独の再生可能エネルギーの割合は17%へ、雇用は37万人へ増加
カテゴリー:エネルギー政治法律社会経済
(ドイツ連邦環境・自然保護・原子力安全省より)
ドイツ連邦環境・自然保護・原子力安全省(BMU)は3月16日付けのリリースで、2010年のドイツの再生可能エネルギーが電力供給で占める割合は、前年比0.5ポイント増加で17%へ上昇したと発表した。これは、BMUのために再生可能エネルギー統計作業部会(AGEE-Stat)が算出した暫定結果である。
2010年は風が非常に少なかったため、風力発電量が365億キロワット時と、2006年以降で最低を記録したにも関わらず、風力エネルギーは、再生可能エネルギーの重要な柱の役割を維持し、電力供給全体の約6%を占めた。太陽光・熱発電が占める割合は2倍に増え、電力供給全体の約2%に達した。
現在のシナリオでは、わずか10年以内に、ドイツでは再生可能エネルギーが電力供給量の40%を占める可能性が示されている。年間120億キロワット時の増加が現実的だと考えられている。
また、2010年には、再生可能エネルギーの利用により、温室効果ガスの排出量を約1億2,000万トン(2009年は1億1,100万トン)削減できた。このうち約5,800万トンは再生可能エネルギー法(EEG)によるものと見なすことができる。
再生可能エネルギーの拡大は、雇用の数値にも表れており、2010年の再生可能エネルギー部門における雇用は、推定約37万人だった。これは前年比約8%の増加で、2004年の2倍以上に相当する。                                       (2011年3月22日)
日本は技術立国の意地をかけても、「原発を捨てて経済力を維持したまま自然エネルギーに移行する」と、第一に名乗りを挙げなければならない国なのではないのか。80年以来、どこの途上国の原発でも起こしていないような大きな事故を引き起こし、地球の大気中に、海洋に、3月11日以来、汚染物質を垂れ流し続けていることの重みを推進派の人たちはどのように考えているのだろうか。
事故はまた必ず起こるだろうが、自分たちの本社や自宅は、原発から何百キロも遠く離れた場所に置いておきさえすればそれほど大きなリスクはないし、次に事故が起こっても、また身内で適当に報告書をまとめ、事故の失敗を次に活かしていけばいいだろうというぐらいにしか考えていないのだろう。
この国で、まだどうしても原発を推進したいというならば、まずスウェーデンのように送電発電を分離し、電力の自由化を図り、原発のエネルギーを使う消費者とそれ以外のエネルギーを買う消費者に分けてもらいたい。
むろん原発エネルギーを売る電力会社と買う消費者は、どんな事故が起きてもその事故の保証や、発電所の設備のメンテナンス・廃炉、放射性廃棄物の処理・処分などにかかる費用は、一切自分たちが自己負担で分担しあい支払うというシステムにすべきである。それが利権や交付金で汚染された人々をデトックス(detox)するのに最も有効な方法でもある。

エネルギー

ドイツの「脱原発」実験は成功するか

Germany Embarks on a Green Energy Revolution
原発を捨て、経済力を維持したまま自然エネルギーに移行する──それができるとすればドイツしかないが
2011年06月02日(木)16時55分
デービッド・ロー
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福島エフェクト メルケルは物理学者でもあるが、政治家として決断を下した Johannes Eisele-Reuters
 物理学者でもあるドイツのアンゲラ・メルケル首相は、普通の政治家より原子力発電のリスクを冷静に判断している。福島第一原発の事故の前後で、ドイツ国内の原発17基の危険性が変わったわけではないと分かっている。
 しかし政治家としては、原発のリスク判断を変えざるを得なかった。メルケルは5月30日、早急な原発廃止を求める国民の要求に応え、国内のすべての原発を2022年まに全廃すると発表した。ドイツはこれで、1986年のチェルノブイリ原発事故後に国内すべての原子炉を停止したイタリア以降、先進国としては初めて、脱原発に向かう国となる。
 ドイツでは現在、原子力が電力供給の約4分の1を占め、製造業が牽引する国の経済を支えてきた。その原発停止で失われる電力の大半は、風力や太陽光など再生可能エネルギーで代替していくという。
 ドイツの試みは、クリーンエネルギーへの道を模索する世界にとって、極めて重要な「実験」になると専門家たちは指摘する。ドイツは既に、経済力を維持しながら「エコ国家」になることに成功している。そのペースについては激しい議論が行われてきたものの、クリーンエネルギーへの移行は政治的合意も取れている規定路線。国民の間でもクリーンエネルギーへの支持は大きく、原子力への不信感は昔から根強い。

インドや中国のエネルギー政策への試金石

 そういった素地が整っているドイツが脱原発に失敗すれば、世界に悪いメッセージが示されることになると、ドイツ外交政策協会研究所のマルセル・ビートル(エネルギー・環境問題専門)は言う。
「(原子力から再生可能エネルギーへの)移行は可能だという先例と、その方法を示す歴史的なチャンスだ」とビートルは言う。「国家としての競争力を損なわず、経済成長の妨げにならずに実現することは可能なのか? 堅調な成長を減速させたくないと考える中国やインドなどの新興国にとっては重要な問題だ。もしわれわれが失敗したら、誰が同じ道を進もうとするだろう。失敗すれば世界レベルで悪影響をもたらす」
 ドイツ国民の多くも、今回の試みを「賭け」だと思っている。メルケルにとって脱原発を宣言することは、これまでの政策を180度転換させる「大きな挑戦」だ。メルケルは昨年、既存原発の稼動年数を平均12年延長する決定を下したばかりだった。
 現在のドイツは電力供給の約23%を原子力に頼っており、再生可能エネルギーは17%、石炭火力は50%、天然ガス火力は13%だ。今後の目標は、2020年までに再生可能エネルギーの比率を35%に引き上げること。移行期の原発停止による不足分は、天然ガス火力を増やすことで補う考えだ。
 5月30日、メルケルはこの計画を「エネルギー革命」だと絶賛した。これは未来の世代にとって「大きなチャンス」であり、ドイツを国際舞台の主役に押し上げるだろうと彼女は語った。
 全体的としては、ドイツは今後10年間での自然エネルギーへの移行計画に前向きなようだ。メルケルにとっては脱原発への路線変更になるが、彼女の前任者ゲアハルト・シュレーダー首相(当時)が2000年に打ち出した段階的な原発廃止計画に立ち返っただけともいえる。
「現実的で、実現可能な計画だ」と、ドイツ経済調査研究所のエネルギー・交通・環境部門を率いるクラウディア・ケムフェルトは言う。「多くの企業が同意した(シュレーダー時代の)脱原発路線に戻ることになる」

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かんちゃんとポッポくんのクラス日誌  千代田区永田小学校 3年B組

「かんちゃんが委員長では、クラスが全然まとまらないし、何もきまらないよぉ」
「そうだ、そうだ。」という声がクラスの中で、だんだん強くなってきた。

「なんとかしなきゃ、どうしよう?」
「大人はこういうとき、内閣不信任決議っていって、皆で投票して,決めるみたいだよ。」「へぇ~~」
「よ~~し、僕たちもそれやってみよう!」

いよいよ投票の日になった。
予想では賛成派、反対派のどちらが勝つか分からなかった。

そこで、前の委員長のポッポくんとそのお友達は考えた。
せっかく投票しても僕らが負けちまったら、かんちゃんの続投が続いちゃう。かんちゃんの方だってここで負けたら惨めだし、そんな惨めな結果になるのは嫌だと思っているに違いない。

ポッポくんが言った。「ここは何とか、かんちゃんが自分から辞めるように、僕が選挙前に、もう一回、かんちゃんと話しあってみるよ。」

かくして、かんちゃんとポッポくんは選挙の朝、会って相談をすることになった。
かんちゃんはポッポくんに「夏祭りの準備のめどがついたら委員長をやめる」って口約束したらしい。

その話し合いの後、投票の直前になってホームルームでかんちゃんは言った。
「クラス行事のめどがつくまで僕が責任をもってやり、適当な時期が来たら次の委員長にバトンタッチするから。」

そのあと、みんなで投票した。

ポッポくんとその仲間たちは、最初は委員長おろしに票を投じるつもりだったし、他の子たちにもそう明言した。しかし、かんちゃんの「夏祭りの準備のめどがたったら辞める」という言葉を信じて、委員長おろしに賛成しなかった。いろんな理由で投票を棄権した子も何人かいた。

「かんちゃんはどうせあと1~2ヶ月で辞めるんだから、わざわざ今引き下ろすようなことをして、かんちゃんたちのグループに恨まれるようなことは避けたい」と思った子、この忙しいときに、かんちゃんを引き下ろしたり、委員長選挙をして役員を変えたりするのは億劫だと二の足を踏む子、「新しく選挙をし直したあと、今就いている役得のある役から外されては大変だ」と心配する子たちは、かんちゃんの不信任決議案に反対票を投じた。

投票の結果、不信任決議は否決され、かんちゃんは委員長を続投することになった。

ところがその直後、かんちゃんは言った。「運動会とか学園祭とか大事なクラス行事の準備のめどがつくまで、僕はクラス委員長として責任をもって頑張り、それから辞めます。」ポッポくんは怒り狂って「委員長のくせにうそつき、ペテン師」とかんちゃんを罵ったけど、かんちゃんの子分のエダリンくんは「かんちゃんは一度も『すぐ辞める』なんて言ってないよ」とかんちゃんを弁護した。

学校の規則で、この投票は1年に1度しかできない。ホームルームが紛糾して、収拾がつかなくなっては困るから、他のクラス委員から、「かんちゃんとぽっぽくんは、もう一度二人でよく話し合ってみたら」と言われている。

同じようなことを震災や原発事故の収拾もつかない状況のもと、1日億単位の税金を使ってやっている大人たちが何百人もいる。みんなこの国の代表者と言われる立派な大人達である。それどころか、その前は何も大切な事を決めないで「誰が水を入れた、止めた、止めない」で丸1週間、責任のなすりあいに明け暮れていた。

国会中継でテレビに映っている皆さん、子供や孫があれば、聞いてもらいたい。彼らはお父(母)さんやおじい(ばあ)ちゃんたちが繰り広げるこんな茶番劇を一体どのようなまなざしでみているのかと。

2011年6月3日金曜日

謝らない人たち: 理解出来ない精神構造

 無残なほどに負け続け、甚大な犠牲者を出しながら、味方が受けた損傷は取るに足らないものであり、我が国は華々しく勝ち続けているのだなどといったデマ報道が際限なく流され続ける。

しかし物資が目に見えて不足し、空襲が日に日に激しくなると、さすが国民の中にも、実は負け戦を続けているのではないかという疑念が高まってくる。だが、それを口にするや、「戦地では兵隊が尊い命をかけて国のために戦っているのに非国民である」と、一刀両断激しく弾圧されたという話。

そんな酷いことは、民主主義なんかみじんもない、軍部によって自由な言論が抑圧された軍国主義の時代、戦争という異常な極限状況のもとでしか起こらないと信じて疑わなかった。

しかし戦後65年にして、民主という名のついた政権のもとにこの悪夢は見事に再現された。
「国民がパニックを引き起こさないために」という美名のもとに、恐ろしいデータは全部隠された。

人間というのは誰しも危機が迫るとなんだかおかしいという勘が働くものである。

ニュースを聞いていても、東電、保安院、政府の意見がビミョウに食い違っている。

全電源喪失って!!電力会社でしょ?東電でしょ?

田舎の零細企業の小さな製造工場なら話はわかるよ。
でもね、世界一を誇る科学技術の先端を行く原発でしょ?

設備投資にお金がかけられない零細企業ならわかるよ。でもさ信じられないぐらい高い電気料金とって、その上に莫大な税金つぎ込んで、安全のための設備投資が十二分になされているはずの施設で、そんなことがあっていいの?

アメリカが冷却材を送ると申し出ているのに、それを断ったって?

ふ~ん、日本の技術ってやっぱりすごいんだぁ、自分たちで止められるんだな?

あれあれでも、水が入らない、ベントの弁が開かないっていっているけど、ほんとに大丈夫?

あ~、でもおえらい国立大学の先生が出てきて、「格納容器は頑丈だし、圧力容器はもっと頑丈だから絶対に大丈夫」っていってるから、安心してていいのかもぉ

あらら、建屋が爆発して吹っ飛んだって、でも、建屋はすぐに吹っ飛ぶ構造になっているそうだし、建屋なんて別になくてもいいっていってるよ。

それにさ、けが人が出たけど、大したことなかったって、白煙は水蒸気爆発をして水蒸気が出ただけだから、大丈夫だっていってるけど、ほんとに大丈夫なのかしら??

まじ、皆逃げないとやばいんじゃない?危ないなんてニュース見てても誰も言わないけど、ほんと大丈夫なのかい?あぁ、ツイッターとかにそんなかきこが一杯あるらしい。

危ないなんてニュース見てても誰も言わないけど、ほんと大丈夫なのかい?わかんないけど、なんか変な事、多いから、私もかきこしようかな?

しっ!だめだよ、黙って聞いてないと、「デマや風評を流してる」って、ヘタなこと書いたら罰せられるって、かんぼうちょうかんが恫喝してるし、スポーツ新聞の見出しにもデカく載ってるぞ。3月11日に、コンピュータ監視法案の閣議決定が通ったから、監視されるかもぉーー不気味だね。


それにしてもACジャパンの広告、しつこいなぁ!震災でスポンサーがCM自粛したから、その代わりだってさ?ACジャパンって電力会社がけっこう出資してるらしいけどぉ。

でもさ、これだけ何回もしつこく繰り返されると、サブリミナルに何か刷り込まれてるみたいな気がしない?

つまり、「遊ぼう」っていうと、「遊ぼう」っていうはね、「安全」といわれたら、「安全」って思わなきゃいけないってことかぁ~~

あれからもう3ヶ月。これだけたっても謝らない人たちがいる。
保安院の代表、原子力安全会の委員長、そして福島原発の所長である。
そしてそのことを誰も追求しようともせず、不問に伏していることが、不思議でならない。

今や英雄に祀り上げられたフクシマ原発の所長は、現場対応に追われてそれどころではないと同情する人も多いのかもしれない。しかし、本店との、ほとんど無意味にも近いようなテレビ会議をしている時間があるのであれば、1回でもいいから、フクシマ第一原発の代表者として、飯舘村の交付金の恩恵を受けてこなかった避難民の人たちに対して、フクシマの乳児を抱えたお母さんたちに一言、きちんと謝罪すべきではないのか。

以下は日経ニュースである。こういう事実が次々に明るみになりながら、本当に謝らなければならない人たちが、一度も謝らず、国の責任が直ちに国民や公務員全体に転嫁され、大きなつけが回される、そんなことが許されていいのだろうか。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E2E1E2E38A8DE2E1E2E4E0E2E3E39C9CEAE2E2E2

日経新聞 6月4日


地震翌朝、原発敷地外に放射性物質 保安院公表遅れ 

2011/6/3 23:13
 
経済産業省原子力安全・保安院は3日、東京電力福島第1原子力発電所が東日本大震災で停止した直後の大気中の放射性物質濃度などのデータを公表した。地震翌日の3月12日朝、1号機で最初に排気用の弁の開放(ベント)をする前に原発敷地外で炉心の激しい損傷を示す放射性物質が検出されていた。2カ月半も未公表だった。直ちに公表していれば事故の正確な実態把握や避難計画の検討に役立った可能性がある。
 公表したのは地震直後の3月11~15日に、政府の原子力災害現地対策本部と福島県が測定したデータ。15日に保安院の担当者らが大熊町の緊急時対策拠点から福島市に退避した際に持ち出し忘れたデータを、5月28日に回収したという。
 データによると3月12日午前8時30分過ぎに浪江町や大熊町で放射性ヨウ素や放射性セシウムを測定。核燃料が1000度にまで過熱しないと出ないとされる放射性テルルも検出された。
 東電は12日午前10時17分に、1号機の格納容器の圧力を下げ水素爆発を防ぐためにベントを始めた。今回の公表データは、それ以前に炉心の激しい損傷が原因とみられる放射性物質が建屋の外に出ていたことを示す。弁の故障や建屋の損傷などが早い段階から起きていた可能性がある。
 保安院は12日午後に、原発敷地内で放射性セシウムが検出されたと発表。敷地外の放射性物質は13日以降の測定値しか公表していなかった。
 新データは原子炉の異常がどのように進んだかを理解する手掛かりとなる。すぐに公表していれば事故の深刻度をより正確に把握し、避難地域を的確に判断するのにも生かせたとみられる。
 保安院の西山英彦審議官は「意図的に隠すつもりはなく、情報を整理して公表する発想がなかった」と弁明した。福島第1原発事故を巡っては、政府が放射性物質の拡散予測を3月下旬まで公表しなかった。東電も5月28日に大量の放射線量の未公表データを明らかにするなど、透明性が不十分との批判が多い。