何日か前に原発の事故調査委員会のメンバーについて書いた。この国の施政者たちが、この災害を国難として深刻に受けとめ、国民の健康安全を守るために、目をそらさずこの災厄に向きあい、責任の所在を明らかにすることの重要性をどれほど認識しているかの指標になると思われたからである。
畑村氏が委員長として選出されたという第一報を聞いた時点で、この委員会には何が求められているのかおよその察しがついた。
ここでは委員長を始めとした非専門家集団を組織して、「今度のことは、日本社会や、日本の企業文化に責任があることであり、東電(電力会社や省庁や政府は責めを負うべきではない。」
「人間には失敗はつきもの、人間は失敗にしか学べない存在なのだから、電力会社は何度も失敗を繰り返しつつ (深刻な原発事件を何度もあちこちで繰り返しながら)、原発の安全性を高めていけばよいのだから、めげずに頑張ってください。」
とおよそこのような線で手打ちにするつもりであろう。
実際、先日選出された委員会の構成メンバー、「この委員会では、責任追及は一切行わない」といった70歳を越えた委員長の、後世に残るような結果を出すためには10年、20年かかるかもしれないといった発言、「この委員会では、責任追及は一切行わない」と言った発言から、「これでいいの?」という疑念がますます強まってしまう。
司法に携わる人達は、私企業が引き起こしたこの上なく大きな人災に対して問題への責任追及も行わずに済ませておいてよいと考えているのだろうか。そうして手をこまねいている間に、どんどん時間は流れ、関係者の記憶の曖昧性はますます正当化され、大切な証拠はどんどん消されていく。
東電は内部に事故調査委員会を作ったという。結局、都合のいいデータだけを揃えて、今回の事故は想定外の津波によるものであり、原発の前にちょっとした防潮堤を作って津波対策さえすれば、電源車を配置するなどして予備電源さえ確保すれば、原発の安全性は確保できるというところに持っていくつもりなのだろう。
そんな茶番に労力を費やす暇があるのならば、本店の正社員は一丸となって、フクシマの学校の校庭に積まれた汚染土を、東京の下水処理施設に溢れた汚泥を、原発の敷地内に移送する作業をすべきなのではないのか。
事故調査委員会は、国政調査権のある国会の中につくるべきという議員さんもいる。たしかに内閣の中に置くよりはましかもしれないが、今度の原発問題の責任は現政権にのみ帰するものではない。前政権の責任を不問に付すようでは、問題の核心を追及するには至らない。
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