大方の研究者が電力会社と癒着している現状のもと、新しい規制機関といってもそれに相応しい、カネや権力に屈しない小出氏や今中氏のような原子力の研究者がどれだけ日本の中に存在するのか、疑問であり、結局また新しい省庁を増やして、体裁だけ整え、新しい革袋の中に古いワインを注ぎこむような結果になるのがおちではないか。
先般、経産省、エネ庁、保安院のトップの交代劇が大々的に報じられたが、不思議なのは、原子力安全委員会の委員長を始めとする面々の処遇である。
原発災害の現場で陣頭指揮に立つこともせず、安全圏に身をおいて高見の見物を決め込み、政府に対して適切な判断による助言をしなかったがために、とりかえしのつかない甚大な放射能汚染を引き起こす結果を作った委員会の面々の責任は重大である。
このような自己保身と原発推進しか頭にないような面々に、首相は、いつまで原発再稼働の安全確認の最終チェックなどという重大な仕事を任せておくつもりなのだろうか。
委員は年収1600万の収入を得ているようだが、委員長となればこれに役職手当がつくはずである。委員の俸給だけを考えても、明らかに1億円を超える税金の無駄使いである。さらに、この面々には100人もの職員がついているというのだから、全く開いた口が塞がらない。
安全委員会は内閣総理大臣が任命権者だという。菅総理が本当に原子力制度の改革を望むのであれば、即刻全員を解任して、小出裕章氏のような方を三顧の礼を尽くしてでも登用すべきなのではないのか。
非常事態に重大な局面において、彼らが如何に動かなかったか、どれほど立派な判断をされてきたかは如何のサイトを見れば明らかである。
同時にウィキペディアから原子力安全委員会についてのサイトの一部を転載した。この委員会を頂点に、砂糖に群がるアリの如く、20近くの専門審査会、専門部会があり、それぞれの審査会、部会に多数の御用学者が名を連ねて結託し、審査会や部会の開催・維持運営に多くの歳費が注ぎ込まれてきたわけであるから、全くもってやりきれない。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103250143.html
原子力安全委員会は国民の前に立て
放射能の飛散状況の推測結果を原子力安全委員会が23日夜、ようやく公表した。福島第一原発事故が起こってから、安全委員会が会見をしたのはこれが初めてだった。「総理および官邸に助言するのが第一」として、みずから会見はしなかったという。
しかし、放射能という目に見えない敵と日々闘っている人々がいま安全委に期待するのは、専門知識を生かしたアドバイスだ。「黒衣に徹している」(班目春樹委員長)場合ではない。世界中の専門家の力を借りながら、いまどう行動するのがいいのか、安全委は直接国民に語るべきだ。
23日に公表されたのは、原発から放出された放射性物質の広がり方を、地形や気象データを踏まえて予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)の試算結果だ。
米国やフランス、オーストリアなど海外の機関はこうした予測を事故直後から独自にインターネットで公開してきた。「日本にもSPEEDIがあるのだから、早く結果を公表すべきだ」という国民や専門家の声に押される形で、やっと公開に踏み切った。
安全委は「放出源がどうなっているかわからなかった」ことを、公表が遅れた理由にあげた。しかし、放出された放射性物質の種類や量が正確にわからなくても、大まかな広がり方がわかれば、余計な被曝(ひ・ばく)をしない対策を考えるときに助かる。
班目委員長は23日の会見で、今後は「モニタリングのポイント数を増やすのが第一」と述べた。予測の精度をあげるためだが、そんなことを「第一」にしてもらっては困る。予測結果が大まかなものであっても、それをいち早く人々のために役立てることの方が、はるかに大事だ。
原子力安全委員会は国の安全規制の基本方針を決め、首相を通じて関係省庁を指導する権限をもつ。経済産業省の組織である原子力安全・保安院による安全審査の妥当性をダブルチェックし、安全に万全を期す役割を担ってきた。
安全委の委員は5人。米国の原子力規制委員会(NRC)のように多くの研究者を抱え、強力な権限をもつ独立機関とは違うが、緊急時を想定した態勢は整えていた。
しかし、今回の事故ではそれが機能していない。国民は本当に困っている。
いまの危機的状況を打開するには、専門家の力を結集するしかない。専門家はみずから安全委に出向くときだ。漏れ続ける放射性物質の行方、人体への影響の度合い、国民へのリスクの伝え方などについてさまざまな分野の「知」を集め、その時々で最善のアドバイスをしてほしい。
内閣に危機管理監がいるように、安全委専属の危機管理監を任命することも考えてみるべきだ。(高橋真理子)
2011年4月5日12時16分
原子力の安全確保の基本方針を決める原子力安全委員会の存在が、揺らいでいる。事故時には専門家の立場から政府や事業者に助言をする役割も担うことになっているが、福島第一原発の対応では本来の使命を十分に果たせていない。未曽有の大事故に、能力の限界を指摘する声も内部から上がっている。
安全委は内閣府に置かれた、省庁から独立した機関。作業員2人が死亡、住民ら約660人が被曝(ひばく)した核燃料施設JCOの臨界事故(1999年)の反省から、直接事業者を規制する原子力安全・保安院が経済産業省の中に設けられ、その保安院の安全規制を監視するお目付け役として、独立色を強めたはずだった。
安全委の委員は、原子力や放射線などの専門家5人。約100人の職員が事務局として支える。ふだんは安全審査や原子力防災の指針を定めるなどの仕事をしているが、今回のような事故時には、緊急に専門家集団を設けて首相に技術的助言をすることが原子力災害対策特別措置法で決まっている。
だが、安全委は当初沈黙を続けた。住民の被曝や汚染の広がりの予測に役立つ放射能拡散の試算もなかなか公表しなかった。
班目(まだらめ)春樹委員長が初めて会見したのは、地震発生から12日後の3月23日。「助言機関として黒衣に徹してきた」と釈明した。2号機の建屋外で高濃度の放射能汚染水が見つかった28日の会見では、「どんな形で処理できるか知識を持ち合わせていない。保安院で指導してほしい」と自らの役割を否定するような発言も飛び出した。
代谷(しろや)誠治委員は「原子炉の圧力などの重要なデータが時々刻々で入ってこない」と打ち明ける。4月1日に始まった原発敷地内での飛散防止剤散布も「漏れ伝わってきた程度」といらだちを隠さない。 安全委は事故発生当日、専門家集団を招集するとともに、現地へ職員を派遣した。官邸や保安院、東電にも連絡係を置いて情報を集めてきた。だが、委員の一人は「今の安全委では人手が足りない」と漏らす。
JCO事故の際に陣頭指揮を執った安全委員経験者らからは「今回は安全委の顔がみえない」「技術的側面の支援をしていない」との批判まで出ている。
政府内でも存在感は薄れていくばかり。菅直人首相は3月16日から29日にかけて原子力などの専門家6人を内閣官房参与に次々と起用。4月1日には放射線医学の専門家を首相官邸に招いて意見交換した。その一方で、政府は保安院の院長や審議官の経験者を安全委事務局に送り込み、てこ入れを図り始めた。
安全委は4日に開いた定例会で、地震後初めて保安院から事故の正式な報告を受けた。報告内容はすでに入手済みの情報ばかり。班目委員長は「保安院とのコミュニケーションが足りないと思っていた。今回の報告が改善の一歩になれば、というのが本音だ」と話した。
原子力安全委員会(wikipedia)
委員は常勤の特別職国家公務員であり、年収は約1650万円(月給93万6000円とボーナス)である[2]。
発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針 [編集]
(解説)
(2)「残余のリスク」の存在について
地震学的見地からは、上記(1)のように策定された地震動を上回る強さの地震
動が生起する可能性は否定できない。このことは、耐震設計用の地震動の策定に
おいて、「残余のリスク」(策定された地震動を上回る地震動の影響が施設に及ぶ
ことにより、施設に重大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質
が放散される事象が発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対し
て放射線被ばくによる災害を及ぼすことのリスク)が存在することを意味する。
したがって、施設の設計に当たっては、策定された地震動を上回る地震動が生起
する可能性に対して適切な考慮を払い、基本設計の段階のみならず、それ以降の
段階も含めて、この「残余のリスク」の存在を十分認識しつつ、それを合理的に
実行可能な限り小さくするための努力が払われるべきである。— 発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針平成18年9月19日 解説
とある[5]。
現在の原子力安全委員会の専門審査会、専門部会等 [編集]
- 原子炉安全専門審査会
- 核燃料安全専門審査会
- 緊急技術助言組織
- 原子力安全基準・指針専門部会
- 放射性廃棄物・廃止措置専門部会
- 安全目標専門部会
- 放射線防護専門部会
- 放射性物質安全輸送専門部会
- 原子力事故・故障分析評価専門部会
- 原子力安全研究専門部会
- 原子力施設等防災専門部会
- 高速増殖原型炉もんじゅ安全性調査プロジェクトチーム
- 耐震安全性評価特別委員会
- 試験研究炉耐震安全性検討委員会
- 再処理施設安全調査プロジェクトチーム
- 特定放射性廃棄物処分安全調査会
- 原子力艦災害対策緊急技術助言組織
- 武力攻撃原子力災害等対策緊急技術助言組織
- 安全審査における専門性・中立性・透明性に関する懇談会
歴代の原子力安全委員会委員長 [編集]
委員長としての在任期間は下記のとおり。委員の互選で選ばれる。
- 吹田徳雄:1978年10月21日 - 1981年11月16日
- 御園生圭輔:1981年11月16日 - 1987年12月25日
- 内田秀雄:1987年12月25日 - 1993年2月16日
- 都甲泰正:1993年2月17日 - 1998年4月20日
- 佐藤一男:1998年4月21日 - 2000年4月6日
- 松浦祥次郎:2000年4月7日 - 2006年4月16日
- 鈴木篤之:2006年4月17日 - 2010年4月20日
- 班目春樹:2010年4月21日 -
現在の原子力安全委員 [編集]
委員5名は、衆・参両議院の同意を経て内閣総理大臣によって任命される。任期は3年。カッコ内は委員に任命された年月。委員長に選出もしくは委員長代理に指名された年月とは必ずしも一致しない場合がある。
- 委員長
- 班目春樹(2010年4月 - )元東京大学大学院工学系研究科教授
- 委員長代理
- 久木田豊(2009年4月 - )元名古屋大学大学院工学研究科教授
- 委員
- 久住静代(2004年4月 - )元財団法人放射線影響協会放射線疫学調査センター審議役
- 小山田修(2009年4月 - )元(独)日本原子力研究開発機構原子力科学研究所所長
- 代谷誠治(2010年4月 - )元京都大学原子炉実験所長
(5名とも常勤)
福島第一原子力発電所事故への対応 [編集]
原発は構造上爆発しません [編集]
東日本大震災から一夜明けた2011年3月12日、ヘリコプターで被災地と福島第1原子力発電所の視察に菅直人首相が向かった際に同行した班目春樹委員長は「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」と伝えたが、実際には当日15時30分過ぎに福島第一原子力発電所の1号機は爆発した[6]。
原発における長期間の全電源喪失は、日本では想定外 [編集]
1990年、原発の安全設計審査指針の策定時において、原子力安全委員会は、「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又(また)は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」と想定していた。全電源喪失は絶対に起させないという方針で、地震や津波の規模を予測し、安全対策を立てていた。また2011年7月13日に至って原子力安全委員会が公開した1993年(平成5年)6月11日付けの原子力施設事故・故障分析評価検討会:全交流電源喪失事象検討ワーキング・グループによる『原子力発電所における全交流電源喪失事象について』によれば全電源喪失の国内外の事例や状況を分析し、その調査結果のまとめとしてその事を再認識すべき、外国に比べ日本は外部電源喪失頻度は低いことや今後の課題など論じている[7][8]。 しかし、結果的には、2011年の福島第一原発事故において想定を上回る事態となってしまった。このことについて、松浦祥次郎元原子力安全委員長は、「(当時は)何もかもがダメになるといった状況は考えなくてもいいという暗黙の了解があった。隕石(いんせき)の直撃など、何でもかんでも対応できるかと言ったら、それは無理だ」と釈明している[9]、後日の会見では、「原子力の利益は大きく、科学技術を結集すれば、地震や津波にも立ち向かえると考えて利用を進めてきたが、考えの一部をたたきつぶされた」と述べ「問題の解決法を突き詰めて考えられていなかったことを申し訳なく思う」と謝罪の意を伝えた[10]。
以上のように、原子力安全委員会は、原発の長期間にわたる全電源喪失を、まったく想定していなかったのであるが、米国においては同様ではなかった。1980年代の初頭において、オークリッジ国立研究所(ORNL)が、福島第一原発と同型の炉(ゼネラル・エレクトリック社製の沸騰水型"マークI")について、全電源が喪失した場合のシミュレーションを行い、米原子力規制委員会(NRC)が、その結果報告を受けている[9]。朝日新聞の報道によれば、そのシミュレーションの内容は、福島第一原発の事故と似ているものであり、結果報告は、米国の原発の安全規制に生かされているとされる[9][11]。ただし、ナショナルジオグラフィックの報道によれば、(米国においては原発の全電源喪失が想定されていたとしても、)日本と違って米国は安全であると「楽観視」はできない[12]。4月28日に行われた米原子力規制委員会による福島原発事故後に開始された90日間安全性チェックの中間報告では、米国に65ある商用原子力発電所の104の原子炉のうち、60基は自家発電を備え、44基は蓄電池で対応しており緊急な対策を強いられる状態ではないと発表された。ただし蓄電池では最大4時間しか電力を維持できないため、同委員会のヤツコ委員長は「4時間では十分と思えない」と懸念を示している[13][14]。
復旧作業員の造血幹細胞の事前採取は不要と判断 [編集]
深刻な事故を起こした福島第一原子力発電所の復旧作業員には、大量被ばくの危険性があるが、あらかじめ作業員本人の造血幹細胞を採取しておくことで、造血機能が失われた時の治療に備えることができる。この事前採取を、日本造血細胞移植学会と国立がん研究センターが、原子力安全委員会に提言した。しかし、原子力安全委員会は、「作業員に精神的、身体的負担をかける[15]」「国際機関での合意がない」「十分な国民の理解が得られていない」として、提言を採用しなかった。この委員会の判断は「作業員の生命を軽んじている」として、専門家から批判されている[16][17]。作業員の造血幹細胞を採取しておかなかったとしても、(大量被ばくによる治療が必要な場合の)造血幹細胞の提供は、遺伝子型が適合すれば他人から受けることができる(詳しくは、骨髄バンクを参照)。しかし、他人からの移植を期待する場合、必ずしも遺伝子型が一致する提供者が存在するとは限らない。産経新聞の報道によれば、(作業員の造血幹細胞の)事前採取の必要を主張してきた野党若手議員(産経新聞報道では名前の指摘はない)は、委員会の判断について、「被曝を前提とするほど危険な場所で作業していることになれば、国民の不安感や諸外国の不信感をあおることになりかねないという政治的配慮があるのではないか」との見解を示しているとされる[16]。
汚染水処理への対応 [編集]
班目春樹委員長は福島第一原子力発電所の建屋に溜まった高放射線量の汚染水処理について、「知識を持ち合わせていないので、東電(東京電力)と原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」と発言し、批判をあびた[2]。
放射能予測システム遅い情報開示に批判 [編集]
放射性物質の拡散を予測する国の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」で、福島第1原発事故後に2千枚以上の拡散試算図が作成されていたが3月23日と4月11日に2枚公表されたのみで“本番”でほとんど使われず、国の情報発信の姿勢や防災計画の実効性に問題が露呈した[18]。
3月23日に初めて試算結果を公表した際、班目春樹委員長は「こんなことを発表するとかえって社会的混乱を引き起こすのでは。ためらうところがあった」と発言している。SPIEEDIの開発・運用には約128億円の予算が使われており、2010年度も約7億7千万の予算を計上している。データは自治体と共有することになっており、自治体もシステム整備費などを支出している。この事故においては、関係自治体は最も必要な時期に情報を入手できなかったことになる。
事故から1か月以上経過しての視察 [編集]
本来、原子力安全委員会は専門的知識を持つ調査委員が現地で「情報の収集・分析」を行うべき組織であるが、4月19日に委員が初めて東京電力福島第一原子力発電所の視察を行った。現場入りまで1ヶ月以上を要したことについて、視察した小山田委員は、「当初は、現場が次から次へと事象が変化するのに対応することで手いっぱいだった」と釈明し、「ずっと助言活動に対応していた」などと語った。[20] (JOCウラン加工工場臨界事故では発生の約半月後に総勢19名の事故調査委員会で現地調査を行っている)[21
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