2011年4月30日土曜日

節電はテレビ放送の短縮から、財源は恩恵を浴した者から:隗より始めよ

例の工程表が出て以来、原発関連のテレビ番組はみごとに減った。
スポーツに、通販、バラエティに、歌、料理に、旅番組。震災のニュースといえば「頑張ろう」というボランティアの奨励と津波被害にあった被災地の復興を意図したもののみに絞られるようになった。

原発に関しては、衆議院予算会議の、指名された本人が答弁を避けるような緩い茶番劇と東京の節電の仕方とエネルギーをめぐる議論を除いては、原発現場での現状がどうなっているのか、被災地から東北、関東方面への風向きや海流、スピーディなどによる政府筋が計測した正確な数値は一向何処からも出てこない。近頃では保安院の発表すら、一般の国民はもはや自分の耳で直接確かめる術さえなくなってしまった。

ニュースではほんのわずかな数分間、申し訳のように、どこの誰が何時何分どんな風速や風向き(海流)のどういうスポットで、どんな計測器を使ってどういう状況のもとで測定したかも、はっきり定かでないような無意味な数値、(原子炉内のプールだのトレンチだのの水位やどこどこの線量や温度が上がっただの、下がっただの、どこどこのコウナゴやしいたけの放射能物質のシーベルトが上がっただの、下がっただのといった数値)がとってつけたように報じられるのみ。

今日の夕方のBSのAsian Voiceでは、IAEAのOlli Heinonen,氏( deputy director general of the International Atomic Energy Agency ) がテレビ中継で登場し、福島の原発の現状について「まだまだ予断を許さない深刻な状況である」といっていたけれども、日本の首都圏に近い福島で未曽有の大災害が未だに収束せず、毎時放射能物質がじわじわ水蒸気や水に混じってあちこちに垂れ流し状態であるにもかかわらず、この国にテレビ放送は、ついに、臭いものにフタをして、見て見ぬふりをするというスタンスをとり始めた。こういう番組が今の時代、日本語に翻訳もされずに報道されることも大いに疑問だ。


昨日も、テレビ朝日のニュースで、原発事故の対応にあたっていた内閣官房参与の小佐古東大大学院教授の辞任が報じられたが、他社はもっぱら英国のロイヤル・ウエディングやアイススケート大会の結果ばかりを報じていた。今朝になって、その問題が取り上げられるかと思ったけれども、単に「政府はこれを単なる個人の見解の差ととらえ、これまでの方針を変更しない」という表明が報じられたにとどまった。


福島の原発事件は、どこかの人里はなれた田舎の工場が単なる失火で炎上している事件とは違うのだ。国の将来、国民の将来を左右するような大きな人災によって国が国難に直面しているというのに、テレビ番組に製作に携わっている者たちは何を優先的に報じるべきか、報道に携わる人間としての重責、使命感すら抱かないのだろうか。他国の結婚式を朝から晩まで繰り返し繰り返し報じたり、昨日見ても今日見ても全く同じような中身のない番組を垂れ流す間にどれだけ無駄なエネルギーが浪費されることか。


「隗より始めよ」という言葉がある。
テレビで「節電節電」とそんなに心配ならば、まずテレビ局がくだらないテレビの放映時間を短縮してもらいたい。各社が放送時間を決めておいて、緊急地震・気象速報だけは、必ず放送中のテレビ局が責任をもって流すという体制をとれば十分である。


国も、年金財源の流用だとか、消費税値上げだの特別税だの公務員給与の引き下げだのという前に、まずこれまで原発で大きな利権を得た政治家や経産省や内閣府の高級官僚や電力会社の役員たちと御用学者はこれまで受けてきた役員報酬、賞与、退職金、補助金の全てを国に償還し、個人の資産を売却してでも賠償金を支払うべきではないのか。むろん大型株主も応分の責任を負うべきではないのか。


特に、日本の国会議員の年収は、月額190万円程度で、これと賞与の630万円を合わせると、平成19年で推定2896万円、総理は5141万円だという。これとは別に文書通信交通滞在費として月100万円支払われるが、文書通信交通滞在費と政党に所属している場合に支払われる立法事務費は経費として非課税になり、単純計算すると年収4200万円を超えるという。イギリス、フランス、ドイツでは1000万程度、アメリカでも1700万円程度である。国会で自らが指名されても、他の人間に答弁を任せてはばからないような、議員の歳費を一人当たり半年間300万円削減するという話があるらしいが、その程度でお茶を濁していいのか。
http://money.jp.msn.com/banking/columns/Columnarticle.aspx?ac=fp2005101241&cc=05&nt=05


電もたった50%役員報酬の削減(社員は20%)をすると提案しているようだけれども、日本はおろか周辺諸国にまでこれほど大きな迷惑をかけておいて、まったく当事者意識が欠如していると言わざるを得ないのでは?


これまで責任ある立場にありながら安全軽視、国民軽視で、十二分に甘い汁を吸い、恩恵に浴してきた人たちが、責任を負うのが世の道理なのでは?











2011年4月23日土曜日

世界は原子力からLNGへ

日本原子力産業協会(JAIEF)のサイトで、現在日本で建設中、計画中、閉鎖済みの原発がどこにあるかを示すサイトがあるはずなのに、どういうわけか、現在工事中になっている。工事中にしなければならないほど刻々と変わる情報でもあるまいに、誠にもって不可解である。何でも都合が悪くなると隠蔽に走るのかと邪推されても致し方あるまい。

さらに、次のような記事をみつけた。
<世界の発電の主流は原子力からLNGへ>

東京電力 <9501> の福島第一原発の事故により、世界の発電の主流は原子力発電からLNG火力発電に切り替わる可能性が高まった。

福島原発の事故後、米国の格付け大手3社がそろって、今後は世界的に原子力発電に対する安全規制が強まることは確実で、原子力発電は建設のコスト、事故処理のコストを考えた場合、コスト競争力で他の発電方法に劣るとの評価を出した。
何かにつけ、アメリカや海外の動きに追従する日本が、地震大国と言われ、地殻変動が活発な時期に入ったと言われている日本が、脱原発を目指さずして何を目指ざそうというのか?
「安全点検さえすればそのまま稼働すればよい」といっている国民が多いということだが、海水ポンプが建屋の中にあればいい、あるいは予備の移動発電車と消防のポンプ車を1台据え付けておけば、「それで安全」とお茶をにごして済ますことができるような問題だろうか。
アメリカの無人偵察機の力を借り、ロボットの力を借り、フランスのアルバ社の知恵や、中国・ドイツの海水注入車の恩恵によくさなければ手も足も出せず、汚水の流出をふせぐためにおがくずや新聞紙をつめ込んでいるような素人が見てもどんくさすぎるお粗末な対処の経緯が全世界に広く発信されている状況をどう考えるのか。アメリカの専門家は、「もしアメリカの原発で同種のトラブルが起きた場合、アメリカはそれを直ちに収束させる力を持っている」と言い切ったが、第一原発では原発の設計図さえ喪失していたという。
統計をとれば当然人口密集地に住む人達の意見が多く反映されることになる。もちろん人口密集地に原発はないから、彼らにとって原発問題は対岸の火事でしかないし、原発が止まって計画節電になるのは困ると考える人達が原発支持に回っているのかもしれないが、前回のブログでも書いたように、京大の専門家は、原発などなくても電力不足は起こらないと言い切っている。
先日ロシアのジャーナリストがある民放のテレビ番組に出演し、「水力発電所でも事故が起こればたくさん死傷者が出るから原発が悪い」とはいえないというような発言をしていたが、彼はチェルノブイリの風下に広がった放射能汚染が長期的に及んで人体にもたらす被害の恐ろしさ、それ以上に一生影響に怯えて生きていかなければならない多くの住民の精神的な苦悩が、いかほどのものか全く認識していない。
世界の流れが原子力からLNGへと大きく変わりつつある中で、世界に放射能物質をまき散らしている当事者の日本が、日本国民が、原発に関して現状維持を表明し続けてもいいのだろうか。現状維持を続けることは、それこそ諸外国に対して、日本国民の危機管理意識の低さ、問題認識能力のなさを露呈することになるのではないか。


2011年4月21日木曜日

脱原発の可否は国民投票で!

 福島原発の事故を受けて、ドイツでは全州が脱原発を早期に実現することを決意した(下にニュースをはり付けた)。イタリアの上院でも、原発凍結法案が可決された。日本のNHKが昨今行った調査では、原発を必要だと答えた国民が非常に多かったそうだが、その人たちは原子力発電をやめるとたちまち電力不足に陥ると刷り込まれ、思い違いをしているからではないのか。

私は今回の原発事故が起こるまで、エネルギー問題にさしたる関心を抱いたこともなかったし、原子力発電の是非についてこんなに様々な見解があるとは知らなかった。国民の一員として、国土の安全に大きく関わるこの重大事を全く見過ごしてきた自らを恥じたいし、子どもたちに対する責任は大きいと考える。

今回の事件で、小出裕章氏の存在を知った。氏の静岡で昨今行われた講演は薔薇っ子には、まさに「目からうろこ」であった。http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/04/16/shizuoka-apr16/

この講演会の最後に「原子力の代替エネルギーを提案するのは現実的か」という質問があった。
氏の回答をいかに引用する。

「日本の発電設備の能力と実績を考えると、そもそも代替エネルギーは考えなくていい。原発は一度動かし始めると止めるのが大変なため稼働率が高い。火力発電所は稼働率は低く、能力が余っている。原発がなくても賄える。それに対し、電力会社はそれはピーク電力を考慮していないと反論するが、最大需要電力量(真夏の昼の数時間)でさえも、水力と火力で基本的に足りる。原子力を止めようというと、代わりをどうするのかと脅されるが、代替の必要はない。火力を続けるとしたら有限な石油、石炭、天然ガスが途絶えたらどうするかとも言われるが、そもそもウランの量はもっと少ない。」

 火力発電は地球の温暖化を促進するといわれている。しかし、諸外国にとってみても、長期間、放射能物質の垂れ流しをされることから比べれば、二酸化炭素の放出のほうがはるかにましである。放射能汚染の影響はかならずあるけれども、二酸化炭素地球温暖化脅威説自体、単なる1つの仮説にしか過ぎないものであるし、二酸化炭素を大量に放出して憚らない国は、他にもたくさんあるのだからーー。

東京都内の真夏のほんの数日間の、午後のわずかな数時間の電力不足のために、日本中をサマー・タイムに変えるなどというおかしな議論が生まれている。あれは緯度の高い、午後4時になれば辺りが真っ暗になってしまうような国の人のためにあるものである。

そんなに心配ならば、真夏の暑い日は、政府のお歴々や東電や原子力関連企業の東京本社の冷房の利いたビルの中でオフィスワークをする社員たちは順番に1週間ほど休暇をとって、テント片手に「ただちに健康に影響のない」福島へ、贖罪の復興ボランティアにでもいけばいいではないか。
彼らは原子力を推進したいばかりに、地熱発電、風力発電、太陽光発電など地道な研究開発を減速させ、資源のない国の安全でクリーンなエネルギー開発の問題に真剣に取り組んでこなかったのだから。

いずれにしても、どんなふうにサンプリングしたかも疑わしいわずか1000人ばかりの人たちの意見をもとに、「これが国民の総意だから」と原発を推進すべきではないし、利権がらみの役人や政治家に、判断をゆだねるべきでもない。

イタリアではチェルノブイリの事故の後、国民投票で原発の凍結を決めたし、スイスでは重要な国事はすべてなんでも国民投票で決める。

我が国でも原発の是非に関しては、多様な立場からのしっかりした議論を国民が聞いて、国民の力で判定すべきであろう。なぜならば、原発の保持は、私たちそして、その次の世代の人たちの生命保持、生活環境の安全に関わる決めて重要な問題であり、われわれ日本国民は、他の先進諸国に比して、国民の教育レベルが総じて高い国民なのだから。

ドイツ全州・政府、脱原発の早期実現で一致

読売新聞 4月16日(土)19時18分配信
【ベルリン=三好範英】福島第一原発事故を受けて原発政策の見直しを進めるドイツのメルケル政権は、15日にドイツ全16州の代表と行った協議で、脱原発を出来るだけ早期に実現する方針で一致した。

具体的には、6月17日までに必要な法改正を行い、原発の稼働短縮期間を決定する。

メルケル政権は福島原発事故後すでに、稼働期間が長い原発7基を暫定的に稼働停止している。

政権は昨年、シュレーダー前政権が2002年に定めた脱原発方針を見直し、国内原発の稼働期間を平均12年間延長することを法制化していた。今後は、この稼働期間延長幅をどれだけ縮められるかが焦点となる。

協議後の記者会見でメルケル首相は、脱原発を可能にするため、再生可能エネルギーの開発、送電網整備、電気料金改正などを包括的に検討すると語った。
最終更新:4月16日(土)19時18分
読売新聞

東電の役員報酬、0でも多すぎるのでは?

賠償費用を捻出するために、東電の社員の給料を2割カットするらしい。併せて役員報酬も削減との報道があったが、削減とは何なのか?

福島原発のためにどれだけ震災の救援作業が遅れ、多くの犠牲者が生みだされたのか、目に見えない放射能汚染の不安におびえながら、行方不明の家族の消息も未だ分からないまま住居を転々としなければならない人たちは、一体誰のせいで日々不安な気持ちに突き落とされ、苦しまなければならないはめになったのか。

まず原発の開発推進・経営・安全管理・事故の隠ぺいに関わり続けた役員たちは、これまで受け取った役員報酬や賞与を会社に償還し、現役の役員は、退職金はもちろんのこと、在職中は減給70%にして賞与も役員報酬も一切支給を受けないぐらいのことをしても余りある。

テキサスの原発建設に東電が128億円も出資することを去年合意していたが、東芝との提携を考えていたアメリカのNRGが、原発の増設計画を打ち切った。このテキサスの原発建設に東電が128億円も出資することを去年合意していたというが、東電も他に出資するような余分な資金があるのならば、なぜアメリカの設計者自身が何十年も前に「欠陥がある」とはっきり断言しているような原子炉をそのまま40年も使い、老朽化も甚だしい原子炉を廃炉にもせず、さらにこの先10年も稼働させられるような申請までしたのか。

官民一体のプラント輸出が困難になったのは、自業自得といわざるをえない。今度の原発事故は、人の命の重さなどは全く顧みず、目先の金勘定と自己保全にのみ執着する日本の大企業の経営陣と企業をひたすら擁護する役人と政治家の醜態を世界中の人たちの前で露呈する結果になった。もちろん、悪いのは私企業のみではない。だからといって、東電の原子力開発に携わった本店の役員の重責は逃れようもないものである。

電気代の値上げをする前に、責任ある人間が責任ある形で償いをする必要があるのではないか。国民の命の代償に暴利をむさぼり続けてきたのならば、これまでむさぼり続けた暴利を自主的に償還するのが道理では?

リストラや賃金カットも、会社の末端で汗水たらして重労働する作業員の人たちにばかり、しわ寄せがいくような賠償費用の捻出は断じてなされるべきではない。

2011年4月20日水曜日

首都機能移転は荒唐無稽?

首都機能移転への反対意見の中で、もっとも大きいものとして財源の問題が指摘される。しかしどうなのだろうか。

2,3週間前のBSフジの番組で、榊原英資氏が今回の震災はわずか5~6%程度のGDPの地域だから、日本経済全体に与える影響は大きくないといった発言をされていたのを見られた方も多いと思う。

それでも今回の多重災害の復旧・復興にかかる費用は16兆~25兆円にも登ると言われているのだ。どのように算出されたのか算出の根拠や詳細は不明だが、福島原発の後始末だけで10兆円はかかるそうだから、25兆円という算出は非常に甘いと言われなければならない。

同様の広域多重災害が人口密度の高い首都圏を中心にとした地域を襲い、津波で東海村の原発の冷却機能がマヒし、今のように手がつけられないような状況に陥ってしまった場合の被害総額はいかほどのものであり、瓦礫の撤去、仮設住宅の建設などの復旧にかかる費用・原発事故の後始末・その後の復興にかかる費用はいかほどのものになるだろうか。

ロンドンやパリのように地震・津波の危険性が極めて少ない国土ならば、一局集中のリスクは杞憂と一蹴できるかもしれない。しかし残念ながら、東京、神奈川、千葉、茨城を中心とする地域に大規模な地震が発生する確率、アウターライズ地震が発生する確率が高いことは指摘されている。

西日本の岩盤の安定した地域を探し、大災害の復旧・復興にかかる費用を捻出する代わりに、首都機能移転のために投資し、そこに雇用を生み、リスクの低減を図ることが必要なのではないだろうか。

東京や首都圏での既得権益を死守し続けたいと考える人々が多いことはわかる。しかし日本列島の下で地殻変動が活発化してきたが、それを克服するのに現代の我々の有する科学技術の力はまだまだ無力であるという状況を無視して、東京の一極集中を維持し続けることは、危機管理意識の欠如といわなければならないのではないか。

2011年4月18日月曜日

放射線感受性(radiosensitivity):個体差を無視していませんか?

同じ部位に癌ができた患者さんが同じ線量の放射線治療を受けた場合、副作用もほとんどなく、照射の効果が出てみるみる元気になる人もあれば、急性障害、晩期障害などの副作用に苦しむ人もいる。

言うまでもなく、放射線に対する感受性は個人差がある。DNA修復酵素の活性に個人差があることからして当然である。

実際、広島・長崎の爆心地から1キロも離れていない屋外で被爆した若い人たちの中には、爆風で吹き飛ばされ、ガラスや瓦礫で顔や手足に軽傷は負ったけれども、60数年たっても、未だ癌など一度も発症していないという人も決して稀ではない。

同様に、わずかな線量で放射線の影響を強く受ける人もまた存在するということである。乳児は成人より、放射能物質の影響をうけやすいといわれているが、すべての成人が皆同じような影響を受けるわけではない。「低線量だから何シーベルトならば安全」なんてことが、一体どんな根拠を持って言えるのか?

大人の身体はみんな一緒ではない。スギ花粉に悩む人も入れば、スギ花粉の真下にいても全く平気な人もいる。数ヶ月にわたって鎮痛剤を服用しても全く平気な人もあれば、1錠でアナフラキシーショックに陥る人もいる。そんなことは誰でもわかることなのに、こと放射線の話になると、いきなり
大人の身体にはあたかも個体差などというものがないかのような言説が支配する。

2011年4月12日火曜日

いつまで頼るの東電に?:原発事故

国民の不安を煽らないためにという美名のもと、多くの人々の生命に関わるような重要な情報を隠蔽し続けた東電、保安院、原子力安全委員会。

そんな東電に未だに線量の計測も、原子炉の損傷の状況も、事故後の処理(汚水を海中に放出するなど)、今後の指針も何もかも任せっぱなしで、そこからのデータや報告を元に右往左往することに問題はないのか?

放射線物質が、ヨウ素とセシウムだけではないことは、高校で化学をかじった国民なら誰でも知っていることでは?これまでにも大量に流出したと思われる高濃度の汚染水に含まれるストロンチウムやトリチウム、ラジウム、プルトニウムなどの線量はなぜ公表されないのか?今日になって遠く離れた土壌のストロンチウム値が初めて出たけれども、海にたくさん流出したと思われる汚染水に含まれる放射性物質の線量がとても気になる。とりあえず包み隠さず、何もかも公表してもらいたい。

事故後1ヶ月の今になって、世界から正しい情報を公表せよと圧力をかけられている始末。 
これで「しっかりとした体勢で、着実に取り組んでいる」といえるのだろうか。

東電や原子力推進・擁護の保安院、原子力安全委員会のメンバーではなく、客観的な判断ができる原子力の専門家を早急に内外から招聘し、東電の対応やデータが妥当なものであるのかどうか管理・検証する必要があるのでは?

アメリカの原子力規制委員会の委員長は、福島原発の原子炉の状態は安定した状態であるとは言えず、今でも在米アメリカ人の退避は80キロ圏内であると言い切っている。そのような状況下で「20~30キロ圏内の住民は自主避難」などという判断のどこに正当性があるのか。地域住民の立場に立ち、弱者のための社会を真に目指すのならば、蛇の生殺しのような判断は下せないはずでは?以下はNew York Timesの3月半ばから4月10日までの、地域別の線量の変化を示したものである。問題は蓄積量である。いずれにせよ、こうしたデータがどうして日本の新メディアの電子版に逐一提示されないのかということである。


http://www.nytimes.com/packages/flash/newsgraphics/2011/0311-japan-earthquake-map/index.html?view=daiichi?hp

レベル7、ついに 

 NHK BSニュースでは、これまで原発事故の国際原子力事象の深刻さを示す評価尺度のレベルを暫定5としてきたが、やっとチェルノブイリと同じレベル7に引き上げたことが報じられた。
その根拠がわからなかったので、他局ではどのように扱われているのか、いろんなチャンネルを換えてみたが、芸能だのスポーツだのといった内容ばかり。唯一朝ズバという番組で、原発事故の最初の数時間で実はテラベクレル単位の放射性物質が流出していたとの原子力安全委員会の発表を報じていた。
そのあといろんなチャンネルを回してみたが、興味深いことに、この大量の放射能漏れについて報じるものはどこにもなかった。この情報もまた闇に葬られることになるのだろうか。
隠そう、隠そうとするから、人々の不安や不信感がかき立てられる。今更何を公表したところで、東電と保安院の責任は免れないし、国民も驚かないということがどうしてわからないのだろう。
さらに驚いたことに、東電と保安院はこの期に及んでも、いまだ第一原発の復旧を考えているらしい。
                    ★
MSN 産経ニュース(2011.4.11 23:59)
発生から1カ月が経過した東京電力福島第1原子力発電所事故で同社と経済産業省原子力安全・保安院は、1~4号機の損害状況に応じた個別の復旧プランの策定に着手した
1号機
 1号機の炉心燃料棒について、東電は「全体の7割程度が損傷している可能性がある」と推計しており、溶融が最も激しいとみられる。燃料棒の熱も高く、原子炉の表面温度が設計想定の302度を上回る400度に一時上昇。現在も200度台で推移し、2、3号機よりも高い。
 復旧プランでは、原子炉の余熱でつくった蒸気を水に戻して、原子炉に注水する非常用冷却システムを活用。注水で発生した蒸気を水に戻し、原子炉に再注水する循環システムの構築を検討している。東電は「システム自体は壊れておらず、再稼働できる可能性がある」と期待する。
                   ★
 国民を不安のどん底に陥れ、地震・津波被害の復旧を大幅に阻害してしまったレベル7の深刻な福島原発事故、その活断層の真上に建っているダーティで危険極まりない原発の再稼働を、この期に及んでも、まだ本気で考えているような方々がいらっしゃるというのだからほとほと呆れてしまう。
仮に東電が再稼働プランを切りだしてきたところで、保安院は本来「君たちは何を考えているのか」と斬り捨てるべき立場なのではないのか。保安院とは、原発関連企業の保全と安定を守るための役所なのか?それならば保安院は電力会社から給料をもらうようにしてもらいたい。
東電の本店にいる上層部の方々や保安院の方々、まだ原発事故が何も解決していない状況下で、復旧プランの策定をするようなお暇があるのなら、直ちに健康被害がない31キロ圏内にでも越してきて、毎日地消地産の安全な農・水産物を食し、放射能の計測をするなり、事故現場での水まき、配線・配管の修理のひとつなりして、現場の第一線で苦闘している人達の支援をしてもらいたい。

2011年4月10日日曜日

大災害:止足の戒め

「知足不辱、知止不殆」(老子)
 足るを知れば辱(はずかし)められず、止(とど)まるを知ればあやうからず
今の日本のかじ取りをする人々にもっとも必要な言葉ではないかと思う。


泥縄であたふたと弥縫策を講じてお茶を濁し、責任所在のあいまいな答弁で自ら不安を煽るような風評を流しながら、周りから綻びや矛盾を突く意見が出てくると風評はいけない、チェーンメールは無視すべきと言論統制をやる。これが民主主義を標榜する国なのだろうか。政府批判がいけないというのであれば、過去の事は問わないから、今すぐにでも進むべき道を改めてもらいたいと切に願う。


風評の流れる余地がないようスピーディの情報など、正確な情報を詳細に提供し(情報の選択は国民に任せばよい、日本ほど識字率・中等教育への就学率の高い国も少ないのだから)、最悪の事態に備えた危機管理対策を迅速に実行してもらいたい。活断層の上に立っているような、あるいは津波がきたら発電機が止まってお手上げになるような原発は今すぐにでも廃止してもらいたい。


これまで原発が日本にとってこれほど危険なものであることを認識したことがなかったため、愚かにも原発問題に関心を抱いたことすらなかったが、現に大きな地震活動が一向収束せず、これがいつ収束するか誰一人としてまともな予測が立てられない状況であることがはっきり露呈してしまったのだから、いまさらアメリカやフランスと原発の数を競うのは愚かしい。


今こそ止まるべきであると思う。ドイツのような地震とは縁遠い国でさえ、このたびの日本の原発事故が大きな教訓となり、原発反対の政党が圧勝したではないか。


止まるを知ればあやうからず。


ちなみにドイツでは土日は閉店法で大方の店は閉まっているし、首都の夜は不夜城さながらの明るさで、一晩中ネオンがぎらぎらしているといった状況からは程遠い。日本も節電を行い、地熱発電、風力発電、太陽光発電などにエネルギーを求めていけば、そして首都機能の一部を、西日本の比較的岩盤のしっかりしたどこかに移転すれば、そこに新しい雇用も生まれるであろうし、東京近辺のエネルギー問題も解消される。


足るを知れば辱(はずかし)められず。


今は自粛が国の経済を停滞させるということがしきりに強調されているが、果たして多くの国民はただ単に自粛しているだけなのだろうか。テレビで無責任なことを放言していれば、多額のギャラが懐に入ってくるような人たちは、周りから不謹慎だと思われることを恐れて自粛を続けているのかもしれない。


しかし、一般市民の消費行動が鈍っているのは、これから食料の値段や燃費が跳ね上がり、増税が課せられ、社会保障や福祉がどんどん切られるかもしれないし、今度自分たちの住んでいる場所で同様の大型の災害が発生したときに、貯えがなければ手も足もでないといったことを考えた上でのごく自然な自衛行動だと思う。


事態が沈静化するまで決して増税はしないから、安心して被災地のために消費をしてもらいたいというような方針が出されれば、状況は変わるはずだ。


もうひとつは東北地方の復興について、もちろん地元に強い愛着を持つ人たちは1日も早く元のような生活に戻りたいと思っておられるだろう。原発問題と今現在続いているような地殻活動の活発な状況さえなければ、ライフラインの復旧とがれきの撤去、湾岸工事に並行して、高台を造成して仮設住宅を建て、さら地には役所や病院、工場、学校、市場などを元通りに建設すればそれですむかもしれない。しかしそれにしても、30数メートルの津波に持ちこたえられるような防波堤を三陸海岸500キロ以上にわたって建設するなど不可能に近いし、津波で被害を受けた農地の塩害の問題もある。


しかしそれ以上に今は原発の問題がある。


多くの人たちを動員して湾岸工事を行い、港を作り、工場を建てたところで建設業界は潤うかもしれないが、食物連鎖で魚が汚染され、水産業が立ち行かない状況になれば、そこにつぎ込んだ莫大な税金や危険を賭して現場で汗水流した人々の努力は水泡と化す。


小利を見れば、すなわち大事ならず。


被災地の人々そして日本国民の安全と人間らしい生活を守るためには、大きな英断が必要なこともある。避難区域の定め方も高濃度の放射能が流れたから避難させるというようなやり方はありうべき危機管理の在り方ではない。そんなに「安全」なのであれば、安全だと国民の前で豪語する人たちが皆自主的にその地に転居して、長期間にわたってふつうにそこの空気を吸い、水を飲み、現地の食材だけを食して生活してもらいたいものである。





2011年4月5日火曜日

東京の首都機能移転が必要では?

地震大国日本の戦後60余年に及ぶ東京一極集中主義の歪みが、震災・原発事故に伴って、ついにエネルギー・放射能汚染・食料問題という形をとって露呈した。

「いつ大地震があるかわからない」などと叫ばれているにもかかわらず、この期に及んでも、まだ地方を尻目にかけて、東京の一極集中を益々促進・是認し続けようとするつもりなのだろうか。あまりにも無策であり、危機管理意識が欠如しているといわざるをえない。

不思議なことに誰も声をあげないけれども、近い将来できるだけ安全な場所を探して、少なくとも政治、立法、司法の機関とそれに関連する機関を東京から移転させることこそが、求められているのではないだろうか。

首都機能移転に伴う新しい箱物の建設費用だが、議員数はいまの半分でも多すぎるし、いざというときに姿の見えない、現場の第一線で日夜陣頭指揮をとって国民を守るために粉骨砕身働くことできない人々に贅沢な箱物は不必要である。今ある議員会館を始めとする立派すぎる箱物は、すべて被災者の避難所として長期間、有効活用すればいいのでは?