2011年7月12日火曜日

ストレステスト:安全を測るためではなく、「『安全』と言うためのテストか」?

九大工学部の工藤氏が先般「ストレステストをしても結果は変わらない」というような発言をされていたことから、薔薇っ子は、原発で実施されるストレステストの項目や手順がどのようなものなのかとても関心をもつようになった。

何か今までの日本の原発の安全審査にはなかった新しく、かつ厳しい審査基準をたくさん設けて、これまでなされてきた安全審査の在り方を根本的に覆すような査定を行うかのように思われたからである。

そのように単純にころっと騙されてしまったのは、先般ドイツがEU版のストレステストをした結果、対テロ対策に対して安全性を担保することができないと判断を下し、結局それが脱原発に踏み切る際の大きな判断材料の一つになったという報道が頭の片隅に残っていたからである。

日本でこの度実施されるストレステストに関して、今日のモーニングバードの報道によれば、

日本で実施されるストレステストの流れ

電力会社 ⇒ 保安院 ⇒ 安全委員会 という形で実施されるそうだ。

ちなみにEUにおけるストレステストの流れは、

電力会社 ⇒ 27か国の原子力規制機関 ⇒ 別の国の原子力の専門家

と大きな違いがある。

日本版のストレステストは、同じ穴のムジナである、東電と保安院さんと安全委員会さんが、ストレステストの項目の選定から基準の設定、手順、実施、評価に到るまで、何もかもを請け負うらしい。

IAEAへの報告では、今回のフクシマ原発人災事故の反省点の一つとして、保安院や安全委員会の組織の在り方を根本的に考えなおすということだったのではないのか?原発再稼働の条件となるテスト作成・実施・評価は東電を始めとする電力会社がすべて自社で行い、それを保安院と安全委員会が確認するというのだから、なにをかいわんやである。

人災事故の大元である東電と先般、日本の原発に対して安全宣言を出したばかりのお役所の面々がテスト結果を評価するのだから、「どこどこの原発はテストをした結果、安全ではなかった」などというような結論は、彼らのメンツにかけても、出てくるはずがないのである。

ストレステストは「『安全』と言う為のテスト」ではないかと番組の終わりに女子アナが指摘していたけれども、このテストには、何も新しいことは期待できないということは、原子力安全委員会の専門委員である奈良林氏の以下の発言からも明白である。

「ストレステストの調査項目や実施手順は、現在検討中であり,近日中に明らかにしたい。調査項目については今週中にも結論を引き出したい」と官房長官は宣うたが、本来ならば今日の時点ではまだ作成検討中であるはずのテストについて、安全委員会の奈良林氏が早々と次のように結論づけている点は実に興味深い。

http://jp.wsj.com/Japan/node_271489

 奈良林直・北海道大学大学院教授(原子炉工学)は「ストレステストが実施する検査の大部分は3月11日以降の安全性点検で既に実施されている。(後略)」 とみている。
             「日本政府、2段階の安全評価を実施―原発再稼働で」より



さて、以下は武田邦彦氏のストレステストについての言及である。
「ストレステストは実に馬鹿らしいことであり、国民がこのようなテストにごまかされるようでは、日本での原発はダメだ」と指摘し、ストレステストの問題点を以下のように指摘している。


その上で、氏はストレステストは今までやってきたことを、「名前を変えてハードルを上げたように見せかける卑劣な提案と思う」と述べる。つまりこれから新しい何かが始まるのではなく、ストレステストという名の、現政権延命のための茶番劇が新たに展開されると考えたほうがよさそうである。



http://takedanet.com/2011/07/post_8ef8.html
ストレス・テストの怪・・・誤魔化されるようなら日本はダメだろう

 原発再開のために政府は突如として「ストレス・テスト」というのを出してきた。


内容を聞くと「震度6の地震がきた」とか「10メートルの津波が来た」というように「危険なことが起こる想定」をして、その時に原発がどうなるかをシミュレーションで調べると言う。
・・・・・・
実にバカらしいことだ。このようなことで、もし日本国民が納得したら、やはり「日本では原発はできない」ということになるだろう。
この方法の欠陥は3つ
(1)   従来からの方法と変わらない
(2)   コンピュータは「現在想定していることしか分からない」
(3)   想定外のことが起こった福島原発の教訓が生きない
原子力発電所の大事故については、多くの研究や検討があり、普通は[シビア-・アクシデント]と呼ばれていた。
つまり、臨界事故や今回のような冷却が出来なくなる事故などは、大事故として予想されていた典型的なものだ。
それなのになぜ、今回のような大事故になったのだろうか?
・・・・・・・・・
沸騰水型の原子炉では、冷却水の循環は比較的、単純で原子炉の熱で直接、水を沸騰させて高圧の蒸気にして、それでタービンを回し、その後、熱交換機(復水器)を使って海水で冷却して、また原子炉の戻す.
この場合、たとえば次のようなことが起これば冷却ができなくなる。
1)  原子炉への配管が割れたり、外れたりする、
2)  タービンに異常が起こり、タービンからの蒸気を復水器に回せなくなる、
3)  復水器につまりが起こり、そこで冷却が停滞する、
4)  海水の推移が急激に下がり、取水口から海水を取水出来なくなる、
5)  循環ポンプが故障する、
6)  循環ポンプや電磁弁への電気が来なくなる、
7)  温度や圧力を測定する計装系に異常が起こり、たとえば冷却水が止まっているのに、冷却していると誤認して循環を止める、
8)  人間が非常時を誤って判断して、冷却を止める、もしくは冷却を止めるつもりはないが、スイッチを間違える。
・・・・・・
このような非常時の想定は幾らでもあって、どの異常は起こるが、どの異常までは起こらないという「想定」が必要である。
今回は、「3つの電源を一度に失うことはない」という前提(想定)があった。それは主電源、予備電源、非常用発電(ディーゼル発電)の3つを一度に失う「確率」がきわめて小さいと見られたからである。
ところが現実には電気は止まった。
原因は、2つ考えられる。
一つは:震度6の地震で配管が破壊された。もしくは冷却系に異常が起きた。
二つは:津波で電源が水をかぶった。
今のところ、どちらであるか分かっていない。事故が起こったことから考えると、どちらでも良いが、それが「想定外」だったからだ。
たとえば主電源、予備電源、非常用発電のいずれもが建屋の地下にあり、津波の水をかぶったということが原因と言われている.
もし、これが本当なら、なぜ「大雨」、「洪水」、「津波」など普通の災害を考えなかったのか?ということになる。
この「想定」をすれば「ストレス・テスト」ではなくても、普通の「安全性検討」で安全に疑問が生じるはずである.しかし、安全については東電内部の検討、保安院の審査、それに一般的な考え方についての安全委員会の了承は得られている.
これまでの「シビア-・アクシデント」の研究で、「洪水」が想定されていなかったとすると、ストレス・テストでも想定しないだろう。
・・・・・・・・・
実は「安全」というのを守るためには「程度問題」との戦いであることが分かる。
「北朝鮮が原発を爆撃してくる」・・「そんなことは起こらない」
「大雨の時に従業員が建物の戸を閉めるのを忘れる」・・「水浸しになるまで誰かが気が付く」
など、
「こういうことが起こる」・・「そんなこと、起こらない」
というのとのせめぎ合いである。楽観的な人は途中でバカらしくなってくるし、悲観的な人は普通にはあり得ないところまで考える.だから、なかなかケリがつかない。
・・・・・・・・・
なにしろ、現在は東日本の原発は、青森の東通、宮城の女川、福島の福島第一、第二、茨城の東海の各原発が2011年の震度6で壊れ、新潟の柏崎、石川の志賀が2007年の震度6で壊れ、静岡の浜岡が自主的に停止している。
つまり、「震度6」の地震を乗り切った東日本の原発は皆無であるという現実もある。
一方、震度6以上の地震はここ10年で13回あったから、西日本に地震が起こるとほぼ間違い無く原発は壊れる。
震度6の想定もしていなかった。
それでも、「玄海原発の安全宣言」が出たぐらいだから、適切で今までの事故例を参考にしたストレス・テストの前提を作れるはずもない。
私は「ストレス・テスト」というのは今までもやっていることを、名前を変えてハードルを上げたように見せかける卑劣な提案と思う
もう少し誠意を持って欲しい。もし、政府が「原発は危ないけれど
電気がいるから動かす」というなら、そのように言って、住民をあらかじめ退避させるとか、救命ボート(バス、マスク、風向計)を準備するとかして、誠意を見せたらどうか。
(平成23712日 午後4時 執筆)

原発の再稼働、国民投票で決めませんか。

震災から4ヶ月たってしまった。もし原発による人災が起きなかったら、大地震と津波だけであったら、東日本大震災の救援、復旧、復興は、今よりもっともっと早いスピードで進められたに違いない。特に放射能汚染は、第一次産業の復興の大きな足かせとなっている。

以下は、あなたの望む原発対策について問うたロイターオンライン調査の今日の結果である。
88%だから、ほぼ9割の44万6千人以上が原発の全廃を望んでいることがわかる。

わずか5%の推進派の中には、電力会社・原発プラント設計建設会社とその関連会社の社員や株主、取引銀行の行員、電力会社から恩恵を受けすぎるほど、受けてきた政治家、地元住民、御用学者などが含まれているのだろうが、取るに足りない数字である。


原発の再起動は、経産大臣の判断や、地元自治体の議会、首長の判断などに任せるべきではない。

たびたび書くが、「政府は信頼できない」、「地元自治体の議員や首長らと電力会社の癒着が酷い」と言われている今、ひとたび大きな人災事故が起これば、4ヶ月たっても政府も誰も事態を収拾するめどさえ立たず、地元自治体などは、はるかに超えて、セシウム牛肉を始め、日本全国広範囲に高濃度の汚染が広がっている。

牛肉の牛などの家畜に高濃度の放射能汚染が広がっていることは、素人でも早くから推測できたことであるが、政府は安心、安全と叫び続け、ひたすら地元の一次産業を保護するために、ろくな検査も実施せずに汚染牛肉を全国に流通させてしまったのである。

牛肉は氷山の一角である。鳥や卵、豚肉、魚、海藻、貝類、コメ、野菜、果物の汚染は、今後まだまだ広がり、日々蓄積されていくばかりである。

こうした現実から考えても、原発政策をどうするかというような国民の生命にかかわるような重要な案件は、国民投票で決定すべきであろう。

もちろん投票の前に、喧しく電力不足を訴えている各電力会社の供給量に関するデータを、外部の専門家がちゃんとチェックできる体制をつくって、正しいデータを国民の前に開示することが不可欠である。

併せて、電力会社が自社のサボタージュで既存の火力発電所などのメンテを怠り、いざというときに安定した電力供給を保証できないのであれば、せめて自家発電によってエネルギーを供給する会社に対して高額の送電線使用料などを徴収して、自家発電エネルギーの供給を抑止するような制度を即刻改めさせるべきなのではないか。

いずれにしても発送電の分離をし、電力の自由化を急がない限り、九電や東電の旧態依然とした企業体質はどんなに大きな人災事故を引き起こそうと何も変わらないということである。


http://jp.reuters.com/article/jp_quake/idJPJAPAN-22136520110711


これまでの投票結果

  • ■ 計画通り、原発を増設
       25148票 (5%)
  • ■ 計画を見直し、原発を減らす
       36117票 (7%)
  • ■ 原発を全廃
       446279票 (88%)

2011年7月10日日曜日

ストレステスト、ヨーロッパ版より短く?:安全委員会さんが関与ですか?



 すべては今日明らかになるようだが、日本の原発のストレステストはどうやらEUのストレステストの短縮版を作るそうで、かの「私は何だったのでしょう」発言で名高い原子力安全委員会さんがこれに関与なさるらしいということが、以下のロイター、WSJの記事から推察される。


確かに、テスト信仰の厚い日本人を黙らせるには、テストがもってこいである。しかもヨーロッパでやっているテストを導入するんだといえば、素人は誰しも「そんな国際的なテストにクリアしたのなら、再稼働させても文句ないんじゃないの」と判断してしまうだろう。


それじゃ一体、EUでやっているストレステストってどんなものなの?


不思議なことに、この報道が発表されてからというもの、様々な報道にちょろちょろ目を配っているが、管見の限りでは、誰もEUのストレステストがどんなものであり、それがどのようになされるかを詳しく論じてくれるものがない。


EUの原子力関係の文献資料などを引っ張り出してきて読めばすぐにわかるのかもしれないが、日本ではそれをそのまま使うわけではないらしいから、今知識不足の中で、軽々にEUで実施されているテストの項目や実施方法について、あれこれ議論するつもりはない。


そんなことよりも気になるのは、政府がEUのテストより短期間でできるものを原子力安全委員会に作らせ、再稼働に拍車をかけるための切り札に利用しようとしている点である。


日本の原子力安全委員会が、国民の安全のために原発の安全性をチェックする機関ではなく、原子力ムラの安寧のためにありとあらゆる努力をする機関であることは、残念ながら、3.11以降、もはや国民の誰の目にも明らかになっている。そんな安全委員会に関与させるというのであるから、テストそのものの妥当性も、アセスメントの客観性についても、結果はやる前から見えているようなものである。


しかも、EUで実施されているテストは時間がかかり過ぎるので、短縮版を作るのだという。なんというご都合主義だろう?


結局は、体裁だけ整えて、表向き「とりあえずチェックしました」ということにするだけのことらしい。これでは、保安院さんの意味不明な安全チェックと何も変わらない。


そんないい加減なテストを実施するために、またもや膨大な費用や手当が我々の税金から流出してしまうのだろうか。


 確かドイツはこのストレス・テストの1つの項目であるドイツの原発のテロに対する脆弱さを、脱原発に舵をとる大きな理由の一つとしていた。テストは何をどう測るかということも大切であるが、テストの結果を誰がどのような観点から分析し、そこからどんな結論付けに至るかというところが最も重要である。


初めから「再稼働ありき」のシナリオに沿って作られ、実施されるようなテストなら、やるだけ無駄であるし、「ストレステストは政権延命のための単なる時間稼ぎ」と言われても首相は全く反論できまい。


世界で類をみない最悪の原発災害を引き起こし、汚染物質を今なお世界中に撒き散らしている当該国であり、大地震・大津波に見舞われる可能性が高く、原発立地には適さない小さな島国日本においては、EU以上の厳しい安全基準に基づいた査定が行われてしかるべきである。


それにはカネと権力に魂を売り渡した原子力ムラのお歴々ではなく、国民の健康と安全を守るという最も重要な観点から原発について考えることのできる専門家集団が、テストの作成、実施、分析を実施し、結論だけを示すのではなく、どのような根拠のもとにどんな調査項目が作られ、どういった方法でアセスメントがどのように行われているのかを国民に明示することが重要である。


海外の原子力推進派ではない専門家も招きいれ、世界の専門家集団に示しても恥ずかしくない、世界の原発の安全基準の基となるような立派なテストを作ってもらいたいものである。たとえそのテストを実施することによって、日本の原発を全部止めなければならなかったとしても、安全大国日本が名誉挽回するチャンスは、もはやそれぐらいしかないのだから。



http://jp.reuters.com/article/kyodoPoliticsNews/idJP2011071001000538


原発耐性テスト、欧州より短期に

2011年 07月 10日 18:40 JST


民主党の岡田幹事長は10日、原発再稼働をめぐり政府が実施を表明したストレステスト(耐性評価)に関し「欧州連合並みの長期間のテストでは産業、国民生活面で影響が及ぶ。日本版テストをどのように作るかだ」と述べ、評価期間短縮を検討すべきだとの認識を示した。岩手県で記者団の質問に答えた。岡田氏は耐性評価を再稼働の前提とすることに否定的考えを示していたが、再稼働の条件とする政府方針を容認する姿勢に転じた。


http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_269939


追加テスト、事実上義務付け=11日に統一見解―原発再稼働

政府は9日までに、定期点検中の原発の再稼働について、欧州連合(EU)が行っているストレステスト(耐性評価)を参考にした安全評価を設け、その実施が「望ましい」とする統一見解をまとめた。これまで経済産業相の判断で可能だった再稼働に、追加の基準を事実上義務付けることで、より安全性を高めるのが狙い。基準策定に内閣府の原子力安全委員会を関与させる方針も固めた。
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働問題で混乱を招いたことから、政府は統一見解の文言を慎重に詰め、11日に公表する方針だ。
菅直人首相は9日の民主党全国幹事長会議で、統一見解について「国民に納得してもらえる、安心してもらえる手続きをどのように取るのか、方針について週明けにはきちっとした方向性を出すことができる状況だ」と強調。細野豪志原発事故担当相も同日のNHK番組で、「遅くとも11日には、枝野幸男官房長官と海江田万里経産相と私で見解をしっかりまとめて示したい」と述べた。 
[時事通信社]

2011年7月8日金曜日

モノを言わない個人株主は単に勇気がない人達?;電力会社の場合

WSJの日本版コラムに野尻氏という起業家が東電株主総会の状況についての分析がなされていて、いろいろなからくりがよくわかり、大変興味深かった。

世の中の出来事を文化論で解釈する向きは多いが、このエッセイもそのひとつかも知れない。彼は東電の個人株主の多くが、本当は原子力からの撤退を望み、経営陣の退陣を望んでいるにもかかわらず、黙って許したのは、声を出す勇気に欠いていたからであると考え、「物言わぬ」日本文化論の枠組みの中でこの出来事を捉えようとしている。

しかし実際にそうだろうか。

大型投資家のみならず、小口の投資家たちだって、これまでこの会社が原発にどれほどの投資をしてきたか知らないものは誰もあるまい。

にもかかわらずここで原発完全撤廃にうかうか賛成などして、それが現実のものとなれば、廃炉と使用済み燃料の処理廃棄だけを考えても膨大な費用が発生し、東電は今のような形では存続できなくなってしまうかもしれない。

そうなれば株は無配どころか、株券は完全な紙切れになってしまう。それを望む個人投資家はどれほどいるだろうか。

今の経営陣だからこそ、今の経営体質を出来る限り現状維持させ、存続させてこそ、東電はこれまでどおり、ぬくぬくと政府に守られ、テレビ局に守られ、御用学者に守られ、そのうちにほとぼりが冷めれば、また全原発を再稼働させ、これまでどおりノーリスク・ハイリターンで、配当がざくざく懐に転がり込んでくるに違いないと考えているからこそ、物言わなかっただけなのではないのか。

そして、経営陣が強気でいられたのは、もたれあいの関係にある大型株主のバックアップがあったからというだけではなく、ノーリスク・ハイリターンの味をしめた大多数の個人投資家が、その既得権をあえて放棄するような投票行動にでることはないことを初めから見抜いていたからなのではないか。

個人投資家の中にもいろんな人がいるように、自分が損をしてでも、株主総会でものを言おうという人々の中にもいろんな人がいるとは思う。しかし明らかに言えることは、ものを言おうとする人の多くは金儲けだけが目的で、株主になった(なっている)人々ではないということである。

東電株主総会の結果は、そういった人々が個人株主の中でも、ごくごく少数であるということの現れに過ぎない。それは原発交付金の恩恵に良くしている自治体の首長や地元住民に意見を求めても、ほとんどの人々が、正面きって原発に反対しない理由とほとんど何も変わらない。

九電のやらせメールの社長は進退に関する明言を避け、会長が社長を遺留しようとしているらしいが、電力会社は何でもやり放題で、何をしても経営陣や株主に厳しい経営責任を求めないシステム、一部の人間が、ただそこにいるというだけの理由で、高い利潤や待遇を得るという電力会社をめぐる不公平なシステムを抜本的に変えていかない限り、何も前進しないということである。


http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_268805

【日本版コラム】東電株主総会に見る「もの言わぬ」日本社会

野尻哲也のアントレプレナー・アイ


東京電力の勝俣恒久会長は、いつ勝利を確信したのだろうか。東電にとって当面の山場の一つである先月28日の株主総会を控え、経営陣は前もって大株主から委任状を取り付けたに違いない。とはいえこの安定株主工作をもってしても、今回の株主総会を「出来レース」と呼べるほど票読みは甘くなかったはずだ。
株主総会Reuters
東京電力の株主総会会場前(先月28日)
 3月末時点における東電の株主構成は、個人株主が保有株数ベースで43.7%を占めた。他方、機関投資家を中心とした大株主のシェアは、上位10社の株式を全て足し合わせても全体の24.1%。この数字が示す通り、個人株主の動向次第では東電の経営に大きな変動が起こる可能性があったわけだ。
 しかし現実には、山は動かなかった。第1号議案(取締役の選任)および第2号議案(監査役の選任)は、ともに賛成多数(勝俣会長の再任は賛成81%、反対16%)。そして株主提案による第3号議案(原子力発電からの段階的撤退)は、賛成8%、反対89%という大差で否決された。つまり大株主はもちろんのこと、個人株主の多くもまた取締役会を是認したことがうかがえる
もの言わぬ株主たち
 それにしてもどうしてこれほど多くの個人株主が、東電取締役会を支持したのだろうか。現在の世相を見る限り、意外な結果のようにも映る。実際、個人株主が取締役会を「積極的に」支持したかどうか、本当のところは明らかではない。というのも今回の総会では、無投票(議決権を行使しなかった)株主は第1・2号議案に賛成、そして第3号議案については「自動的に反対」と取り扱われたためだ(この旨は議決権行使書に記載されている)。東電の株主総会に対する世間的な関心は非常に高かったが、一方で議決権を行使する個人株主は一般的に言ってそれほど多くない。
 そしてもう一つの懸案、総会における動議についてはしっかりと対策が取られていた。動議には「議案修正動議」と「手続的動議」の二つがあり、特に後者は総会に出席した株主および代理人によって採決される(なお議案修正動議は、議決権行使書も反映されるため、可決の可能性は低い)。この手続的動議では議長の交代や休憩などを採決でき、実際に東電の総会でも同様の動議が発せられた。しかし東電の防御は堅い。日本経済新聞電子版によると、総会に出席した株主の議決権は合計130万個強であったが、東電が事前に委任状を受けていたのは108万個に及ぶという(第2位株主の第一生命と、第3位株主の日本生命の議決権合計に一致)。つまり、この大口株主代理人の手をもって、全ての動議は過半数によって否決された。
 株主総会のメーン会場前列には、東電関係者とみられる動員株主が大勢陣取っていたそうだ。彼らは他の株主の怒号や請願を意に介すことなく、議長の発言に白々しい拍手を送っていた。震災と東電福島原発事故から3カ月余り。事故の収束や補償は遅々として進展しないが、こと株主総会対策に限っては、東電経営陣は万全の準備を重ねてきたようだ。
役員たちは信任されるに値するのか
 このようにして東電の株主総会は、結局「もの言わぬ株主」が取締役会の期待に沿う形となった。しかしこれにはかなりの違和感がある。第3号議案の原発への賛否は別として、株価が大幅に下落した事実があるなか、現行の取締役を無条件に再任するというのは投資家として尋常な判断ではない。特に機関投資家はその運用資金の出資者である顧客の利益を守らなければならないのだから、取締役会を厳しくただす必要があるはずだ。それにも関わらず彼らが口を閉ざすのは、今なお「もたれ合い」の構造が経済界に存在し続けていることを明示している。例えば東電は、第2位の大口株主である第一生命と株式を持ち合っている。更に第一生命の前社長である森田富治郎氏(現在は特別顧問)は、今回の株主総会まで東電の社外取締役を務めていた。
 東電は原発事故の主因を「想定外の津波」と主張しているため、強引な理屈ではあるが株価下落も同じく自然災害が原因で、現行経営陣には特段の責任を問えないという解釈が成り立たないでもない。しかし百歩譲ってそうだとしても、東電にはもうひとつ、株主総会で追求されるべき大きな問題があった。2010年期に実施された大型公募増資とインサイダー取引疑惑である
 昨年9月29日の株式市場取引終了後、東電は時価で約5500億円にも及ぶ公募増資を実施すると発表した。これほど大規模な増資は1株当りの価値が希薄化するため、多くの場合は株価が下落する要因となる。しかし東電のケースでは、公募増資が発表される前から株価が不自然に下落していた。9月初旬から低調で、発表前日の28日には既に前月終値から7%も下落していた。
 この件について当時、幾つかの報道機関が東電株のインサイダー取引疑惑として報じた。実際に違法取引が行われたかどうかは明らかではない。先月24日、金融庁は公募増資に関する不公正取引を防ぐ規制案を発表。株主総会が集中する時期での発表はある種の警告のようにすら思えるが、当事者たる東電株主たちはこの件についても総会でただすことはなかった。
何があっても地位を失わない人々
 様々な問題がありながらも、予定通り選任された東電経営陣。果たして彼らは今後、株主の代理として経営を監視するという責務を果たすことが出来るのだろうか。
 今回の総会では、現行取締役16人の再任と1人の新任が決定した。この計17人の取締役のうち、社外取締役はわずか1人。なおこの人物は、同社第5位株主である東京都の元副知事という経歴を持つ。また新任の監査役は2人とも東電出身者となった。ただし監査役会に関しては、東電出身者3人に対して社外監査役が4人と数的に上回るように配慮されている。
 また退任取締役については既報の通り、清水正孝前社長および武藤栄氏が退任し、ともに顧問に就任。その他、藤原万喜夫氏は退任後に上記の東電監査役に新任された。そして任期満了となった監査役の千野宗雄氏は、東電100%子会社の社長に就任とのこと。東電副社長を経て監査役となった築舘勝利氏は、やはり顧問に収まった。
 このように役員の経歴と退任役員の行き先を整理すると、東電の企業統治は「身内」ばかりに委ねられているのが分かる。これに「もの言わぬ株主たち」が加わる結果、東電では企業価値や株価が大きく毀損(きそん)する結果を伴っても、経営陣が地位を脅かされることはほとんどない。そして、業績悪化や経営上の失策が自身の処遇と結び付かないのだから、普段からリスクへの意識が低下し、危機管理や予防対応がおざなりになってもおかしくはないだろう。
しかし東電が地域に多大な影響を及ぼす独占的な公益事業者であり、更に原発事故対応のお粗末さを鑑みると、このままであって良いはずがない。らを適切に監督するには、現行の商法や資本主義の枠組みだけでは不十分なのかもしれない。

必要なのは、声を上げる勇敢さ
 東電創設以来の最大の危機に対しダンマリを決め込む株主・役員がそろうなかで、声高に異議を唱えた株主も少数ながら存在した。ところが取締役の再任反対や脱原発を果敢に主張する彼らに対し、一部では意外な反応が湧き起こる。「株主がなぜ被害者面をするのか。株主にも事故の責任があるだろう」という批判である。
 教科書的に考え、物事の表面だけしか見ないのであれば、その通りとも言える。しかし東電の取締役会をこれまで是としたのは、無投票の個人株主や委任状を提出した大口株主が大半である。これらに対し、東電の取締役会に異議を唱え続けてきた「もの言う」株主が、「自分の意見が汲まれなかったことで、株価や企業価値の下落を招いた」と主張することに何の不整合もない。彼らは長年にわたって東電の経営リスクを指摘し、そして実際にその通りになってしまったのだ。だから本来は、東電役員たちはこういった株主を煙たがるのではなく、むしろその意見を真摯に聞かなければならない。
 沈黙は金、という言葉がある。実際、物事をはっきりと言わない方が円滑に進むことは多々ある。もし「今のまま」が良いのなら、ものを言わない方がきっと賢い。しかし、沈黙は変革を生まない。むしろ現在のように変革が必要な時代にあって、果たして沈黙が金を生むか怪しいくらいだ。何かを変えるのであれば、まずは勇気をもってものを言うしかない。そして社会の諸制度は、もの言わぬ者に益するのではなく、発言する勇者を生かすためにあるべきだ。
 エネルギー政策や電力会社の在り方について、フェイスブックやツイッターでは毎日のように膨大な意見が飛び交う。この中で建設的な内容は、ごくわずかかもしれない。そして責任を負う当事者と外部者では、言葉の重みもはるかに違う。しかし、こういった「ものを言う」ためのツールが爆発的に普及するのを目の当たりにすると、まさにこれらは時代の要請で運命的に生まれたのではないかと思ってしまう。別にこれらのサービスを礼賛するために、東電の時代錯誤な総会運営に触れたわけではない。しかしこんなことからも、暗黙の了解で既得権益を守る時代の限界を感じている。
*****************
野尻哲也(のじり・てつや)

2011年7月7日木曜日

コピペ資料2つ: 電力不足の不可解

http://blogs.yahoo.co.jp/mxx941/5321626.html


電力不足は本当か?高野雅夫・名古屋大学・准教授/そもそも総研

2011年7月7日




http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_267534


【日本版コラム】電力使用制限令発動―「電力不足」の不可解

尾崎教授のグリーンビジネスコラム

7月1日、政府は電気事業法27条に基づいて電力使用制限令を発動した。東京電力と東北電力の管内にある、大規模工場など契約電力500キロワット以上の大口電力需要家は、昨年比15%の節電が義務付けられた。電力使用制限令は、第1次オイルショック時の1974年以来37年ぶりの発動で、違反した場合、100万円以下の罰金が科せられる。
REUTERS/Yuriko Nakao
駅の地下道に設置された東電エリアの電力使用状況モニター(7月、東京)
1日の首都圏は蒸し暑い日だったが、午後1時のピーク時電力使用量が4170万kwで、今年のピークだった6月29日午後2時の4571万kwを約9%下回り、制限令の効果が出たようだ。電力会社が安定して電力を供給できる「青信号の目安」は、「最大供給量」が「ピーク時需要量」プラス8~10%の状態とされる。東電の現状最大電力供給量が5100万kwと報じられているので、ピーク時電力需要が4692万kw以下であれば、現状では「青信号」で、大停電のリスクはないことになる。
電力不足の悪影響
法律によって強制的に電力使用量を削減させられている大口需要者に限らず、家庭、オフィス、店舗などの小口需要者も自発的に節電に努めており、今夏が昨年並みの猛暑になっても、昨年のピーク時需要量6000万kwを下回ることはほぼ確実である。東北三県被災民の秩序だった行動と同様、日本人の危機対応能力が高いことの証明になりそうだが、喜んでばかりもいられない。猛暑での通勤や生活でクーラーを使わないことにより、熱中症が増え、労働効率が低下し、電力不足によりハイテク製品が作れなくなる。私が直接インタビューした中でも、工場を中国など海外に移転させることを本気で考えているハイテク企業が少なくない。これは日本経済の競争力に関わる大問題である。
大停電を避けるために、経済や生活を犠牲にしてひたすら節電を続けなければならないのだろうか。もちろん、明らかな無駄は削るべきだが、電力会社は電力供給のために最大限の努力を続けているのだろうか。いや、電力供給に関しては不可解な点がある。それは、安定供給義務への疑問と「電力ないない神話」である。
安定供給義務に関する不可解な状況
電力は特殊な業界だ。民間企業でありながら、エネルギー供給という公益を実現することが事業目的なので、競争が制限されている。実質的な地域独占が認められており、独占禁止法の適用除外である。
電力会社は競争制限と引き換えに、電力の安定供給義務が課せられている。電気事業法18条により、電力会社は正当な理由がなければ、電力の供給を拒んではならない。日本の電力料金はイタリアを除けば先進国で最も割高だが、日本は供給信頼度が高く、したがって、料金も高いという説明がされてきた。東電によると、同社管内の1軒あたり年間停電時間は平均4分だが、米国は20倍以上の90~100分である。日本は「電力の質」が良いから電気料金が高くてもやむを得ないと納得していたが、震災後、電力の安定供給は困難になった。いつ停電が起きるか分からず、かつお金を払っても自由に使うことができない「質が低い電気」に変われば、本来、値段が下がるのが当然である。
しかし、現状は逆で、電気料金は値上がりする方向だ。発電コストが低い原発が止まって、コストが高い火力発電の比率が増えているため、料金は上がる、という説明がされている。確かに、電力会社は、設備や燃料などのコストに一定の利潤を上乗せして電気料金を決める「総括原価方式」が電気事業法で認められている。しかし、法の趣旨は電力会社の経営安定化であり、コスト増による安易な値上げが認められているわけではない。そうであれば、電力会社は、コスト削減や安定供給継続のために最大限の努力が必要である。そのような努力は十分に行われているのだろうか。それが不透明なままでは、ユーザーは値上げと電力使用制限をいつまでも受け入れることはできない。
電力使用制限は、東電の電力供給量によって変わる。報道によると、3月の被災後、東電の供給能力は、3500~4000万kwまで下がった後、現状の5100万kwまで回復し、8月には5620万kw(東北電力への融通電力を含む)に増える予定である。問題は供給量見通しが増えた経緯である。
資源エネルギー庁の資料によると、真夏の供給予定量は、3月時点では、4650万kwと見積もられていた。供給予定量が、4650万kwから5620万kwまで、1000万kw以上も増えた主な要因は、当初、揚水発電をカウントしていなかったことである。揚水発電は夜間の余剰電力を使ってダムの水位を上げ、翌日の昼間にダムの水力発電を使う「蓄電設備」である。揚水発電は通常、出力調整が困難な原発の余剰電力を貯めるために使われる。ところが、被災後、東電管内の多くの原発が稼働を停止したので、揚水発電が不要になったということが、供給予定量に揚水発電がカウントされなかった理由のようだ。ただ、そのような判断は納得できない。原発の稼働が減っても、夜間、火力発電を稼働させて、揚水発電に蓄電すればよいはずだ。もし、火力発電のコストが高いことを理由に、あえて夜間の火力稼働を抑えているのであれば、安定供給義務を果たしていないことになる。
「電力ないない神話」の不可解
供給予定量を増やす方法は他にもある。企業が持つ自家用発電設備を最大限活用することである。「自家用発電所運転半期報」によると、2010年9月時点で、東電管内に875カ所、合計出力1639万kwの自家用発電所がある。その内、卸電力市場に供給されている電力が615万kwあるので、自家用発電所がフル稼働すれば、1000万kw以上の電力を生産できる。ところが、現状、工場などが持つ自家用発電機はフル稼働していない。なぜなら、フル稼働させて必要以上に発電したら、余った分を捨てることになるからである。特定規模電力事業者(PPS)の免許を持って、余った分を卸電力市場に売却できる企業なら良いが、そうでなければ、フル稼働できない。ところが、各企業の余剰電力を電力会社が買い取ることを保証すれば、自家発電所をフル稼働させて、東電管内の供給不足を大きく解消できる
電力供給量予測には、このように不透明で不可解な点が多い民主党衆議院議員の川内博史氏は、自身のツイッターで、「電力ないない神話」と銘打って、次のように述べている。「電力ないない神話は原発を動かすため、財源ないない神話は消費税増税のため。どちらの神話も、ウソ。国民をごまかして、権力側が自らの利権を確保する時代は、終わっている。誠実で正直で精緻な議論をしなければ、原発災害を含む被災地の復旧復興も、日本全体の再生も有り得ない」
電力会社の供給能力は、本来は電力会社の企業秘密と言える。しかし、一企業の内部情報が日本経済を大混乱に陥れている。もし、供給量を少なめに公表して、「電力ないない神話」で停電の恐怖心を与え、原発維持の世論を作ろうという意図があれば、それは許されないことである。

改革派官僚への退職勧奨という手本にならない大人のいじめ: これが言論自由の民主主義社会ですか?

 適当なサイトの記事がみつからなかったので、以下は週刊誌のサイトから転載したが、このニュースは今朝の朝日系列のニュース番組で、本人への電話によるインタビューを交えて報道されていたものであり、記事の信ぴょう性は高いと言える。


経産省のリベラルな官僚である古賀氏への退職勧奨の理由は、公務員である彼が勤務時間中にテレビ番組に出演したというものであるが、古賀氏がテレビに出演した時間は、勤務時間外であり、事実無根の理由なき理由によって、退職勧奨を迫られていることが報道されていた。

 子どものいじめ社会は、おとな社会の縮図と言われているように、大人社会のいじめも実に陰湿極まりないものであることは熟知している。

しかし、権力に迎合せず己の信じるところを貫こうとする古武士のような志の高い、有能で自立的な発想ができる希少な官僚を、重用こそすれ、、はしごを外し、退職に追い込むような権力の行使は決して許されるべきではないのではないだろうか。なんとなれば、彼こそは、自己保身と既得権益にしがみつくためではなく、この国の行く末を憂う気持ちに駆られて、身を捨ててまで、様々な発言を繰り返してきた人なのであるから。

古賀氏ほどの人材であれば、マスコミや野党など様々なところからの再就職の引きはいくらでもあるだろう。しかし現職者の立場から発信してもらってこそ、国民には見えにくい制度の問題や、改善すべき様々な側面が初めて照らし出される。そういった意味からは、古賀氏のような方にはいつまでも現職に留まって活躍してもらいたいが、もっと自由に羽ばたける場を得て、そこで何に遠慮することもなく大いに発言していただきたいとも思う。









退職勧奨された改革派官僚古賀茂明氏 省内では孤立無援状態

2011.07.04 16:00

現職官僚ながら菅政権の公務員制度改革や東電処理、電力行政を真っ向から批判してきた経済産業省の古賀茂明4 件氏(大臣官房付)に対し、松永和夫・経産事務次官が「7月15日付」で退職勧奨を突きつけた。
古賀氏と近い経産官僚がいう。
古賀さんは、いわば菅政権の恥部も、霞が関の裏のシステムもすべて知っている。現職官僚の立場のままそれを暴露して世に問い、改革を進めようと捨て身になっている。
霞が関の旧体制と、そこを基盤に権力を握っておきたい菅政権の政治家は、古賀氏の行動を認めれば、“現職でも改革ができるんだ”と改革派官僚があとに続くのではと危機感を強めている。だから政権が代わる前に粛清しなければならないわけです」
古賀氏は仙谷由人・官房長官(当時)に国家公務員制度改革推進本部事務局審議官を“解任”された後、この1年半、経産省の「大臣官房付」という閑職に追われ庁舎内の個室で事実上の“蟄居謹慎”状態に置かれながら、“たった1人の反乱”を続けてきた。
民主党内には、「古賀さんを辞めさせるべきではない。公務員改革の事務局長などで仕事をしてもらうべきです」(長妻昭・前厚労相)という声があるが、「海江田万里・経産相まで役人に丸め込まれて古賀さんを煙たがっており、省内では孤立無援。退職勧奨は拒否できるが、本人も大臣官房付のままで腕を振るえない政権にとどまることに懐疑的になっている」(古賀氏に近いOB)という。
仙谷氏にしろ霞が関にしろ震災復興など二の次、三の次。自分たちの恥部を握る古賀氏の“抹殺”しか頭にはないのだ。
※週刊ポスト2011年7月15日号