2012年5月29日火曜日

原子力基本法の3原則 「民主、自主、公開」 のない再稼働は適切?

毎日新聞5月28日付け朝刊の風知草に「坂田昌一の警告」というタイトルで書かれた山田孝男氏のエッセーで、物理学者で原発推進派だった坂田昌一氏の話が取り上げられている。

氏は、推進派でありながら、原子力基本法第2条の「民主、自主、公開」の原則にこだわり続けたために、安全委員会の委員に招かれながら、政財界から不満、批判を受けて孤立し、ついに内部の議事録すら配布されなくなった。

坂田氏は、その事態を察知し、秘密裏に行われた決定を権威の名のもとに国民に押しつけるようなことは断じてあってはならない、3原則を無視してよいというような人間は、原子力の本質について全く無知な人間であるか、あるいは原子力で金儲けをしようと考える利権屋だけである。原子力のなんたるかを本当に理解している人間は、3原則が守られない限り、原子力研究が決して人類に幸せをもたらすものではないことを熟知していると、声明を出し、委員を辞任したというのである。

既に50余年前から、旧態依然とした原子力ムラの体質は何ら反省も進歩もなく、営々と引き継がれていたということらしい。

原子力基本法に書かれた3原則は、多分科学者が有識者と協力して独自に知恵を絞って作リ出したものではなく、所詮どこかの国から借りてきたお題目なのだろう。

真の民主主義が存在しない今の日本において、3原則は守られるべくもない。

決定のプロセスはいつも秘密裏に「初めに結論ありき」で進められ、国民の生命、国家の存亡に関わるような決定が、少数の権力者によって下され、権威の名のもとに国民に押し付けられようとしている。

重要な情報は隠蔽され、正しい情報がまともに公開されることはない。国民の生命にかかわるような重要な情報を、誰がいつどんな形で隠蔽し、歪曲したのか、ということさえ、この国では全く追求されようともしないのである。

日本がこのような国であり続ける限り、これから50年先、100年先、世界の原子力技術がどれほど飛躍的に進歩しようが、この国での再稼働という選択肢は決してありえないし、あってはならないということを、坂田氏は云い残しているのである。


http://mainichi.jp/opinion/news/20120528ddm002070086000c.html

風知草:坂田昌一の警告=山田孝男
毎日新聞 2012年05月28日 東京朝刊
 小紙24日朝刊スクープのミソは「勉強会」だった。
 核燃サイクル推進をあきらめない「原子力ムラ」(産官学共同体)の面々が、非公開の「勉強会」で政府報告書原案に我田引水の修正を施したという。テレビ(ANN「報道ステーション」=24日夜)は隠し撮りの動画をすっぱ抜いた。
 原発推進派の排他的秘密会合は53年前にもあった。物理学者の坂田昌一(1911〜70)にこういう逸話がある。
 坂田は湯川秀樹、朝永振一郎と並ぶ素粒子物理学の大御所だった。政府の原子力委員会・安全審査専門部会の委員に招かれたが、審査機関の独立強化と情報公開の徹底を強硬に主張してケムたがられた。
 やがて、非公開の内部協議の議事録が坂田には届かなくなった。ただでさえ孤立していた坂田は事態を悟り、以下のタンカを織り込んだ声明を発表して委員をきっぱり辞めた。
 「秘密の扉の中でだされた結論を権威の名において国民に押しつけるようなことは断じて許すべきではない」(59年11月17日、衆院科学技術特別委・参考人意見陳述。「中央公論」60年1月号に草稿を掲載)
 坂田は脱原発派ではない。それどころか、筋金入りの原発ナショナリストだった。核の平和利用を宣言したアイゼンハワー米大統領の国連演説(53年)より早く、「日の丸原子炉」の研究開発を唱えていた。
ただ「民主、自主、公開」の3原則(原子力基本法2条)に


こだわった。「慎重過ぎる」という政財界の不満、批判に強


く反発してこう書いた。
 「3原則を無視してもよいなどというのは原子力の本質に


ついてまったく無知な人間か、さもなければ原子力を看板に


一もうけしようという利権屋だけである。原子力が何たるか


を本当に理解している人間は、3原則を基盤としないかぎ


り、原子力研究はけっして人類に幸福をもたらしえないもの


であることを熟知している」(科学雑誌「自然」55年7月号所載「3原則と濃縮ウラニウム」)
 坂田の警告が空論でなかったことは、坂田の生誕100年


にあたる昨年、証明された。以上の経緯は昨秋刊行された「坂田昌一/原子力をめぐる科学者の社会的責任」(樫本喜一編、岩波書店刊)に詳しい。
先週の小紙の特報に対し、原子力委員会は「事実無根」と反論している。あれは秘密の裏会合なんかじゃない、関係省庁や事業者にデータを確認する連絡調整に過ぎず、報告書案の書き換えではない−−と。
 データ確認なら、なぜ個別にやらないか。「勉強会」こそ


反省なき「原子力ムラ」のどうにも止まらぬ永久運動ではな


いのか。疑問は消えない。
 政府は6月前半、2030年の原発依存率の選択肢を公表し、夏のうちに結論を得たい意


向だが、実は、核燃サイクルの是非については当面、判断するつ


もりがない。なぜか。ある閣僚に聞くと、こう答えた。
今やめると言えば、サイクルの完成を前提に使用済み燃料


の中間貯蔵を引き受けてきた青森県が黙っていない。各原発


サイトに核のゴミを戻せという話になる。最終処分に目鼻を


つけないかぎり、核燃サイクルの話はできないんですよ」


 核燃サイクル見直しという歴史的選択の幕は上がらず、決


定プロセスへの不信だけが膨らんでいく。さだめし坂田は憤


慨していることだろう。だから言ったじゃないかと。(敬称略)


(毎週月曜日掲載)

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